寄稿 | ||||||||||||||||||||
学校・家庭・地域を紡ぐ学校通信・学校だより 綿 引 光 友 |
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1 はじめに 筆者は 『ねざす』 30号で、 各学校における 「年間活動総括集」 ともいうべき学校研究紀要づくりを提唱した(1)。 紀要は日頃の教育活動の内容を検証するための重要な資料となるが、 1 年分をまとめるためにはかなりの時間と労力が必要となる。 そこで今回は、 紀要の基本データともなるであろう学校通信・学校だより (以下、 学校通信と記す) づくりを提起しようと思う。 「開かれた学校づくり」 が叫ばれて、 説明責任が強く求められる今日、 さまざまな手段や方法による情報発信の必要性が期待されている。 そうした情報発信・情報提供の 1 つとして、 学校通信を位置づけ、 筆者の目にとまった実践をいくつか紹介した上で、 学校通信の有効性と発行するにあたっての留意点などにも言及したい。 筆者は、 ちょうど 5 年前になるが、 学年通信に関する実践報告を本誌に執筆した(2)したがって、 本文は学年通信、 学校紀要に関する小文とあわせると、 いわば 3 部作の 1 つとなる。 小文がきっかけとなり、 少しでも実践の輪が広がれば、 これにまさる喜びはない。 2 校長が作る学校通信 詳しく調べたわけではないので断定的には言えないが、 多くの小・中学校では月に 1 回くらいのペースで学校だよりを発行している。 高校ともなると、 あまり見かけることは少ないが、 まずは筆者の周囲で見つけた学校通信を紹介してみることから始めたい。 数年ほど前のことであるが、 大学の先輩がある県立高校の校長に昇進したので、 ちょうどその高校への出張の折、 校長室を訪ねたことがあった。 そのとき、 B 5 判大の校長だよりを見せていただいた。 校長の机の上には、 4 つ折りされた校長だよりが高く積まれてあった。 PTAが保護者あてに文書を郵送する際に、 校長だよりを同封しているとのことで、 保護者の反応もまずまずとの話だった。 ほぼ同じ頃、 私が住む市内のある県立高校の校長が発行している校長通信を市役所で見つけた。 部活動の試合の様子などが書かれてあったと記憶している。 約20年前にさかのぼるが、 県立S高校の校長は、 新設校での 4 年間にも及ぶ在職期間中、 ほぼ月 1 回のペースで、 手書きの学校通信を出し続けていた(3)。 日常の学校・生徒の生活ぶりを伝えたり、 教育について親と教師が思索をめぐらしたい諸問題を取り上げているが、 保護者からの反応・応援も多くあったとのことである。 退職直前の最終号 (43号) は、 次のようなことばでしめくくられてあった。 「新設高校づくりにはこのような業務報告書めいたものが必要だったかもしれませんが、 来年度は、 もう 5 年目、 もっと違ったものが―」 ただし、 2 代目以降の校長がこのような学校通信を出していたかどうかは、 確認できていない。 今春の卒業式の日、 卒業生の保護者の紹介により、 ある私立通信制高校の教頭 (この高校では、 校長は本校にいるようなので、 実質的には校長格) が週 2 回ずつ教員向けに発行していた 「通信」 (「教頭通信」 と呼ぶべきか) の全号 ( 2 年分で64号) を収録した分厚い冊子(4) の存在を知った。 早速連絡をとって、 1 冊分けていただいたが、 「私の能力を総動員して書き続けた」 (まえがき) とあり、 その内容は豊富な経験と実践に裏打ちされたものであった。 切り口が多彩で、 しかも説得力のある文章や刺激的な問題提起が掲載されており、 一気に読んでしまった。 この著者も現役時代には、 学級通信を熱心に発行されていた教員 (中学) であることもわかった。 『村長通信』 は、 3 年分の日刊・校長通信の中から、 その抜粋を単行本としてまとめたものである(5)。 高校における校長通信や学校通信が公刊されている例はほとんどなく、 そういった点では、 およそ10年前の実践とはいえ 『村長通信』 の存在は貴重であろう。 著者は私立東野 (ひがしの) 高校 (1985年開校、 埼玉県入間市) の校長だが、 「田舎の土着の村長の如く村民 (生徒・教職員) とともに行動すべきである」 (序) との信念から、 自らを 「村長」 と称し、 その村長が発行するので 「村長通信」 と名付けたという。 著者は、 現場の教員時代 (国語科担当) にも日刊の学級通信や学年通信を出し続けていたというが、 そうした経験の蓄積があったからこそ日刊・村長通信の発行が可能であった。 学級通信・学年通信づくりを 「教員稼業の中でも最も楽しい仕事の一つ」 であり、 「繁務にかかわりなく愉快な仕事」 であるとさりげなく述べている。 毎日出し続けることは、 凡人にとっては 「苦しみ」 に他ならないが、 それを 「最も楽しい仕事」 と表現するこの著者の考え方には脱帽させられた。 「教員がそれを読んでくれて、 これは学級通信や学年通信などのネタに使えると判断したら、 遠慮なく転載してくれ、 (略) 無視しても一向にかまわない…こんな態度で出発した」 (序) とあるように、 村長通信は、 非常勤を含む教職員に向けて書かれている。 なぜ対象を教職員に限定したかについては、 2 つの理由をあげて説明している。 そのうちの 1 つの理由としては、 「校長文書なるものが連日直接生徒に手渡されるとあっては、 担任は面白くない」 「独自の学級通信を出そうとする意欲が阻害される」 とあるように、 各担任の 「自律自主の精神を失う」 ようなことがあってはならないとの考えに基づくものである。 あとがきには、 「村長という仕事はなかなか緊張を要するので、 ややもすると険悪な形相になり勝ちである。 それをほぐすためにも、 そして精神の均衡を保つためにも、 私は内的衝動に駆られてこれを書き続けた」 とあった。 さらに驚くことには、 「遊びの精神」 で村長通信を発行してきたというのである。 「私は教育現場に居ながら、 一日に一時は必ず遊んでいたのである」 とも記されている。 自然体で楽しみながら、 日刊の村長通信すなわち校長通信づくりに取り組んできたとも述懐している。 以上、 管理職自らが作成した学校通信・校長通信の実践例を紹介したが、 こうした管理職のほとんどは教員時代に学級通信や学年通信などを発行した経験をもっている。 校長通信・学校通信には、 教職員向けと保護者向けの 2 つのタイプがあるが、 配布対象をどちらにするかによって、 その内容は大きく変わってくる。 教職員向けの場合、 それを教職員がどう受け止めたかが気になるところである。 3 ある埼玉県立高校の取り組み 埼玉県のある県立高校 (以下、 A高校と呼ぶ) では、 開校以来なんと24年間にわたって 「週報」 と題する 「学校通信」 が刊行され、 現在も継続中とのことだ(6)。 この 「週報」 の形式は、 B 5 判、 4 ページ立て ( 1 号につき、 400字詰め原稿用紙に換算して10枚相当の文章と数枚の写真・図版が入る) で2,200部印刷し、 全校生徒、 教職員、 近隣の小・中学校に配布されている。 基本的な様式は、 1 面が校長の巻頭文 (800字程度)、 2 〜 3 面はその時々の記事を掲載し、 4 面は 4 コマ漫画 (同校マンガ研究部員が担当) と部活動レポートとなっている。 たとえ月刊ペースであっても、 四苦八苦しながら学年通信を発行し続けた経験をもつ筆者からみれば、 週刊というのは、 先に紹介した 「村長通信」 もそうだが、 まさに驚異というか、 奇跡に近いと言ってもよいだろう。 しかも 「週報」 は 「24年間継続発行」 してきたというのだから、 さらに驚嘆する。 A高校は、 偏差値的序列でいうと中間に位置する 「ふつうの高校」 とのことだが、 誤解を恐れずにいえば、 「普通の高校」 における 「普通とは思えない実践」 と表現してもよいかもしれない。 誰もが、 「ここまではできない」 と尻込みをしてしまうが、 当事者はそれほど苦労とは思っていないというから不思議である。 もちろん、 苦労だと思わないからこそ、 24年間も続けられたに違いないのだ。 24年間という継続性が 「独特のステイタス」 を与えているということだが、 その一方で、 「『週刊』 というだけで、 その性格と内容が必然的に変わる」 とも書かれている。 すなわち、 「『学校側からの必要な情報提供』 の手段から、 『学校にかかわる様々な人々との情報と意見の交流の場』 への変質」 がはかられるというのである。 にわかには信じがたい気もするが、 「毎週紙面を埋めるのは大変だろうと言われることがあるが、 そんなことはない」 のだそうだ。 24年間という歴史と伝統の重みはやはり違うということなのであろうか。 この 「週報」 は、 もともとは開校当時の校長が一人で作成していたものを、 それでは大変だということで教務部の広報係が担当するようになったとあった。 印刷は業務職員 3 人が引き受け、 発行日は毎週金曜日と決まっている。 レイアウト作業にはパソコンを駆使し、 編集専用のDTPソフトを使用しているとのことである。 この実践から学び、 遠く及ばなくても、 少しでも近づくよう努力することは可能ではなかろうか。 4 情報発信・情報提供と学校通信 「県立高校改革推進計画」 (1999年11月) には、 「各学校が地域に親しまれて地域のみなさまの学校に対する積極的な情報発信に取り組む」 よう謳われていた。 さらに県教委から示された 「平成15年度県立高等学校 学校運営の重点課題」 には、 「開かれた学校づくり」 の項が設けられ、 次のように書かれてあった。 「(略)各学校の教育方針や特色ある教育内容を中学生やその保護者、 中学生、 さらには広く県民に周知するとともに、 地域の方々の高校に対する理解をより深め、 高校が地域に親しまれ、 地域社会の一員となることができるよう、 積極的な情報発信に取り組む必要がある」 さらに今年度 (2004年度) の 「重点課題」 には、 「学校運営において 『情報発信』 が大切なキーワードとなります」 とあった (前年度のキーワードは 「評価」)。 しかし、 来年度から学区の撤廃がなされ、 「全県 1 学区」 となるが、 そうした制度下では 「地域に親しまれ、 地域社会の一員となること」 はかえって困難となるだろう。 学区撤廃は 「地域に開かれた学校づくり」 とは逆行するものであろう。 04年 1 月に県教委がまとめた 『学校評価システムの手引き』 にも、 「情報提供の企画」 の項に 「学校案内、 学校要覧、 学校だより、 ホームページ、 PTA広報などを利用して、 学校目標とその取組の内容や学校評価の公表を企画します」 と示されている。 一方、 2 年前の02年 3 月、 「高等学校設置基準」 の一部改正がおこなわれ、 その 4 条の 2 において 「当該高等学校の教育活動その他の学校運営の状況について、 保護者等に対して積極的に情報を提供するものとする」 との一項が挿入された。 文科省の通知文によれば、 情報提供の具体的方法として 「学校便りの活用や説明会の開催、 インターネットの活用など」 が例示されている。 文科省の全国調査(7) からも、 情報提供の実施方法として最も多いものが 「学校便り」 (複数回答だが、 83%の学校が取り組んでいる。 このあとは、 「学校評議員に説明」 45%、 「ホームページに掲載」 36%が続く) であるということがわかった。 今や、 すべての県立高校間で競いあうかのようにカラフルな学校案内が作成され、 中学生や保護者に配布されるようになった(8)。 キーワードでもある 「情報発信」 を具体化するためにも、 学校通信を発行すれば、 日常的な学校案内 (情報提供) が可能となり、 「閉鎖的で学校の実態が見えにくいという批判」 (重点課題) にも積極的に応えることになるだろう。 5 学校頼りを生み出す学校だより 以前、 周年記念誌づくりにかかわった際、 生徒指導上の取り組みとして、 教職員がタバコの吸い殻拾いを行っていることを記念誌に記載しようとしたところ、 問題となった。 管理職から呼び出され、 「そのような学校の恥部は書くべきではない」 と言われ、 印刷に入る直前に全面カットとなった。 このような例からも明らかなように、 学校側にとって都合のよい情報しか提供されないといったことが起こりうるが、 そうであってはならないであろう。 すなわち、 情報発信にあたって考えなければならない留意点の 1 つとして、 キレイごとを並べただけでは、 学校づくりや学校改革にはつながらないということである。 何のための情報発信・情報提供かをよく考えることが重要である。 2 つ目としては、 学校側から発信される情報ばかりとなってはならないということである。 発信以上に受信も大切なのである。 そのためには、 学校も教職員も今まで以上に感性を鋭く研ぎ澄まさなくてはならない。 保護者・生徒、 さらには地域の関係者が発する 「声なき声」 をすくい上げ (「スクープ」 とは 「特ダネ」 との意味が一般的だが、 もともとは 「すくい上げる」 との意味がある)、 学校通信の紙面にどんどん掲載していくのである。 ときには学校に対する批判も含まれていることがあるが、 賛成意見も反対意見もできるだけ同時に載せ、 そこから議論をまきおこしていくのである。 いうまでもなく、 学校や教職員がいくら努力しても解決困難と思われる課題が山積している。 だからこそ、 学校が直面している課題や困難を率直に示し、 それらを直視し、 学校や教育のあり方についてともに考えていくことが重要である。 学校と家庭・地域が共育・共創の関係を築きあげることができれば、 お互いの信頼関係はより確固としたものとなるであろう。 そのような 「学校頼り」 (学校への信頼) を生み出すような学校たより (学校通信) の発刊が待たれるのである。 3 つ目としては、 埼玉のA高校のような 「週刊化」 は無理でも、 継続的に発行する 「習慣化」 を追及していくことであろう。 市町村が出している広報の多くは月 2 回刊となっているが、 それくらいのペースはキープしたいところである。 「日々是戦場」 などと書くと誤解を招くが、 それほど学校現場は何かに追いまくられて忙しく、 そして教員は休憩時間もとることなく目まぐるしく動いている。 だから逆に、 ホットな話題や情報には事欠かない。 それらを 「スクープ」 すれば、 紙面は自ずと埋まるのではなかろうか。 4 つ目には、 これもA高校で取り組まれたことだが、 学校通信担当の係を校務分掌上にきちんと位置づけることが重要である。 たった 1 人でも、 3 年間にわたって日刊・学級通信を出し続ける強靭な教員もいるが、 学校通信は組織的・集団的に取り組まなければ長く継続させることはできない。 学校通信は、 『村長通信』 の校長が言ったように、 「遊びの精神」 でもってできるほど簡単なものではないだろう。 ましてや初めて取り組むとなれば、 なおさら困難がつきまとう。 苦労や困難が多いかもしれないが、 発信した情報が大きくこだまして戻ってくれば、 「愉快な仕事」 に思える瞬間が味わえるだろう。 先にもふれたが、 「何のために学校通信を出すのか」 を絶えず反芻しながら、 ときには 「遊びの精神」 も発揮し取り組めば、 重荷には感じないのではなかろうか。 6 おわりに 高校でも学校通信を発行するというのは、 従来の価値観・学校観で見れば、 「非常識」 と切り捨てられたに違いない。 しかし今日、 オーバーな言い方かもしれないが、 その 「非常識」 が 「常識」 へと転換しようとしている。 もちろん従前より各学校にはPTA広報紙が存在し、 それが学校広報の重要な一翼を担っている部分もあった。 しかし、 今まで以上の号数を出すようPTAに求めることは財政的にも労力から見ても限界がある。 したがって、 PTA広報はPTAの活動を記録し、 情報発信すればよいのであるから、 新たな役割を担い発刊される学校通信とバッティングすることはないと思われる。 ところで、 「説明責任」 との名の下で、 かつてないほど事務量が急増し、 書類の束が増えている。 そうしたなかで新たに学校通信づくりを提唱しても、 反発を招くことは必至であろう。 トップダウンではなく、 あくまでもボトムアップによって議論を尽くし、 「何が子どもにとっての最善の利益か」 との子どもの権利条約の視点にたって、 吟味し、 結論を導けばよいのである。 そして合意に至れば、 実践に移すのだ。 今春開校したF高校では、 昨年度、 新校づくりに向けた取り組みを知ってもらおうと、 学校案内とは別にカラー刷りの 「高校ニュース」 を作成し、 地域の中学校に配布した。 4 月以降、 継続発行されているかどうかは不明だが、 こうしたものをベースにさらに紙面構成に工夫を凝らし、 内容の充実をはかれば、 学校通信へとバージョンアップをはかることができるだろう。 ほとんど情報が入ってこないが、 私立高校では生徒確保という経営上の課題もあり、 広報活動には公立以上に力を入れている。 こうした私学のすぐれた実践や取り組み(9) からも謙虚に学ぶべきであろう。 最後に、 小論の目的からはずれるかもしれないが、 「説明責任」 が強調されるなかで気になっていることがあるので、 脇道に逸れるのを承知で言及しておきたい。 県が示しているガイドラインによれば、 学校要覧の保存期間は30年だが、 学校日誌は 5 年と定められている。 学校日誌こそ、 各学校の毎日の教育活動を細かく記録した唯一の公簿のはずだが、 それがわずか 5 年で廃棄処分となるのである。 これでは仮に、 5 年以上前の教育活動に対する 「説明」 を求められても、 「責任」 を果たすことができない(10)。 多くの学校が10年単位で周年行事を実施し、 それに合わせて校史 (記念誌) の編纂を行うが、 その際にも不都合が生じることは自明である。 学校日誌こそ永久保存に値する一級資料だと思われるが、 なぜかそのようには考えられていない。 ならば、 学校通信があれば、 そのバックナンバーをもとに、 校史を編むしかないのかもしれない。 【註】
浦野東洋一編著 『学校評議員制度の新たな展開』 学事出版、 2001年10月 浦野東洋一 『開かれた学校づくり』 同時代社、 2003年 1 月 坂田仰・加藤崇英・藤原文雄・青木朋江編著 『開かれた学校とこれからの教師の実践』 学事出版、 2003年 4 月 小島弘道編 『学校における 「情報提供」 と 「外部評価」 の進め方』 (教職研修総合特集 NO.160) 教育開発研究所、 2004年 2 月 |
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(わたひき みつとも 県立相模原高等学校教員) |