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「ゆとり教育全面見直し」 という全国紙一面トップの見出し (朝日05.2.16) に驚いた人も多いだろう。 なお、 同紙の 「解説」 によれば、 「80年から始まった 「ゆとり教育」 への流れは、 学校週五日制の完全実施と歩調を合わせていまの学習指導要領で最終的な段階に至った。 その主な柱は、 「自ら学び考える力」 を育むために学習内容を 3 割削減したこと、 総合的な学習を導入したことだ」 という。 20年余にわたって論議され、 試行過程 (月一回の五日制、 続いて月二回の実施など) の後にスタートした 「ゆとり」 教育路線が、 その開始とともに揺らぎ今回のような見直しに至った背景には 「学力低下」 問題があることは間違いない。 因みに、 同上の 「解説」 も、 「導入前から高まっていた 「学力低下論争」 は、 昨年末に相次いで公表された国際学力調査の結果では日本の子どもの学力低下傾向が示されていると、 さらに大きなうねりとなり、 一連の中山文科相の発言を誘発した」 と述べている。 私は学力問題の専門家ではなく、 具体的調査に携わった経験もないのであるが、 数年前に先行研究に学んで次のように整理したことがあるのでまずはその要点を箇条書きにしてみよう。 (1)総体的に 「学力低下」 を実証できる資料は存在していない。 これに関連して 「学力」、 その 「低下」 の意味付けが多様であることが紛糾の一因である。 (2)論議の発端は、 大学生のとくに理数系の 「学力」 「低下」 であった。 だが、 大学が大衆化すれば、 それに伴い一定時間内に、 課題を正答する率が低くなるのは当然であろう。 (3)大学入試及び中・高のカリキュラムにおいて選択が増える傾向があるから、 教える側 (旧世代) が期待する基礎的知識を学生 (新世代) が習得していない事態が生ずるのも当然である。 さらに 「教養教育 (課程) の廃止・軽視も如上の傾向に拍車をかけたことも推測される。 (一時評判になった 「分数のできない大学生」 は、 極論すれば、 大学入試の在り方批判であった)。 (4)各国の共通内容をテストする、 国際教育到達度評価学会 (IEA) 報告などの結果を見れば、 日本の小中学生は事実や公式の暗記などの基礎的問題には強いが、 創造的・理論的思考に弱いことが多くの研究者によって示されてきた。 (5)OECD (経済協力機構) が行った先進14カ国の一般市民の 「科学的知識」 と 「科学技術に対する関心」 調査によると、 日本は最低に近い。 折角、 小中学校時代に習得した知識が途中でそぎ落とされ成人に至って活かされていない。 (6) 「学力低下」 よりも、 学習意欲の低下の傾向が特に低所得者層に強いこと、 つまり、 経済的不平等と連動して教育・文化においても階層分化が進んでいる (拙稿 「現代の疎外と教育の改革」 『アソシエ』 No.8,2002年、 お茶の水書房 参照)。 以上が、 新教育課程発足の少し前あたりから、 にわかに論議の的にされた 「学力」 (低下) 問題に対する私なりのまとめであり、 大枠において現在もこの考えは変わっていない。 しかし、 その後2000年と2003年にOECDが行った主要加盟国の15歳時の学力評価 (Program International Student Assessment PISAと略称) の結果が公表されると、 学力低下問題は再び浮上し冒頭のような事態に至った。 とりわけ、 前回 (00年32カ国参加) に比べて、 今回 (03年41カ国参加) は、 「科学リテラシー」 では同順位=2 位を確保したものの、 「数学リテラシー」 では 1 位から 6 位に低下、 「読解力リテラシー」 では 8 位から14位に転落、 しかもこの 「読解力リテラシー」 はOECDの平均レベルであり、 これら二つの低下は著しいものである。 前述のIEA調査で見る限り、 第一回の64年以来一貫して上位を維持し、 それが経済成長の土台だと内外で評価されてきた経緯を顧みれば、 PISAショックが文科省及び教育関係者を襲ったことも一応うなづける。 しかし、 そこから直ちに 「学力低下」 をはやしたて、 「ゆとり教育」 の手直しを強調することは余りに短絡的な思考と私は思う。 ここでも紙幅の制約もあって要点のみを述べることにする。 (1)まずPISA調査は、 子どもたちが将来の社会にどのような 「学力」 (これをリテラシー=Literacyと呼ぶ) が必要とされているのかを想定して行われたものである。 具体的にいえば、 2020年にOECD加盟国の労働力人口において製造業の占める割合が 2 〜10%にまで激減すること、 つまりポスト産業社会が急速に進み、 そこでは高度な、 複合的な 「リテラシー」 が要求されること、 そのための問題がつくられ、 それを 「読解力」 「数学」 「科学」 の三分野においてテスト評価しようというところに特色がある。 IEA評価のように、 これまでの各国共通の知識習得を見るのではなく、 これからの未来志向型の学力なのである。 この点にとりわけ留意を促したい。 (2)ここからいえることは、 習熟度別少人数指導によって、 しかも基礎・基本を徹底的にたたき込めばよいという教育法は有効でないという認識が肝要である。 これまた私の専門外であるので、 研究者やジャーナリストの文献による面が多いが、 前回とともに今回も高い順位を示したフィンランドの状況がわが国のこれからの教育の在り方に示唆を与えているように思われる。 この点について、 「学習到達度 「世界一」 フィンランド、 比較・競争とは無縁」 の見出しの下に紹介されたレポートは注目される (朝日05.2.20)。 このなかで現地の日本人教師の次のような発言、 「一方的に、 これをやってきなさいと言っても、 なかなかやってこない。 しかし、 「もっと勉強したい人は、 この問題を解いてみたら」 などとなげかけると、 ほとんどの生徒が取り組む」。 さらに次のような指摘、 「現場への裁量は与えられているが、 他の学校と比べて意識的に競い合っていない」。 また元ヘルシンキ大の日本人講師の、 「落ちこぼれをつくらない、 というだけでなく、 楽しんで学ぶことがフィンランド教育の特徴」 という強調などはまさに現在の日本の対応の方向とは逆であることを含意している。 むしろ、 かつて 「ゆとり教育」 が目指した方向にそっているように、 私には思われる。 いずれにしても折角の国際比較調査の結果を重くうけとめて 「ゆとり教育」 の歴史的検証を徹底的に行い、 未来社会へのステップにすることを切望したい。 |
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(くろさわ のぶあき) |