シンポジウム概観
                                       武 田 麻佐子

 「改革」 ばやりの昨今、 教育や青少年の困った現状に対して、 「とにかく教育改革が必要」 という前提があり、 自分の経験した学校観、 青少年の問題行動、 閉塞状況の経済、 そんなものをそれぞれが勝手に念頭におき、 「教育改革」 を論じている。
 ある者にとってはそれは道徳涵養であり、 ある者にとっては個性尊重であり、 ある者にとっては民営化や経営効率であり、 またある者にとっては職業人としての能力養成だったりする。 冒頭、 コーディネーターから、 教育改革に前向きになれない教員の姿が指摘されたが、 多くの教員はそんな雑多で矛盾する要求を前にとまどっているのではないだろうか。
 さまざまな問題を盛り込んでいるこの 「教育改革」 というものを、 現場にねざした視点から考える目的で開催したのがこの集会であった。 そのためシンポジストも、 再編対象校の教員・地元新聞社の記者・教育社会学の研究者にお願いした。
 3人のシンポジストからの、 総合学科への改革を推進する困難さ、 若者像と市民から期待される学校の役割、 現在の社会状況と中位階層以下の危機、 などの発言に加え、 参加者からも希望者全入時代の学校のあり方、 各学校の特色の偏りと学校間競争、 人生における再学習の場としての高校など活発な発言があった。 また、 シンポジストから教育改革の論点を明確化することの重要性も指摘された。
 学力低下論と結びついた教育改革の論議は、 国際的な経済競争に勝ち残るための人材作りや、 選択の自由と自己責任という美称の下に進むふりわけに傾きつつある。 一方で従来のシンポジウムでも指摘されてきたように、 社会の階層化と教育格差も拡大してくる。 今回の議論を聞きながら、 そんな今だからこそ、 学校のあり方や公立学校の魅力は何なのかがもっと考えられるべきだと感じた。 それは、 公立学校同士が生徒の奪い合いをしたり、 私立学校や教育産業と競争したり対決したりすることを意味していないはずだ。 変革の激しい社会においてはシンポジストが指摘したように、 「技能はすぐに陳腐化する、 興味関心はすぐに劣化する」。 学校は社会で役立つ知識を獲得する場所だけではなく、 そこで人間同士の関わりや問題解決の筋道があることを知る場所、 そして、 心豊かに生活する場所としてあるのではないか。 現状では公立学校の魅力は、 「経済的な負担が少ない」 としか捉えられていない傾向があるが、 多様な社会的背景や個性を持つ人間が共に生きる場としてあることがもっと宣伝されてよいだろう。
 現場教員からは 「改革」 への批判は大きい。 具体的検証もなく論じられる青少年犯罪の増加、 学力観を論じないままの学力低下論、 条件整備を欠いた普通科への職業教育の導入、 押し寄せる情報公開と教員や学校への業績主義的な評価など、 現場に負担を強い混乱させるものはあまりにも多い。 県段階でもほとんどの再編校の計画が、 現場からではなく教育委員会サイドから発表され、 その後遺症も続く。
 しかし、 従来のあり方がベストかと問われれば、 是とはいえないだろう。 教員はどのような高校のあり方を頭に描いているのか。 それは、 かつてのいわば旧制中学的教養を身につける場としての教育や、 卒業後の進路をめざした教育かもしれないし、 ドラマの熱血先生のような教育かもしれない。 教員間でも高校入学適格者主義はまだ残る。 改革など要らないという雰囲気も現場にはあるように感じる。
 確かに 「改革」 は上からやってくるが、 教員たちは目の前の実態を元にした具体的な発想や工夫をもっと生みだしてもよいはずだ。 教員たちの強みは、 現場を知っていることである。 シンポジストも、 総合学科でできることを考える必要性を訴えていたが、 制約の中でもやれることはまだまだあるだろう。 また、 一旦高校から身を引いた人間も学校生活のやり直しのできるシステムももっと考えられてよいし、 それを実際に機能させるための市民への広報や経済支援などを含めた政策も重視されてよい。
 最後に石川氏が指摘したように、 ここ数年が、 戦後日本の一つのターニングポイントになるだろう。 学校はどのような市民を育成するかが問われていく。 教育基本法と憲法 「改正」 への動き、 少年犯罪に対する対応の変化など、 教育や若者をめぐる状況は変えられようとしている。 学校の情報公開・業績評価もすすむだろう。 教育や社会をめぐる論議を教員のみで行っていてもどうにもならない。 教員と市民とが対等に論議する場として、 シンポジウムをうまく機能させたい。
 時節柄、 近隣でもさまざまな集会があったことを差し引いても、 参加者約60名というのはさびしい数字である。 その中に一般市民は何人いただろうか。 元教員や取材等のための参加者を除くとかなり少ないだろう。 今後、 教育研究所はその存在と活動を広く発信できる方途も模索していかねばならないと痛感した。

   
(たけだ まさこ 教育研究所員)