特 集 1 | ||||||||||||||||
「理念」は実現されたか? | ||||||||||||||||
〜 「前期再編」 体験を語る〜 | ||||||||||||||||
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再編計画発表! 阪本:発表から足かけ 5 年 7ヵ月に及んだ県立高校の前期再編が一応終わりました(1)。 その一方で後期再編計画が既に公表されています。 きょうは前期再編での開校準備の実態を具体的に振り返りながら、 残された課題、 新たな課題を提示していきましょう。 まず再編計画が発表されたとき、 職場の反応はどのようなものでしたか。 井上:全定通 3 課程合わせてのフレキシブルスクール(2)となれば厚木南しかないなと思っていたので、 「やっぱり」 という感じでした。 再編計画に対する拒否反応が一番強かったのは定時制だったと思います。 全日制にしても 「よし、 やってやろう」 という感じではなかった。 「厚木南は 3 課程ともうまくいっているではないか。 それをなぜ?」 という気分だったと思います。 私もどちらかと言えばそういう気持ちでした。 佐渡:発表されたとき、 私自身は冷静でしたし、 全体にそれほどの驚きもありませんでした。 都岡高校と一緒になるということで、 交通の便のよい中沢をなぜ使わないのかという意見は多かったですが、 計画に対する強い反対意見はなかったです。 阪本:それは中沢が 「課題集中校」 だったからでしょうか。 佐渡:活路が開けるということではないですが、 ホッとした一面はあったと思います。 山根:発表当時は現場にいなかったので正確ではないかもしれませんが、 実質的な 「課題集中校」 だった川崎南では 「これを機会に生徒たちにプラスになる学校づくりをしていこう」 と前向きに受け止める職員が多かったようです。 川崎高校では、 従来から 3 修制や定通併修を取り入れていた定時制が新校構想を積極的に受け止めたのに対し、 全日制はそうでもなかったようです。 2 校 3 課程間の温度差はかなりのものでした。 阪本:再編担当の校内組織はどのようにしてつくられ、 皆さんはどのような経緯で新校準備委員になったのでしょう。 井上:校内組織は、 当時の管理職が"この指止まれ"式に有志でつくろうとしました。 「やりたい人たちでやる」 ということで、 かなりの抵抗もありましたが、 原案提出機関として 「フレキシブルスクール校内協議会」 が位置付けられたのが1999年12月、 そのもとで全職員が基本的に何らかのワーキンググループに属するという原則を打ち出しました。 改革は一部の人間がやるのではなく、 すべての人が何らかの形で関わるという前提です。 校内協議会は希望者が参加し、 準備委員は各課程 2 名をそこで互選しました。 私は通信制のシステムを大事にしたいと思ってまして、 知らないところで解体されたくなかったので、 発言や情報収集はしっかりやろうと思い、 委員を引き受けました。 山根:川崎・川崎南の場合は、 新校の基本的なことを決めていく 「新校合同対策会議」 があり、 2 校 3 課程から各 5 名が出て構成しました。 この 5 名のうち 3 名が新校準備委員という仕組みです。 私は2000年 4 月に川崎南へ異動し、 すぐに手を挙げ、 合同対策会議のメンバーになりました。 ワーキンググループは各校 2・3 名で構成されていましたので、 新校の準備に一切関わらない人もいました。 阪本:メンバーは希望制ですか。 山根:例えば進路のワーキングであれば、 1 名は進路指導部、 1 名は希望でという形です。 積極的にやろうという人もかなりいて、 全体の 3 分の 1 は超えていたと思います。 新校準備委員や大事なワーキングのメンバーは、 投票で決めたこともあります。 佐渡:都岡・中沢では既存の組織を全部使うということを原則としていました。 校内での話し合いは分掌単位でしたから、 まったく関わらない人はいなかったです。 準備委員は校内人事の原則に従って互選し、 一方的に上から指名されるという事態はありませんでした。 新しい学校をつくる以上、 自分たちがこうしたいというものをつくりたかったので、 準備委員になりました。 阪本:山根さんが異動と同時に新校に関わろうとしたのはなぜですか。 山根:学校をつくるのは面白い仕事だと思ったからです。 再編校はいろいろ新しいことが考えられるし、 提案もできる。 カリキュラムは勿論、 新タイプ校に相応しい新校舎を構想することもできる。 理想の高校談義ができるのは魅力的でした。 「新しい学校」 のかたち 佐渡:新校をどういう学校にすべきかについては、 当初双方にかなりの温度差がありました。 中沢側では現在抱えている生徒を念頭に新校を考えていましたが、 都岡側では旧来のしがらみから離れて、 まったく新しい学校にしたいという考えだったと記憶してます。 結果的に、 「新しい学校」 であっても従来的な生徒を排除する場ではないということに落ち着きましたが。 まず取りかかったのは、 新校における 「系」(3)をどうするかということでした。 「系」 というのはコースだと思っていたのですが、 県の説明を聞いているとどうもそうではない。 各系の目標、 科目数、 何を教えるべきか、 予算・施設との関係等々、 相当時間を費やしました。 座学だけでは無理だとわかってましたので、 実際にモノをつくったり、 身体を動かしたりという実技系の科目を置こうという線で話は進みました。 阪本:この機会に進学重視の体制にしたいという意見はなかったのですか。 佐渡:なきにしもあらず、 でしょうか。 都岡側にはあったと聞いてます。 事実、 都岡のほうが偏差値も高く、 大学進学もありましたから。 でも、 進学重視どうのというせめぎ合いはそれほどではなかったです。 幅広い層の生徒が集まってくるという想定で、 あらゆるニーズに対応するカリキュラムをつくらなければならないという意識でした。 山根:私が川崎南に赴任した際も 「系」 のことばかりやっていました。 県教委が指定してくる再編スケジュ−ルがあって、 「まず系の科目を決めろ」 ということだったのです。 いま考えてみれば無駄なことをやっていたと思います。 系の科目の内容は、 現実には誰が教えるかという問題と切り離せない。 4 年前から論じても、 4 年後に誰が残っているかわからないわけで、 できそうだと考えてもできないこともあります。 どういう学校をつくっていくのかといった基本的な論議をまずやるべきだと当時も疑問に思ってましたし、 いまも同じことを考えています。 ただ川崎南でも、 生徒がおもしろいと思えるような、 生活に密着した科目を置く方向で進みました。 一方で、 川崎高校側には、 名門校としての川崎を復活させたいと考える人も一部にはあり、 新校がどういう生徒をターゲットにするのかという論議は何度もやりました。 2002年には 「新校のかたち検討会」 で 4 度議論してます。 私などは、 偏差値で言えば縦に長く生徒が入ってくるだろうから、 それこそフレキシブルに対応しなければいけないという思いがありましたが、 結論は曖昧なまま開校を迎えたという感じです。 阪本:フレキシブルスクールについては、 「一人ひとりの生活スタイルや学習ペースに応じることができるよう、 柔軟なシステムをもつ高校」(4)などと定義されていますが、 どうとでも受けとれますよね。 もっと受験に対応できるような科目を置こうという声はありませんでしたか。 山根:系の科目のなかに進学目的の科目を置くというより、 系の科目をなるべくとらさず、 英語・数学といった受験対応科目を多くとらせたほうがよいという人はいました。 阪本:厚木南でも似た状況があり、 私が赴任した2002年頃は、 系の科目が学校改革の前面に出ていた感じです。 例えば前倒し実施の系の科目を、 通信制の生徒は 1 人しかいないのに" 3 課程皆で学んでいる"的な新聞記事にしてもらったり。 でも肝心な 「学校のかたち」 は、 なかなか明確にならない。 結局、 その後の方針の変化もあり、 新校開校時には、 系の科目などまるで顧みられなくなった印象です。 井上:厚木南では、 全定通 3 課程あることによる授業時間帯の問題や、 すべての科目で相互乗り入れができるのか、 各課程の生徒の質の違いをどうするのか、 といった議論が続きました。 とりわけ当時の管理職がリードしていた、 「一体化」 とか 「同一のカリキュラム表を持つ」 という議論が大きな比重を占めていたと思います。 クリーム色をしたフレキシブルスクールという一つの世界に、 3 つの入り口から生徒が入ってくる。 どの入り口から入っても学習内容が同一なのが一体化だ、 とする考え方がありました。 それに対し、 各課程が持っているそれぞれの色をパレットに残す、 全日は赤、 定時は青、 通信は黄色といった色を残しておいて、 生徒がその色を使って自由に自分の絵を描けるようにすることを一体化といってよいではないか、 という考え方もありました。 言うなれば前者が共和国、 後者が連邦制なのですが、 この議論が煮詰まるところまでは行かなかったと思います。 そこががっちり固まらなかったために、 途中で管理職が替わると、 方向性自体がガラッと変わってしまうことになったのですが。 阪本:どうして 「がっちり固まらなかった」 のでしょう。 井上:厚木南では当初から、 学校を柔軟にできるシステムはすべて使おうという理念を打ち上げていました。 課程間併修、 外部単位の認定、 実務代替、 そういうことを全部取り入れることは考えていましたし、 既に通信制では相当柔軟なシステムができていました。 それなのに、 「 3 課程のどこにいても、 どの時間でも、 どの形式の授業でも、 全部同一内容で自由自在に選べる」 一体化構想が一人歩きしてしまった。 実際にはハード面や科目の特性などから、 それは無理だということはあるわけです。 改革推進の立場に立っても、 無理は無理だと言うと、 「それは、 変わろうとしていないからだ」 「井上は守旧派」 と言われ、 不毛な論議が続きました。 皮肉なことに開校した厚木清南は、 フレキシブルスクールを掲げていません。 フレキシブルスクール 3 校のホームページ(5)を見比べると、 横浜桜陽と川崎はそれを鮮明に出してますが、 清南のページには 「フレキシブルスクール」 という文言は一言も載っていないのです。 全定通の生徒が入り乱れるどころか、 連邦制も共和国も両方なくて、 完全に分離独立型となってます。 阪本:その辺の問題は日課表をめぐっても端的に現れました。 2003年度に公表された厚木南の 「新校設置計画」 では、 1 日 2 回の休み時間は 1 時間ずつ均等に振られてました。 均等にして全定の垣根をなるべく低くする、 どこの時間帯でも選べることを日課表で示すべきだ、 という考え方が反映していたのです。 全日制で部活をやりたい生徒のために後半の休み時間を長くとったほうがよい、 と強く主張した先生もいましたから、 ここには 「学校のかたち」 に関わる重要な意味があったと思います。 ところが開校前年度に校長の裁量ですべて変わってしまい、 日課表も 「分離独立型」 になりました。 随分真剣に論じ合った結果の素案だっただけに、 あのときは空しかった。 発展途上のフレキシビリティー 井上:午後の部と夜の部の間に 1 時間半休みがあるので、 夜を中心に活動したい生徒には昼の時間帯がとりにくくなったわけです。 山根:川崎では15:15開始の 4 校時が16:45に終わって、 5 校時が17:30に始まります。 定時制の生徒では 4・5 校時をとるパターンが多く、 もっと早い子は 3 校時からとっています。 午前中の授業に出ている生徒も何人かはいます。 いまの課題は、 夜の時間帯 ( 5・6 校時) の授業がスカスカになっていることです。 全定一体型のフレキシブルスクールと言うには、 全日 6 クラス・定時 1 クラスではバランスが悪いと思います。 阪本:全日制の生徒が夜の授業をとることはできますか。 山根:制度的には20単位までは可能で、 実際にとっている生徒もいます。 単位を落として夜とらないと間に合わなくなるケースもあるし、 週休 3・4 日としたいため、 というのもあります。 人数はそう多くはないですが、 結構フレキシブルです。 ただ、 単位制普通科とは何が違うのかという議論はいまもありますし、 逆に単位制普通科とは違う何かを出さなければいけない、 という意見もある。 まだ発展途上というところです。 新校準備委員会方式の意義 阪本:厚木南の場合、 一番肝心な点について新校準備委員会 (以下、 準備委) で結論が出ていたのか出ていなかったのか、 よくわからないまま終わってしまった気がするのですが、 この神奈川独自の準備体制の意義はどこにあるのでしょうか。 佐渡:忙しかったですが、 準備委があってよかったと思います。 県教委が現場の意向と無関係に一方的に決めるより、 該当校にいる人間が直接意見が言えるという組織は全国的に見ても先進的なのではないですか。 新校準備委員を現場の教員がやっていることで他の職員にもスムースに話を聞いてもらえたように思います。 中沢・都岡の場合はすべて職員会議に諮られましたし、 準備委員がどこか遠くで何かをやっているという印象はなかったのではないかな。 職員会議で出た意見はすべて吸い上げて話し合うなど、 コンセンサスを得る努力もしました。 井上:準備委は県の"ダメ出し"を伺うという役割もあったのではないですか。 「学校は夢を語れ」 「やってみろ」 とだけ言われ、 こちらが出せば、 「これはここがダメだ」 というわけです。 特に施設設備の問題では徒労に終わったことも多かった。 山根:東京のようにトップダウンで現場に降ろしてくるのでなく、 現場の意見を吸い上げて県教委と協議しながら決めていく準備委方式は、 きちんと評価すべきです。 ただし権限の問題はあります。 結局大事なところは、 準備委に出てきている県教委の人たちにも決定権がなく、 施設とか財政がOKを出さない限り前に進まない。 折角同じテーブルで意見を交わすのに、 そこでいくら話してもどうにもならない、 ということは一杯ありました。 だから改革担当がある程度の実権を持っていて、 準備委でOKしたことは極力実現するというくらいにならないと、 本当の意味での評価はできないですが。 校長のリーダーシップ 阪本:開校前年度になると準備委は役割を終え、 いわゆる 「開校準備室」 (公的には開校準備組織) 体制が発足します。 きょうの参加者で開校準備組織に入っていたのは佐渡さんだけですが、 準備の継続性という点ではどうでしたでしょうか。 佐渡:前年度からのメンバーがそのまま持ち上がったので何も変化はなかったです。 もともと転勤しそうにない人がやるということで取り組んでましたし、 系の科目も最初につくろうと言った人が、 少なくとも一人は残ってました。 意思決定のあり方についても、 可能な限り職員会議で理解を得る努力をしたという点では従前と同じです。 井上:準備委と開校準備室との間が完全に断絶した厚木南とは対照的ですね。 2003年度に着任した校長が、 秋から開校準備室体制に切り替えたいと宣言して従来の準備委員や校内協議会とは別に、 「校内開校準備担当」 という人たちを新たにピックアップし、 体制を一新しました。 それ以降、 協議会もワーキンググループも事実上消滅して、 2003年度中は準備委も開催されてましたが、 何も仕事がないまま時間だけが流れていった感じです。 阪本:それまでやってきたことが限りなくゼロになった感じでしたね。 正式に準備組織が発足すると、 兼務を発令された教職員だけで新校の 「職員会議」 が開かれたりして、 同じ職場にいるのに、 大方の人間には何が話し合われているのかさえわからなくなりました。 準備委方式は一方通行でないよさがありましたが、 厚木南のように 4 年以上に及んだ継続性が簡単に潰えてしまった事実を考えると、 私たち職員の姿勢も含め、 その位置付けに課題は残るでしょう。 山根:確かに準備室体制に変わった最後の 1 年間はポイントかもしれない。 「時間がない」 という理由で、 準備室からトップダウンで降りてくることが多くなったり、 最後の 1 年で既定のことが変えられたりしました。 例えば新校の学校目標。 ワーキングが 1 年以上かけ、 一字一句練り上げて準備委に出していた案があったのですが、 開校直前いきなり校長から別なものが宣言されました。 いままでは途中経過の論議だというわけです。 開校直前の 2・3 回の合同職員会議で、 大事なことがバタバタと決められ、 それまでの数年は何だったのかと思い知りました。 阪本:県は"校長のリーダーシップ"の強化を進めているわけで、 形式的には準備委という協議の場が用意されていても、 結局は校長の個人的意向なり 「嗜好」 なりが勝るのだと思わざるをえません。 繰り返しになりますが、 厚木南の脱フレキシブル化の端緒は、 新校長が系の科目に 「理数数学」 という科目を置きたいと言い出したことでした。 それまでは中沢などと同じように、 実技系とか体験重視の科目を中心に構想してきました。 管理職にも準備委にも承認を得てです。 そこへ唐突に、 理数系に特化した特殊な科目が提案され、 言ってみれば 「あなた方が構想しているような学校ではダメ」 という意思表示だったわけです。 ワーキングでは相当な時間を割いてまた話し合いが必要となりました。 井上:学校説明会で 「国立大学医学部」 を目指す選択科目はこれこれ、 というチラシが配られたこともありました。 従来の構想からすれば相当なギャップですが、 ほとんどの職員は事前には知らない。 おかしいと言っても、 「国立大学の医学部を目指してもいいじゃないか」 「あなたは学校をよくしようと思っていないのか」 と言われるだけでしょうし、 もうどうにもならないですよね。 準備期間が長すぎる 山根:そもそも準備期間が長すぎるきらいがあります。 大師高校が県内初の総合学科に移行したときは 2 年間でやりました。 皆のエネルギーがあるうちに、 しかも同じメンバーでやれるのが利点だと思います。 井上:短いほうがよいというのは同感です。 正直言って精神的にも疲れましたし、 長くなるから本当に重要なことを避けようとするのです。 本来はそこを克服しなければいけないのですが。 山根:準備期間で疲れて、 開校してからのほうが大事なのに、 もうエネルギーが残っていない状態が確かにあります。 施設設備をめぐる課題 阪本:新校準備では施設・設備に関してもさまざまな議論がありました。 後期再編計画でも「施設設備の整備充実」が明記されてますが、 各校の状況について教えて下さい。 山根:川崎の場合は、 不満はいくつもありますが、 建て替えをしてもらった 2 校のうちの 1 校ですし、 自分たちが出した新校舎構想も部分的には設計に生かされ、 他校の手前あまり文句は言えません。 たとえば 「環境に優しい校舎」 を基本コンセプトの一つにしましたが、 太陽光発電こそ実現できなかったものの、 屋上緑化や木材の使用などはできています。 「光と風の校舎」 と呼ばれるように明るく風通しのよい校舎で、 そういう面ではこちらの構想が容れられました。 単位制のフレキシブルだから居場所がたくさん必要だろうということで、 あちこちにベンチを置いて居場所をつくりましたが、 これも効果的に利用されています。 計算違いだったのは普通教室の数です。 ホームルームは週 1 回のLHRだけだからと考えて、 小集団教室を多めに作ったので、 30人入れる普通教室が21しかありません。 全日制は 8 クラス展開なのでLHRのための教室が足らず、 苦慮しています。 それから、 新校舎とはいえ、 ほとんどの教室にエアコンがないのは他校と同様です。 佐渡:旭陵では居場所確保の観点から、 旧都岡の職員室を潰してラウンジをつくりました。 最初は机と椅子だけだったのですが、 弁当業者が入り、 結果的に、 お菓子やパン、 アイスクリーム、 ノート、 筆記用具も置かれたミニコンビニのようになりました。 このスペースがなければ悲惨かなと感じます。 ちょっとでも自分と合わないと隣同士で座れない生徒がたくさんいるのです。 ほんの少しの生徒が、 少し間を空けたところにいられることがポイントみたいです。 系の科目では実験・実習を伴う科目が増えるので、 これについては最小限の対応はしてもらわないと絵に描いた餅になってしまいます。 逆に言えば、 こういう施設はできないならできないと早く言ってもらいたい。 山根:フレキシブルを謳うなら空き時間の居場所をどうつくるかが非常に重要でしょう。 去年は旧校舎でやっていたので生徒たちは本当に窮屈そうでした。 居場所がある今年は、 とても伸び伸びしています。 精神的な違いも大きいと思います。 井上:厚木南は全面建て替えが計画され、 設計図・完成予想図の段階にまで進んでいたのに、 2003年 1 月に建て替えが白紙撤回されました。"新しい校舎で勉強できるよ"と宣伝されて入ってきた生徒たちに対しては、 「施設整備の手法の変更」 だから仕方がないということで済ませてしまった。 職員が"そんなことではないかと思った"というムードになったのもマイナスだし、 何より膨大な時間をかけた新校舎のプランは全部無駄…。 厚木南の新校構想は、 総じて蓄積が生かされずに終わってしまいました。 佐渡:大きな期待はしていなかったのですが、 県財政の事情で不可能になった改修は多かったです。 単位制の場合は多目的ホールがなければ大変だと神奈川総合の先生から聞いていたので、 第一の要求だったのですがだめでした。 施設利用校の都岡の先生は、 改修に関する要望を出してくれという指示への対応で相当大変だったようですが。 ほかに問題点としては、 要求を出してくれと言われてから、 返事をしなければならない期限がともかく短かすぎます。 反面、 予算がいくらついて何が買えるかの決定時期が遅いので、 中沢から何を都岡に持っていけばよいのかは決められない。 授業の合間に苦労して引越しをやったのに、 廃棄処分にすればよかったと思われるものまで持っていく羽目になったり。 後期再編でも 2 校統合がありますから、 非活用校の施設を閉じる際の無用な労力を減らす配慮はほしいところです。 移行期の生徒たち 阪本:ここからは 「再編と生徒」 という視点で話を進めていきましょう。 移行期の生徒に関わって私がショックを受けた出来事があります。 厚木清南では建て替えの代わりに、 棟別の改修が行なわれることになりました。 改修中の校舎はプレハブで代用しますが、 こちらは真新しい建物で空調も完備しており、 新校の象徴みたいなものです。 驚いたことに、 そこは清南の新入生 (2005年度入学生) が優先して使うことにされたのです。 「新校舎」 が明記されていた学校案内で入学してきた在校生 (2003年度入学生) は、 基本的に旧校舎に残りました。 プレハブの建設中、 「あっちには誰が入るの?」 と多数の在校生に聞かれ、 生徒たちは憤慨してました。 道義上、 本当に疑問に思います。 そもそも移行期生の位置付け自体、 厚木南では新校の方向性に振り回され、 一貫性に欠けた印象が拭えません。 フレキシブルが強調されていたときは、 学年制の移行期生にも柔軟な単位制的運用が意識されていたのに、 校長が代わると何かにつけて"新校と厚木南は別"と強調されたり。 井上:厚木南は単独改変だから、 2003年度入学生が新校 1 期生だ、 という意識が薄かったのかもしれません。 単位制高校になるのだから、 単位制的運用を進級基準にはっきり生かすとか、 そういうことが大事なのではないかと思いますが、 途中で新校の方向性が変わってしまい、 結果的に2003・2004年度生は忘れられたような存在になったと感じます。 全日制生徒の服装にしても、 2003年度は制服、 2004年度は完全自由化、 開校年度は結構きっちりした標準服でしょう。 バラバラですよね。 山根:川崎・川崎南では、 今年卒業した生徒が両校に入ってきたときから 「君たちは新校の 1 期生だ」 とずっと言ってきました。 2 校統合方式の一番の課題は、 再編期の生徒にどれだけ迷惑をかけずにできるかでしょう。 東京方式なら、 閉校になる学校の教員は全エネルギーを自分たちの生徒にかければよいわけです。 でも神奈川では、 エネルギーの半分は新校づくりに割くわけで、 生徒はある意味、 それだけ面倒を見てもらえないことになります。 再編のための会議や仕事で、 放課後生徒に付き合う時間は確実に減る。 私も新校準備のほうに時間をとられていましたから、 目の前の生徒たちの面倒は手を抜いたと言われても仕方ありません。 会議のために多いときは週 4 回ぐらい川崎高校に行ってましたから、 生徒が探しに来てもいなかったり。 だから、 そこをいかにフォローするかが大事なのです。 どうもその辺の配慮が足りなすぎます。 人的な面でも新校準備のための加配などをもっと行なわないと、 結局生徒が犠牲になってしまう。 佐渡:移行期が始まると定数減となって教員の数も減りますから、 新校に行かない生徒にとっては本当に割を喰った感じになるのではないでしょうか。 ただでさえ人数が集まらない部活動は、 さらに満足できないものになりました。 新校と関わらない生徒に「合同でやれば」とはなかなか言えません。 入学当初、 早く都岡と一緒になりたいと言っていた移行期の 1 年生も、 1 年過ぎるとその学校に染まってしまい、 「一緒にならなければいけないのか」 と言い始めました。 真面目な生徒ほどそうでした。 友だちや先生との関係からでしょう。 開校当初は両校のグループで、 多少いがみ合いもありました。 山根:川崎では新校 1 期生に関して言えば、 生徒間に反目がありました。 グランドが使えなかったので体育祭も球技大会もなく、 仲良くなる機会が少なかったのです。 授業は一緒になれるのですが、 選択する授業に違いがあり、 お互いを理解し合う機会にはなりませんでした。 クラスも別々でしたし。 阪本:なぜ一緒にしなかったのですか。 山根:かなり論議しました。 私は校名が 「川崎」 になったこともあり、 混ぜることを主張したのですが、 週 1 回しかないホームルームでは 3 年の担任が生徒を把握しきれないし、 そのまま進路指導をしなければならないのは不安だという声も強く、 クラスは別になったのです。 勿論、 クラスを一緒にしたらうまく行くかというと、 簡単ではないと思います。 2 期生 (現 3 年生) は一緒にしましたが、 クラス担任はやりにくいと言っていました。 偏差値的な序列も違う 2 校ですから、 なかなか難しい面があるのは事実です。 2.校統合方式の是非 阪本:2 校統合方式の再編については、 大きな異論もあるところですね。 山根:労多くして益少なし、 といまは思っています。 先ほど言いましたように、 移行期の生徒にとってとても不利益だと思うのです。 メリットは 「廃校」 を避けられることだと言われてますが、 実際は両校とも廃校になったという意識ではないでしょうか。 それに、 小田原・小田原城内と川崎・川崎南の場合は、 片方の校名だけが残ったわけで、 開校方式のメリットだとされていたものを否定したのと同じだと思います。 佐渡:移行期は生徒にとって結構きついものがあるのです。 特に非活用校の生徒にとっては、 いくら対等合併といっても、 相手校の校舎にそっくり引越すのですから、 心の開きは大きいです。 一方を募集停止にする方法もありますが、 募停にされたほうのダメージはより激しくなるでしょうし、 何がいい方法なのか悩ましいところです。 山根:東京のように両校募集停止で第三の学校をつくるのが一番いいと思います。 ただ、 デメリットはあります。 全部トップダウンになってしまい、 現場からはつくり上げられない。 つくる過程で教員が関われるようにすればよいのですが、 今度はどういう人を先に呼ぶかが問題になる。 佐渡:両校募集停止にするとしても、 既に入学している生徒にしてみれば、 部活や学校行事などでやはり不利になるのではないですか。 山根:そうですね。 ただ、 川崎南から新校へ行った 1 期生のなかから、 卒業できない生徒がかなり出ました。 南高のままであればそのまま卒業できたかもしれません。 理由はいろいろあるでしょうが、 もともと学校に慣れるのに時間がかかっていた生徒が、 新しい環境に置かれてまた学校に行きにくくなったりしたケースもあります。 卒業の認定基準も少し厳しくなりましたし。 井上:施設活用校のほうが偏差値序列が上、 というのがある程度パターン化していませんか。 一方の子どもは、 自分たちの学校に途中で通えなくなるということをわかって入学してくるのでしょうか。 山根:統合を知らなかったという生徒も結構いました。 中学校の先生にしても、 その時点でその子が入れる学校を進路指導するでしょうから、 3 年後の統合まで考え、 それに耐えられる生徒、 というわけにはいかないのが現実でしょう。 佐渡:中学校には、 「一緒になりますから、 その点を配慮して下さい」 と伝えますが、 そううまくは行きません。 合同選抜が難しいのであれば、 中学校側に一緒になることを前提とした進路指導をしてほしいのですが。 山根:私も合同選抜に賛成です。 阪本:県は合同選抜を否定しています(6)。 山根: 「教育条件等が同程度に整っていることが必要」 という点は、 カリキュラムを同じにすればクリアできます。 例えば川崎南では、 1 期生が入学するとき 3 単位だった現社や理科を川崎に合わせて 4 単位にしました。 「統合前の移行期間といえども主体的な学校選択を保障する」 というのも、 特色を 2 校同じにすればよいではないですか。 新校はこういう特色でやるということを先取りして、 同じ特色を打ち出せばできるでしょう。 前期再編の総括をきちんとしないまま後期の再編計画をやっていますから、 反省点がまったく生かされてません。 入学生に見る変化 阪本:新校になってからの入学生はどのような様子でしょうか。 実際には何がどう変わりましたか。 佐渡:旭陵高校に初めて入ってきた生徒たち (現 2 年生) は、 確かに従来の都岡・中沢の生徒とは違う面がありました。 系の科目や単位制の仕組みに興味があるということで、 学力面でもかなり縦に広がっています。 授業アンケートを取ると、 やさしすぎるというクレームと難しすぎるというクレームがあり、 悩ましい問題でした。 中学時代学校に馴染めず不登校だった生徒が積極的に入学してくるケースも増えました。 入学後、 ガラッと変わった生徒もかなりいます。 中学で県立には入れないと言われていた生徒が、 文化祭などでリーダーシップを発揮して活躍したりするケースもあるのです。 そういう点では旭陵ができてよかったと思います。 阪本:具体的には何がよかったのでしょう。 佐渡:週 1 回のLHRを除けば授業もバラバラで、 集団意識をあまり持たないで済むからでしょう。 集団が苦手な生徒には過ごしやすい学校です。 意外に思ったのは系の科目をとらない生徒が割に多いことです。 進学指向が強くなったのかもしれません。 阪本:学校序列という点ではどうでしょう。 それまでよりランクアップして序列に組み込まれているのか、 それとも序列とは別のところに位置しているのか。 佐渡:まだ 2 年目ですから何とも言えませんが、 中沢と比べ生活指導の件数が激減したのは事実です。 これは時間割の自由化などで、 問題行動を起こした生徒にとって過ごしやすい学校になったお陰かもしれませんが。 阪本:仕組みを変えたからという側面と、 従来的な生徒が入ってこなくなったからという側面と、 どちらが大きいと思いますか。 佐渡:仕組みを変えたのは確かですが、 中沢に来ていた層の生徒は他地区の 「課題集中校」 に随分流れたようです。 中学側から見れば、 中沢へ入れたかった生徒が旭陵には行けなくなったという状況はあると思います。 井上:中学側には旭陵の偏差値はちゃんとあって、 序列に位置付いているということでしょう。 山根:地元中学校の意識と旧学区外から来る生徒の意識は違うと思います。 地元の中学は 「どのくらいの子どもを送ればいいですか」 という言い方をします。 こちらは 「フレキシブルだからそれに合った生徒を」 と言うのですが、 中学校の先生はどのくらいの成績・偏差値かを知りたがります。 遠方から来ている子どもたちは偏差値とは関係なく、 積極的にフレキシブルスクールを求めてきた姿勢が目立ちます。 年間最高34単位まで履修できるのですが、 目一杯とる子が結構いて、 予定数を超えて教室が溢れてしまうのです。 「生徒に選ばれる学校」 とは 阪本:学校説明会や中学校訪問などでは、 新校のどんな点を強調していますか。 佐渡:去年まで実際にやっていた立場ですが、"単位制のシステムをよく理解して"ということです。 成績はまず言わない。 とにかく旭陵という学校のシステムに興味のある生徒は、 と説明していました。 山根:フレキシブルの仕組みを説明して、 このシステムに合った生徒に来てほしいと言ってます。 自分から積極的に勉学する仕組みを利用したければ川崎へとPRしています。 総合学科との比較において、 普通科であることも特色として位置づけ、 あらゆる進学に対応した時間割ということも強調しています。 井上:話が少し逸れますが、 最初は、 目の前の生徒のことから考えていこうというところから出発しました。 しかしそれが否定されるようになり、 ではどういう生徒像なのか議論しようと言うと、 それもダメ。 生徒像をこっちが決めてはいけない、 生徒に選んでもらえるような学校づくりをして示せばいい、 というわけです。 でも、 入学の問い合わせに対する電話応対などを聞いていると、 「うちのやり方を理解し、 うちのルールに従えない人はよその通信制へどうぞ」 と言ってるんですね。 「いつでも、 どこでも、 誰でも」 が全国の通信制共通のスローガンだと思うのですが、 説明の仕方が逆転している。 阪本:都立高校で 「改革」 を遂行したという校長たちの回想録の類が書店に並んでいますよね。 なかには底辺校の改革に関する本もあります。 改革推進の校長に対し、 「××高がよくなったぶんだけ、 どこかの学校が悪くなるのだから、 それでは同じ」 だと反論する教員の論理が引き合いに出され、 教員たちがいかにダメかが語られていました。 一刀両断できるような話ではないだろうと思うのですが、 どう考えますか。 山根:難しいところです。 あまり勉強の好きでない子たちが、 うちの学校に来たら勉強のおもしろさを知って卒業していく…そんな学校にしたいと思ってました。 ところが、 人気が出るとそういう子は入れなくなるというジレンマがある。 県教委は特色を出せと言い、 こちらも特色をつくろうとする。 それ自体は悪いことではないと思いますが、 中学生や中学校の先生には、 特色よりも偏差値で選ぶ傾向も強い。 佐渡:自分の学校を変えるだけなら変えられるのです。 ただ県立高校の教員という立場に立つと、 生徒が単に移動しているだけというのは、 実情を知っているだけに考えさせられる話です。 山根:手がかからず成績もいい子をとりたい、 というのは教員の本音でしょう。 でも、 手はかかるし勉強もできない子どもたちが、 3 年間でどれだけ成長したかが大事です。 最初からいい子だけを引っ張ってくる競争をしているようでは、 改革の意味はまったくないと思います。 井上:「改革」 と言いながら、 じつは画一化の方向に向かっているのではないかと危惧したくなるのです。 本当の特色は、 もっと幅が広いものなのではないでしょうか。 改革はどうあるべきか 佐渡:いずれにしても、 いきなり大きな目標を立てて進めないほうがいい。 地に足が着いた、 実現可能なところから計画すべきだとつくづく思います。 後期再編校は、 ハード面では前期以上に厳しい条件が付くと予想されますから、 地道に現実を考えて計画しないと。 系の科目を運営するために現場の職員が四苦八苦するとか、 非常勤をたくさんとらなければならないとか、 そういうことがないようにしないと。 県はひと頃、"小さく産んで大きく育てる"と言ってましたが、 これは真理をついてます。 井上:私の場合、 挫折体験ということになるのですが、 改革推進計画には全部叩き壊していくイメージがあります。 そうしなければ新しいものはできないという感じ。 でも、 本当にやるべきことをきちんと吟味していくことが大切なのだと思うのです。 吟味していたら、 「改革に繋がらない」 と斥けられてしまったところが、 私の挫折体験でもあるのですが。 山根:学校改革が成功するかどうかは、 現場の教職員一人ひとりの情熱がいかに持続できるかにかかっていると思います。 前期再編校はまだ生まれたばかりで、 これからどう育つかが問われていますが、 トップダウン方式はマイナスにしか働かないでしょう。 教員のやる気をいかに引き出しながらやっていくかということが管理職にも求められるし、 私たちも情熱を失わないよう留意しなければいけない。 後期再編校に対しては、 前期と同じ轍を踏んでほしくない。 いまから思えばあれは無駄だったということが一杯あるので、 それと同じ失敗はしないでほしい。 阪本:無駄が多すぎるということ、 教職員のやる気の持続が重要ということ、 ともに自分の経験に照らして同感です。 私は1年だけでしたが、 膨大な時間をかけて議論されてきたことが、 一夜にしてナシになったのが厚木南でした。 新校の開校を前にたくさんの教員が転勤していったことは不満なのですが、 一方で熱意を持続できなくなった背景も考えないと。 管理職が交代したら、 その 「嗜好」 に合わせて方向性も変わるようでは無駄もなくならないし、 情熱も続かないでしょう。 井上:少なくとも校長には生徒の顔を見てほしい。 いまの自分の学校にいる生徒を直視するところからリーダーシップをとって改革を語らないと、 教員もついていけない。 山根:神奈川の開校方式については否定的な意見を言いましたが、 目の前の生徒を見ながら改革論議を進められるというメリットはあります。 生徒を抜きにした抽象論議だけの学校づくりではなく、 目の前の生徒たちにプラスになるようにするにはどうすべきか、 という立場にいつでも立ち返ることができますから。 井上:「改革」 なんて絶対反対という人たちからすれば、 「目の前の生徒を大事にするのなら改革などやめろ」 ということになるでしょうが、 「目の前の生徒」 の存在は改革を進める場合にも外せません。 「生徒のためになる」 と考えたことが、 逆に作用することもあるわけで、 そうした見方を持ちつつやらないといけないのだと、 今回の再編で改めて認識しています。 阪本:教育をめぐるさまざまな 「価値」 は、 基本的には相対的なものだということを忘れてほしくない。 改革推進だからといって、 "真理は我こそにあり"みたいな姿勢がことさらになるのもどうかと思います。 前期再編の評価 阪本:最後に、 今回の再編はどのように評価されていくでしょうか。 山根:総括は時期尚早です。 もう何年か経って、 初めてどうだったか言えると思います。 佐渡:外部的には、 新校に入った生徒の進路状況で評価されてしまうでしょう。 それなりの進路保障をしていると認められれば、 ある程度成功と言われるでしょうし。 山根:広い視野から評価してくれればいいのですが、 国立大学に何人入ったとか私立大学に何人行ったとかいうことだけで見るなら、 評価の軸がダメなのです。 多様な学校づくりというのは、 大学に何人ということだけでは競わない高校もつくろうということ。 だから評価の軸自体も多様にしていかないと。 阪本:ただ、 再編計画の当初と比べ、 世間的な風向きも変わりました。 「多様」 とか 「柔軟」 とかいうことより、 「学力」 が復権していて、 それはそれで一理あるでしょう。 教員の大半は、 しっかり勉強して学力を伸ばすような授業をやりたい、 そういう生徒に入ってきてほしいと思ってますから、 評価の軸を多様に、 とは言いづらくなっていませんか。 井上:「総合的な学習の時間」 が見直されようとしているのと似ています。 いま、 「やっぱりね」 という人はかなりいるでしょう。 光と陰の部分があるわけで、 単位制で不登校の生徒がこう変わったということを聞けば、 そういうことができるのだ、 と思うし、 画一化に慣らされた生徒ばかりでも困る。 山根:再編計画に消極的な人たちは 「生徒のため」 にならないと言いますが、 県教委は 「生徒のため」 の再編だと言っています。 私たちも 「生徒のため」 という言葉に弱くて、 無理をさせられている現実も一方であります。 かといって、 一切の改革が不要なわけではなく、 政治的な動きに振り回されて、 消極的・否定的になることも間違いだと思います。 何が本当に 「生徒のため」 になるのか、 現場の視点から見きわめつつ、 下からの教育改革を続ける必要があるのではないでしょうか。 (2005年 8 月30日 於 高校教育会館) |
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