ねざす談議(25) 「時 代」
                                        小 山 文 雄

 昭和八年、 日本は国際連盟を脱退した。 ヨーロッパではドイツでヒトラー内閣が成立し、 アメリカではルーズベルトが大統領になってニューディール政策を開始した。 この十二年後、 日本は敗戦をもってひとつの 「時代」 を区切るが、 その道のスタートがここにある。
 この年、 国内では、 経済学者大塚金之助の検挙にはじまり、 作家小林多喜二の検挙虐殺、 刑法学者滝川幸辰検挙の京大事件、 経済学者野呂栄太郎の検挙そして獄死が相次いだ。 軍部と結んだ政治家による思想統制は止まることを知らなかった。 そして、 その一方で、 共産党幹部の佐野学と鍋山貞親の獄中転向声明があり、 信奉者たちに大きな衝撃を与え、 以来 「転向」 がひとつの社会現象として定着した。
 この年土田杏村は、 「思想の発表が不自由になった」 と書き始めた 「評論と自由」 という論考に、 「ほんの数年前に何もなく公表して置いたものが、 今ではどこもここも伏字だらけにしなければ、 そのままの文章では本にして公表できない」 と、 その猛威を告げると共に、 評論は 「一つの社会的戦争」 だから、 「社会愛の情熱に燃え、 現実をただ一歩でもよりよく改造しようと思へば、 評論の執筆者などはどう犠牲になってもよいということだ」 と悲愴な思いを書きとめていた。
 その杏村は秋に 「悩める現代の青年子女に与ふ」 という評論を発表した。 その基調となる思いは、 「青年が多くの悩みを持つことこそは、 青年を人間らしく感ぜしめるもの」 で、 それ故に 「青年の悩みを尊重したい」 というところにあった。
 杏村は 「悩みある生活」 を 「第一に、 利害や地位を離れて一処に固執せず、 第二に、 いろいろの立場を味わって見、 第三に、 唯一真実を求めてゐる生活」 と規定し、 一方 「悩み」 そのものについては 「時代的」 (この時期で言えば 非常時 の) 悩み、 「人間的」 悩み、 そして 「何よりも一言で性質の言えない深い悩み」 つまり 「深い感情的」 悩みの三種に分けて論を展開した。
 そうした中で、 ここでは二つの点を特筆しておこう。 ひとつは、 人間的な悩みとしての 「真の道徳」 について、 それは 「社会的」 のものでなければならず、 「社会全体の利益と進みとを考へ、 それを高める行為は道徳的である」 と規定したことで、 それは次のように敷衍されていく。
  「道徳はしばしば公衆の利益と同一視せられやすいが、 道徳は決して利益ではない。 利益は損得の計量にすぎないが、 道徳は人間の気品を感ぜしめるあるものである。 人間を光りあらしめるものでなければ道徳ではない。 気品があるといふやうなことは人間の特質であって、 気品あればこそいかなる人間をも蹂躙することが出来ない。 断じて人間を蹂躙せず、 すべての人間の気品を高める行為が道徳なのである」
  「気品−どことなく感じられる上品さ。 けだかい品位」 (『広辞苑』)、 この 「気品」 は、 現代日本ではもはや死語に近い。 杏村に聞くべき耳を貸せ!
 もうひとつは、 「理知を越えた深い感情的な悩み」 への言及である。 理性では分かる、 判断もはっきりつく、 けれど 「それを超越して悩む」、 その 「寂しさ」 に寄せる共感への勧めである。 彼は言う、 「理性も及ばずただ寂しいと感ずる悩みは、 どうにもならない。 これこそは真に底知れぬ人生の憂鬱でもあろう。 人生の沼は深く水をたたへ、 汲めば無限の味がするけれども、 ただこの水をたたへたがために、 曇り空へ無気味の光を放つのである。 これは人間の 『深い感情的』 な悩みともいふべきものである。
 野にささやかな雑草の花が咲いた。 花はその周圍より蔽ひかかって来る他の雑草の繁みに悩んでゐる。 またその花の色をいかに美しく咲きにほはさうかと悩んでゐる。 また最後に、 野の光に照り映えて溜息を空へ送りつつ悩んでゐる。 我々はそれぞれの悩みに別々の触覚を以て触れて行かなければならない」
 長く教育のことに携わり、 いまなお伝える者としての人生を歩みつつある一人として、 この言葉はとりわけ身に滲みる。 果たして別々の觸覚を以て触れ得たか、 と。
 いま、 したり顔して 「言葉」 を操る 「識者」 たちからは離れよう。 まこと 「教育」 を思う人々に呼びかけよう。
  「何とも言えず寂しいと感じているその寂しさへの共鳴を深めよう」、 と。
 それはどのようにして育んでいくことができるか。 不断に見つめあうところから、 あるいは互いに吐息をもらすところから、 また、 語りあい、 慰めあうところから−さらに言えば 「心を尽くす」 ところから育ってくる。 「孟子」 に 「尽心章句」 がある。 そこで心を尽くすとは、 心の本質を見きわめることを言う。 本心を以て本心に接す、 そこに教育の原点もある。 本心は十分に発展させなくてはならず、 そのためには常に心を養いつづけなければならない。 今風に言えば、 対象の中に、 あるいは対象と共に、 くりかえし新鮮な視点を作り出していかなければならない。 難き哉、 教育の業である。
 成果も評価も遠く後代に委せて、 七十年もの昔の杏村にこうして新知ができたように、 七十年後にさらに知己を得れば、 それを望外としよう。
   
(こやま ふみお  教育研究所共同研究員)