市民社会・断想
黒 沢 惟 昭

 教育事象の分析のために長年 「市民社会」 をキーワードにしてきたがその内実は多様で私にとってなお明らかでない面が多い。
 私が初めてこの語を意識的に耳にしたのは40年以上も昔、 大学時代に高島善哉先生の 「社会科学概論」 を聴講した時であった。 当時はマルクス主義も健在で、 ソ連のガガーリン少佐が乗った世界初の有人人工衛星が打ち上げられた際の衝撃は、 少佐の言葉 「地球は青かった」 とともにいまも記憶に残っている。 したがって、 社会主義の祖国ソ連はなお勢威を誇り、 抑圧された人々にとって 「希望の星」 であった。 そんな時代だったからご多聞にもれず私もマルクスを、 その関連でヘーゲルの著作をかじり、 社会主義に関心を抱いていた。 ところが、 マルクスによってもヘーゲルによっても 「市民社会」 (「ブルジョア社会」 という訳語もあった) は総じて 「ネガティブ」 に捉えられていた。
 そういう時代的風潮のなかで、 しかし高島先生の市民社会は全面的に 「ポジティブ」 であった。 講義のテキスト 『社会科学入門』 にも 「市民社会とは自由で平等な人間が取り結んだ社会のことである」 と書かれている。 その後、 この懸隔に悩んだこともあったが、 水田洋氏の指摘をまつまでもなく、 高島先生の市民社会把握はスミスの 『国富論』 に由来することを勘考すれば必然的帰結なのだということに気づいた。 そこでは階級対立をふくみながらもなお、 「調和的な発展が可能な近代社会をさすもの」 と考えられていたからだ。 だが同じスミスの系譜でも内田義彦氏は、 『道徳感情論』 の文脈で市民社会を捉えたために 「ヒラの市民関係」 を強調する。 とはいえ高島先生にしても、 内田氏にしても、 社会主義とは、 「市民社会の満面開花のうえに築かれる」 もの、 そのように市民社会が構想されていたに違いない (渡辺雅男編 『高島善哉・その学問的世界』 所収の水田氏の稿参照)。
 以上のような考え方は、 その後平田清明氏が、 『市民社会と社会主義』 において一層詳細に、 しかもスミス研究ではなくマルクスの内在的研究から展開したことはよく知られる。 要目をいえば、 社会主義とは、 一党独裁や専制的国家主義によってではなく、 市民社会の拡充によって−マルクスの用語に従えば、 「国家の市民社会への再吸収」 によって−実現されるべきものだという主張であった。 そのキーワード 「個体的所有の再建」 は一時期この国の知的流行語になったことを記憶する読者もいるだろう。 後に、 この書についての書評は100以上もあったと平田氏は私に語ったが、 氏が高島先生の高弟であり、 その土壌の中で知的形成を遂げた経緯を想えば市民社会と社会主義との親知的接合は必然的な思想の結実だったともいうよう。
 その後私は大学院を出て最初の赴任先でイタリア現代史研究の第一人者重岡保郎氏の知遇を得、 グラムシの市民社会論へ関心を向けられた。
 それは、 前述の 「国家の市民社会への再吸収」 を独特のヘゲモニー概念によって具体化しようとする点で全く斬新な構想であった。 「ヘゲモニーは全て教育的関係である」 とグラムシが説明するように、 ストレートな暴力によってではなく日常的説得によって、 合意を拡大しつつ現存の秩序を組み換えることを通して新しい社会を創り出そうという志向であった。 そして様々な立場に依拠するそれぞれの集団によるヘゲモニー獲得を目指す抗争の 「場」 こそが市民社会なのだとグラムシは捉えたのである。 諸関係の組みかえによって、 新しい社会秩序オルディネ・ヌォーボをというグラムシの考え方はこれまでの社会変革の理論に一大画期をもたらしたと私は思う。 アルチュセールのイデオロギー装置論、 フーコーの言説の理論、 国家を 「関係の凝集」 とみるプーランツァスの学説もラクラウの言説の接合論もグラムシの市民社会とヘゲモニー論の影響が色濃く漂っている。 教育に引きよせてみれば、 アップルやジルーのカリキュラム論もいうまでもなくヘゲモニーの教育への適用である (アップルが来日したときに私はこのことを彼に直接確めた)。
 89年に至り、 ベルリンの壁が瓦解し、 多くの社会主義国家が消滅した。 その後91年には本家本元のソ連邦も70余年の命脈を断たれた。 大きな驚きであった。 その頃、 私は某誌のインタビューに対して、 一連の事件は 「国家の市民社会への再吸収」 の典型例だと答えた記憶がある。 これに対しては余りに牽強付会ではないかという批判もうけた。
 しかし、 最近の市民社会研究によれば、 ソ連・東欧社会主義の崩壊以降、 市民社会論が盛んになり、 その文脈で内田義彦、 平田清明そしてグラムシの市民社会論も改めて脚光を浴びていることを知った (高畠通敏編 『現代市民政治論』、 篠原一 『市民の政治学』 などを参照)。 そうであれば、 当時の私なりの 「総括」 も存外的外れではなかったとも思うのである。 暗い日本ファシズム、 イタリアファシズムの最中で構想された市民社会論がスターリン主義の抑圧を経験した人々の心に響くものがあったことに私は感慨を禁じえない。
 だが現代の市民社会論はもはやエートスをベースにする 「思想」 や 「論」 を超えて実際に則した具体的な政策や組織などの運動論と接合するものに転成している。 こうした期待に応えようとした新しい理論家として久野収、 鶴見俊輔が挙げられる。 いずれもマルクス主義者ではなくアメリカのプラグマティズムの影響を受けた思想家である。 また、 ロックの市民革命の研究によって、 都市の住民自治運動論を展開した松下圭一の 「市民社会」 の再構築も注目される。 これらの人々の業績についてここでこれ以上述べる紙巾はないが、 スターリニズム、 ファシズムの悲惨な経験を経てようやく、 「市民社会」 に基づく新しい社会形成へ向かいつつあるのではないか。
 たしかに、 長期的経済の低落傾向、 グローバリーゼーションの拡大・進展、 ネオリベラリズムの猛威は凄まじいものがあるが世界に目を向け、 この国の各地を巡るとこれに対抗するヘゲモニー運動も看取できる。 これらへの連帯とグラムシが好んだロマンロランの言葉 「知性のペシミズム、 意志のオプティミズム」 を胸に市民社会に今後とも関心を抱きその創成にアンガージュしていきたいと念う。

(くろさわ のぶあき)