生涯学習時代の学校を考える
自立・自律した市民社会の組織として
教育研究所代表 黒沢 惟昭

 ポール・ラングランの生涯教育論が日本に紹介されたのは高度経済成長の最中の60年代半ばであった。 しばらくは新しい教育理念として受け入れられていたが、 およそ20年後に、 この理念は臨教審によって 「生涯学習」 と用語をかえ、 以後の教育政策の支柱に据えられて今日に至っている。 イギリスのサッチャーリズムに始まり、 アメリカのレーガノミックスを経て日本に移入されたネオ・リベラリズムの教育版であった。
 最近始まった学校五日制も、 総合的学習も教育特区による学校の株式会社化も大枠としては、 臨教審による 「生涯学習」 構想の具体化とみることができる。 だが、 ここでは生涯学習論について詳述するだけの紙幅はない。 ただ、 学校関係者における、 学校教育 「以外」 の教育といわれる領域、 つまり社会教育についての関心の希薄さは指摘しておかなければならない。 ラングランの生涯教育が、 そして臨教審による生涯学習の提唱も次第に浸透していった背景には、 明治この方 「学校」 中心主義の日本の教育の在り方についての批判があったことは疑いえない。 たしかに社会教育も学校教育の発展とともに制度化が進んだ経緯は事実であるが、 やはりそれは学校教育の 「補完」 としてであった。 五日制の実施に伴って、 しばしばいわれた 「受け皿」 という言葉がこの間の事情を如実に物語っている。
 考えてみれば、 四年制大学の卒業までカウントしても学校に関わるのは16年、 仮に人生80年として五分の一にしか過ぎない。 比較的成功したといわれる日本の近代学校教育も130年程である。 この例だけでも学校 「以外」 の教育がいかに大きいかがわかろう。 「受け皿」 などと呼ぶのは甚だしい誤解である。 そもそも学校は、 社会の様々な場に伝えられてきた働く技術や生きるノウハウを一定の空間にアレンジして集積し年齢に応じて効率よく次世代に伝える機関として成立したものである。 それが誕生以来百年目ぐらいから制度疲労に陥った。 生涯教育、 生涯学習とはその回復のための処方箋であり政策化であったといってもよい。 以上の点は、 いわずもがな、 私の杞憂であれば幸いである。
 ところで、 当の社会教育の分野でもパラダイムチェンジともいうべき大きな変化が生じていることを紹介しておこう。 社会教育の 「学校」 ともいうべき 「公民館」 の停滞、 社会教育の 「終焉」 さえも論じられたのは20年近くまえであった。 あらためてこの点を想起したのは、 最近刊行された 「シリーズ生涯学習社会における社会教育」 からである。 延べ93章、 総計1500ページの全巻の読解はなかなかしんどい作業であったが生涯学習時代の社会教育の歴史、 現状、 課題を総覧するためにはまことに有益であった。 私事ながら、 各巻の編集者の多くがかつて私が東大大学院へ出向していた当時、 「演習」 で激しい議論をたたかわせたことのある院生であり、 彼らがいまや少壮の研究者としてこのシリーズに登場することも私の知的関心を引き起こした。
 最初の巻のいわば総論にあたる章で、 ラングランの生涯教育の移入以来、 次第に旧来社会教育は 「周辺」 化してきたと指摘されている。 その主因は、 社会教育をつねに 「国家と国民」 の対立軸として捉える社会教育研究は戦後社会教育の大御所宮原誠一氏 (東大名誉教授) が提唱、 その後小川利夫氏 (名古屋大学名誉教授) らが継承発展させてきたもので、 私にとっては懐かしいシェーマである。
 如上の総論部の担当者は、 生涯教育の登場によって国家が専ら担ってきた社会教育が企業その他の社会 (ボランティアなど) に拡散していったにもかかわらず、 相変わらず国家−国民の対立軸で捉えようとしていたために社会教育は 「周辺」 に追いやられてしまったのだと主張する。
 私も結果としてはこの批判と同じであるが、 国家をたとえば政府ないし文部省 (当時) 端的に 「権力」 としてのみ捉える狭い国家観に起因すると考えてきた。 国家には権力の面とともに、 共同体の維持の側面もあり、 国民の共通利害も勘案しながら合意を図っていく面も大きいのである。 世界的な冷戦構造、 国内の55年体制においては如上の立論も無理からぬところであったと思うが、 その崩壊後も依然として国家の権力に対して国民の権利を対置するだけでは、 教育を学習とネーミングを変えて、 自己責任を強調しつつ、 民間 (教育産業) の“活力”を教育に取り込もうとした臨教審の政策に呑み込まれてしまうのは必然であった。 それでは社会教育研究のパラダイムをどのように転換し、 再生を意図していくべきか。 この点については浩瀚な本シリーズでも明示されていない。 この点についての私見は折を見て公表してきたところであるが、 それは省略して、 今後の教育を考え、 実践していくために必要と思われる点だけを述べてみたい。
 国家が占有していた 「教育」 のある面は 「学習」 と名称を変えつつ、 次第に社会 (市民社会) に開 (解) 放されていく傾向は今後とも進むであろう。 私たちが学んだ頃は 「教育行政」 ないし 「教育管理論」 といわれた領域が近年 「教育経営」 と称されている。 つまり、 学校を国家行政の一環として捉えるのではなく、 一つの自立した組織として再考しようということを含意している。 自己点検、 評価もそのために不可欠な手段である。 本来的にはこのように考えるべきだろう。 ラングランが強調した、 自立、 自律もこの考え方と軌を一にする。
 ただ憂えるべきは、 国家から市民社会への流れという基本的には正しい方向が、 市民社会イコール市場社会という市場原理主義にからめとられる政策である。 これが教育の荒廃をもたらしたことはイギリスで実証済みである。 国家至上主義でもなく、 市場原理主義にも陥らず、 市民社会の自立、 自律の組織としての学校を、 生涯学習の時代にどう創り出していくか。 如上の背景と照らしつつ、 今後とも考えていきたい。

(くろさわ のぶあき)