所員レポート | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
持続可能な開発のための教育の10年 小 野 行 雄 |
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持続可能な開発のための教育の10年 2005年、 「国連・持続可能な開発のための教育の10年(United Nations Decade of Education for Sustainable Development、 以下DESD)」 が始まる。 「国際○○年」、 「国連○○の10年」 というのは必ずしも特別なものではない。 人権、 先住民、 貧困撲滅やマラリア撲滅などさまざまな目的を持った 「○○年」 「○○の10年」 だけで今年は 9 つ重なっている (1) 。 しかしながら、 このDESDは、 日本にとって、 他の 「10年」 とは違った意味を持っている。 というのも、 これはそもそも日本政府が提案したものだからだ。 2002年、 ヨハネスブルグで行われたいわゆる 「環境サミット」 において、 小泉首相は、 日本は 「発展の礎として教育を最重要視して」 きたと説き、 「持続可能な開発のための教育」 の大切さを強調して 「5 年間で2500億円の教育援助を行う」 と約束した (2) 。 これを受けて同年12月の国連総会で日本を含む47ヶ国から共同提案され、 採択されたのがDESDである。 この小泉提案がなされるにあたっては、 国内NGOも大きくからんでいた。 多くのNGOが参加した準備会合 『ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム』 において議論され、 提案された事項がここで取り上げられたのである。 いわば官民一体となった世界への提案だったが、 スタートまであと数ヶ月という現在に至っても、 マスコミ等ではほとんど取り上げられておらず、 政府の対応も鈍い。 元になるコンセプトはどういうものか、 問題点は何か、 現在までの動きはどうなっているかについて検証する。 持続可能な開発 「持続可能な開発 (Sustainable Develo-pment)」 は80年代にはいって主に環境問題をめぐる言説から出てきた言葉であるが、 1987年の国連 「環境と開発に関する世界委員会」 (通称ブルントラント委員会) による提言書 『Our Common Future』 (邦訳 『我ら共通の未来』) で一躍有名になった。 提言の中にある定義 「持続可能な開発とは、 将来の世代がそのニーズを満たす能力を奪うことなしに、 現在の世代が自分たちのニーズを満たす開発である」 (3) は、 70以上あるという 「持続可能な開発」 の定義 (4) の中でも、 今でももっとも多く引用されるものである。 ただし、 この定義は、 その単純さ故に、 多くの誤解を生んでもいる。 定義中の 「能力を奪うことなしに」 は原文では“without compromising the ability of future" となっていて、 将来の世代への責任を果たすことが後段の 「ニーズを満たす」 ための条件となっているのだが、 しばしば 「環境保全を考慮した節度ある開発」 程度の理解に貶められている (5) 。 また、 『Our Common Future』 では、 この定義に続けて次のような 「ニーズを満たす」 に関する説明がされている。 「ニーズを満たすとは、 貧しい人々が多数派を占めるような国々が新たな経済成長をするというだけでなく、 その貧しい人々が成長を維持するために必要な資源の公正な分担を受けられるようにすることである」。 つまり世界の全ての人が基本的に必要とするものを手に入れられるという意味なのだが、 単に 「欲求を満足させる」 という意味でとらえられることがある (6) 。 地球 3 個分の資源消費が前提となる現在の 「先進国」 の 「欲求」 をそのままにする限り、 いかに工夫しようとも 「持続可能な開発」 は成り立たない (7) 。 公正な分担のためには、 根本的な変革が必要なのである。 決定権の問題もある。 経済力格差がそのまま決定権の格差となって現れるシステムでは、 資源の公正な分担は望めない。 そのためには 「平等」 あるいは 「民主主義」 という概念が密接に絡んでくる (8) 。 それらを支えるものとしては 「平和」 「人権」 といった概念も不可欠である。 「持続可能な開発」 とは、 ただリサイクルや省エネをしていればよいというものではない。 この言葉には、 世界中の、 現在および将来の人々すべてが幸福に暮らすことへの強い意志が反映されているのである。 永続可能な発展 この 「持続可能な開発」 という訳語にも問題はある。 この訳語は 「原語に含意されている長期的な視点を欠いており、 行為の主体ではなく対象に向かう意識がある」 として、 かわりに 「永続可能な発展」 という訳語を使っているのは中村尚司である (9) 。 確かに、 英語のsustainableにあるバランスを保つという語感が、 「持続可能」 ではそれがより強い力に置き換えられており、 「永続可能」 の方が元の語感に近い。 「開発 (10) 」 という言葉も、 日本では明治以降、 西洋に追いつく近代化の過程で、 満蒙開発、 北海道沖縄開発、 長良川流域開発など、 もっぱら上から行う事業にこの言葉を使ったという経緯があり、 必ずしもよい方向にとらえられない (11) 。 そうした意味では私は中村尚司の訳語に与するが、 sustainableが日常語であるのに比べて 「持続」 と 「可能」、 「永続」 と 「可能」 の組み合わせは普通の日本語ではなく、 違和感はぬぐえない。 しかも、 事実としては、 すでに 「持続可能な開発」 が主流の訳語として定着してしまっている。 いずれにしても、 こうした言葉の問題が 「持続可能な開発」 というコンセプトが普及しない原因のひとつになっていることは確かである。 持続可能な開発のための教育 「持続可能な開発のための教育(ESD)」 が国際社会で大きく取り上げられるきっかけとなったのは、 1992年のいわゆる地球サミットだった。 サミットにおいて決定された環境に関する行動計画 「アジェンダ21」 の中に教育と意識啓発をうたう章があり、 その中に 「教育は持続可能な開発を推進し、 環境と開発の問題に対処する市民の能力を高めるうえで不可欠である」 「教育はまた、 持続可能な開発にそった環境および倫理上の意識、 価値と態度、 そして技法と行動様式を達成するために不可欠である」 と書かれている (12) 。 これが、 環境と開発を結びつけるESDの出発点となった。 この 「アジェンダ21」 を受けて、 ユネスコは1997年、 ギリシャのテサロニキにおいて国際会議を開催し、 その宣言文 (『テサロニキ宣言』 (13) ) の中で次のように表明した。 「持続可能性のコンセプトは、 環境だけでなく、 貧困、 人口、 保健衛生、 食の確保、 民主主義、 人権そして平和を含む。 持続可能性は、 (中略)道徳と倫理の課題である。 (第10節)」 「環境教育は (中略) 環境と持続可能性の教育ということができる (第11節)」 これが現在のESDの基礎となっている。 「アジェンダ21」 は、 国単位、 地域レベルでそれぞれのローカルアジェンダを設定することを求めていた。 それを受けて、 神奈川県でも1993年 「アジェンダ21かながわ」 が策定され、 2003年にはヨハネスブルグサミットを受けた改訂版の 「新アジェンダ21」 が策定された (14) 。 その目標20 「行動につながる環境教育・環境学習を推進」 の項は次のようになっている。 「持続可能な社会づくりに向けて、 従来の自然観察、 ごみリサイクル、 省エネルギー等の知識活動にとどまらず、 経済と環境の相互関連、 環境問題のつながり原因を地球規模で考え、 あらゆる場面で自ら考え、 選択して行動する人を育てる教育学習を実践します。」 このアジェンダは市民が大きく関わって作られたものだが、 主導が環境系NGOであったために環境教育の枠をあまり出ていない。 しかしながら、 持続可能な社会のための行動を目指した教育学習実践というとらえ方においては、 正しい理解を示している。 田中治彦は、 ESDをつぎのようにまとめている。 「1. 持続可能な開発のための教育は、 環境教育、 開発教育、 人権・平和教育の 3 つの柱から成り立つ。 2. 持続可能な開発のための教育は、 「共生と公正を基本とした循環型の社会づくり」 を目的とした教育学習活動である。 3. 持続可能な開発のための教育の目標は、 「公正」 「共生」 「循環性」 を実現する社会づくりに 「参加」 することができるような能力や態度を養うことである。」 (15) ESDとは、 知識ではなく、 行動する市民を育む教育なのである。 そしてそれは、 世界中で繰り広げられるべきものである。 ESDと 「先進国」 における教育 ところが肝心の日本政府は、 DESDが日本の学校教育、 あるいは日本の市民に対する教育を含むとはとらえていない。 前述のサミットにおける演説からして、 日本で成功した教育を途上国に広げる、 という内容になっている。 サミットで約束した2500億円については、 首相官邸のウェブページは 「低所得国に対し教育分野において今後 5 年間で2500億円 (約20億ドル) 以上の支援を実施」 (16) と発表しており、 ODA予算に組み込むことを前提にしている。 政府はつまり、 DESDを専ら 「途上国における教育」 と考えていることになる。 一方、 英国政府が1998年に政府の諮問機関として設立した 「持続可能な開発のための教育委員団」 は、 ESDを次のように定義している。 「持続可能な開発のための教育とは、 地球の未来を損なうことなく生活の質を高めるための知識、 理解力、 そして地域および地球規模での個人および集団における決定に参加できる価値観を養うこと」 これを受けて、 教育省によるナショナルカリキュラムは、 個人・ローカル・国・グローバルという 4 つのレベルでESDに対する理解と行動ができる生徒を育てるとする方針を打ち出した (17) 。 具体的には1相互依存、 2シチズンシップと奉仕精神、 3将来のニーズと権利、 4多様性、 5持続可能な変化、 6行動への理解と準備 という 6 項目を組み入れるとし、 各教科の中でそれを展開する実践例も示している (18) 。 「持続可能な開発」 には 「先進国」 での教育こそ重要、 ととらえているのである。 日本では、 文科省、 地方教育委員会のいずれにおいてもこうした動きはまったくない。 国が学校のカリキュラム指針を作ることには英国でも異論があるが、 政府レベルでの活動として見る限り、 リーダーたるべき日本は大きく出遅れている。 日本国内の市民の動き 日本では2003年、 市民側の動きをまとめるものとして、 「持続可能な開発のための教育の10年推進会議 (ESD-J)」 が発足した。 この組織は当初、 環境系NGOを中心としたネットワーク組織として動き出したが、 次第にその他のNGOの声も拾い上げるようになった。 さらに2004年 6 月NPO法人化するにあたっては個人会員の権利も認め、 ひとつのNGOとしての機能が大きくなっている。 現在は、 ESDの動きの中心となるべく、 活発な活動を続けている (19) 。 ESD-Jの誤算は、 日本政府の対応が読み切れなかったことである。 ESD-J結成のそもそもの目論見は、 政府予算に組まれるであろうESD予算の受け皿としての機能を果たすことであった。 しかしながら、 前述の通り政府の国内向け活動の動きは鈍く、 環境教育関係の予算は組まれているものの、 ESD-Jが食い込む余地はない。 現在のところESD-JはODA予算の一部である環境事業団のプロジェクト支援資金によりプロジェクトを実施している状態だ。 そうした中で、 ESD-Jは、 ESDのコンセプトを各地に広めるために全国展開プロジェクトとして地域セミナーの開催を呼びかけてきた。 2003年度には全国15ヶ所で開催され、 2004年度にも各地で開催されることになっている。 神奈川県内では、 2004年 7 月、 神奈川高教組開発教育小委員会および環境小委員会が中心となって、 地域セミナーに準ずる会合を開催した。 これは開発教育関係者と環境教育関係者が一緒になり、 農業実践者やスローライフを標榜する小企業、 自然の中での人間関係づくりセミナーを行う企業なども参加するというユニークなものであった。 しかしながらいかんせん小規模で、 流れを形作っているとはいいがたい。 現在ではこの準備組織が実質的な 「かながわESD」 と言ってよく、 2005年に向けて、 より一層充実した活動を行うことが目指されている。 世界の動き 開発教育をもっとも早い時期から進めてきた英国では、 政府内のESDに向けた動きも90年代後半から始めていた。 英国政府は現在、 「持続可能な開発」 専用のウェブページをつくり、 次々と新しい情報を付け加えている (20) 。 ここでは、 ホームページにおいて 「英国内でも世界全体でも同時的に目標を目指す」 と表明しており、 10項目ある原則の第 1 番目に 「人々を中心におく (putting people at the centre)」 ことが書かれている。 学校や市民の活動も活発で、 ESDの考え方は着実に根付きつつある。 国際機関では、 世界銀行が援助活動の一環としての教育支援活動を行っている。 ユネスコは、 国連でDESDのリード・エージェンシーと位置付けられたこともあり、 さまざまなイベントを企画して各国の取組をうながしている。 ウェブページではDESDの解説の他、 詳細な説明のついた大部の教材キットを発表したり、 その基礎となる情報を紹介したりと活発な動きをしている (21) 。 このユネスコのウェブページからはまた、 世界各地の取組状況も見ることができる。 現在のところ個別の国ごとの動きは把握されていないが、 来年になればさまざまな動きがここで報告されることになろう。 結語 ESDは、 これからの世界と地球の未来をかたちづくる 「学び」 であり、 50年後、 100年後の世界にまで及ぶ価値観を形成していくものである。 これからの10年、 市民社会における主体的な取組と共に、 学校現場における幅広くかつ奥深い教育活動が必要となる。 最後にユネスコによるESDの目標を引用して結語とする。 「持続可能な開発のための教育とは、 われわれの生き方について学ぶことであり、 近くのそして遠くの、 現在のそして未来の人々に対する敬意の払い方を学ぶことでもある。 そしてわれわれの回りの世界に対する態度を学ぶことである。」 【註】
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(おの ゆきお 教育研究所員) |