23年間、
高校入学者選抜制度にかかわって
                                斎藤 辰二

はじめに
 1981年4月中学校の教員になり、23年目の夏を迎えた。教員2年目ではじめて中学3年生を受け持ち、いわゆる「出口の進路指導」を行った83年当時のことが強く印象に残っている。私自身、新潟県の北部出身(岩船郡朝日村)で、普通科なら○○高校、職業科なら△△高校といったように、高校を選ぶといっても普通科を選ぶか職業科を選ぶかで高校がおのずと決まっていた。
 しかし、当時この横須賀三浦学区には10校を超える普通科の高校があり、歴然とした「ランク」が存在し、内申とア・テストの結果をもとに、生徒がいわゆる「自分の身の丈に合った」高校を選ぶように仕向けていくというようなことが進路指導の名のもとに行われていた。私自身、普通科ならどこの高校も同じカリキュラムで行っているのだから近いところを選べばいいと思い、近くの高校を進めたら、「先生は何もわかっていない」と親に叱られたり、また、生徒も保護者も内申とア・テストの結果に一喜一憂し、時には面談中に親子でけんかになることもあったりで、三浦半島の実情を知らないまま、よくあの時期を乗り切れたと当時の若さと勢いに感心する今日この頃である。
 さて、81年に私が教員になってから、高校入学者選抜制度が何度か変わった。その度に中学校現場は振り回されてきたように思う。当局はあくまでも「選抜を前提とした制度」に固執しており、日教組は「希望者全入」をスローガンに掲げているものの、実現はしていない。
 ここでは、入選の変遷と81年度以降の中学校現場の様子を振り返り、97年度から02年度まで三浦半島地区教組(以下「三教組」)で進路問題にかかわったことも踏まえ、中学校現場の側から今後のとりくみの方向性を探ってみたいと思う。

1.高校入学者選抜制度にかかわる県教委設置の協議会および答申の概略
 ● 神奈川県後期中等教育研究協議会   (後中協:75年4月〜80年3月)
 ● 公立高等学校入学者選抜制度研究協議会(入選協:76年6月〜80年3月)
 ● 神奈川県高等学校教育問題協議会   (高問協:80年5月〜85年3月)
 ● 公立高等学校入学者選抜制度検討協議会(入選検:85年5月〜88年3月)
※ 入選協・入選検は、学区分割についての提言を行い81年にはそれまでの全県9学区を16学区に、90年には18学区に分割・縮小してきました。それぞれの答申(高問協も含む)では、あるべき高校の姿を「地域に根ざした高校づくり」「地域社会に結び付いた高校の育成」という観点で一貫していたように思う。

 ● 神奈川県後期中等教育検討協議会   (後中検:88年12月〜91年5月)
※ 「特色ある高校づくり」(高校の多様化政策)に向かう。
「後中検」答申は、定時制高校の統廃合とあわせて「臨教審」答申の柱でもある「単位制高校」の提言もしており、それは、「臨教審」による85年6月の第一次答申から87年8月の最終答申までの期間と軌を一にしており、内容的にも「臨教審」が唱えた「個性重視」の名の「教育の自由」=「競争の自由」路線の延長線上に立ったものとなってきた。
※ 神奈川県教育委員会が考え方として、いわゆる「神奈川方式」(神奈川独自の教育を教職員組合と協議しつつ、互いの合意を得ながら現場に立脚しつつ施策化する)を変更し出したのはこの時期からではないだろうか。
ちなみに、国レベルでは以下のような動きがあった。
89年3月・「改訂学習指導要領」告示
91年3月・文部省設置の「指導要録改善調査研究協力者会議のまとめ」発表、答申で、観点別学習状況の重視(「新学力観」の提唱)

 ● 神奈川県高等学校課題研究協議会   (高課研:91年10月〜)
第一次報告書(93年4月)は @計画進学率の引き上げ A専門コース制の拡大・導入を骨子として、「特色ある高校づくり」を一層すすめる方向性を示す。
 神奈川県公立高等学校入学者選抜制度改正大綱(改正大綱)発表(93年7月18日)
 第二次報告書(93年12月25日)は「特色ある高校づくり」を前面にだし、「高校の多様化、入試の多様化」を促進する答申をする。
 70年代の「入選協」、80年代の「入選検」における答申の要であった「一学区数校程度に縮小」(県教委は数校程度とは4〜6校と述べている)された学区分割は、私たちの強い要望を無視して横須賀・三浦学区をはじめすべての学区で見送られた。「入選協(検)」の答申=学区縮小の目的とされ、神奈川の主体性を全国に示すものとされた「地域に根ざした高校づくり」は「特色ある高校づくり」という言葉にとってかわり、「コース制」における「入試の多様化」をはじめ、よりいっそうの「高校教育の多様化」の促進を提言する形となった。
 このころの主な国の動きとしては以下のとおりである。
91年4月・第14期中教書答申(高校教育改革、生涯学習社会への対応)
92年2月・「学校5日制調査研究協力者会議の最終まとめ」(92年9月より月一回の土曜休業)
四次にわたる「大学審議会」の答申(大学における「規制緩和」)
「生涯学習審議会」答申(「新学力観」に基づく生涯学習社会への移行)
92年6月の第一次から93年2月の第四次報告にいたる「高校教育改革推進会議」におい
て「入試の多様化」、「入試制度の改革」の提唱
※ 「高課研答申の前文にある「研究協議の経過」の後半部分に、「この間、第14期中央教育等議会答申をうけて、国が設置した高等学校教育の改革の推進に関する会議から出された、高等学校入学者選抜の改善に関する『第三次報告』(平成5年1月)や『文部事務次官通知』(平成5年2月)さらにこれに伴う全国の状況等も参考にしながら論議を進めた。」と率直に書かれている。
※ 97年度入試 本格実施への移行措置、98年度入試から本格実施となり2003年度まで、複数志願制、総合的選考、専門学科・普通科専門コースへの推薦制の導入を柱とする制度で実施された。2003年度入試においては、3年2学期の成績については絶対評価で行われた。
※ 神奈川において「臨教審」答申が制度という形で具現化したのはこの頃で、87年の最終答申からちょうど10年後ということになる。

 ● 入学者選抜制度・学区検討協議会   (   :01年4月〜03年3月)
 中間まとめ(02年3月)は、複数志願制・推薦制については発展的解消し、「学力検査を伴わない個性に基づく選考」と「学力検査を伴う選考」の2段階での入試とし、調査書の取り扱い、学力検査の実施科目と結果の取り扱い、選抜資料の扱い、学力検査問題の独自作成等については各高校の弾力的な扱いを普通科一般コースにも導入することを検討する、などを骨子とする内容で発表される。
 1次報告(02年9月)発表。内容は、ほぼ「中間まとめ」と同様。骨子については以下の通り。
<現行制度について>
@ 「推薦入学」から「学力検査をともなわない個性に応じた選抜機会」へ転換する。
A 複数志願制の廃止
<新制度へ向けた提言>
@ 調査書の評定は絶対評価を活用する。
A 調査書は中学校の学習状況、学力検査で把握できない個性や長所を評価する点で重要なので、積極的に活用する。
B 調査書の評定の扱い方を高校によって弾力的に扱うことを検討。
C 学力検査について、実施教科の設定と傾斜配点など弾力的に扱うことを検討。
D 調査書の評定と学力検査の結果をもとにした数値の算出方法を、弾力的に扱うことを検討。
E 高校ごと独自問題の作成の検討。
F 全定同日入試の実施
 ◎ 県教委は、この1次報告を受け、12月12日「神奈川県公立高等学校入学者選抜制度改善方針(案)」を公表した。現行制度との比較は以下の図の通り。

                 
現行入試制度と「改善案」の比較
  現行入試制度 2004年以降入試の県教委の「改善案」
多段階の方式 校長推薦と複数志願の一般入試 推薦制と複数志願廃止
前期選抜=学力検査を実施しない。
後期選抜=学力検査を実施する。
前期選抜 定員の30%以内
(専門学科等は50%)

校長推薦を志願の条件とする。
調査書と面接で総合的選考
定員の30%〜50%の間で各高校が設定
志願時に面接の資料として「自己PR書」を提出する。
調査書、面接、作文等で総合的選考










ス  
選抜方法 数値による選抜=定員の56%
総合的選考=定員の44%
数値による選抜=定員の80%
各学校ごとの基準で選抜=定員の20%
(実際には前期選抜の合格者を引いた定員の割合となる。)
数値の算出 調査書:学力検査=6:4 ※調査書:学力検査=6:4、5:5、4:6
学習の記録 数値による選抜=そのまま選抜に使う
総合的選考 =高校で重点化
※すべての選考で3教科以内2倍の範囲で高校ごとに重点化可能
学力検査 5教科(普通科一般コース)
数値による選抜=そのまま

総合的選考 =高校で重点化

学力検査問題は県教委が作成する。
普通科一般コースも高校ごと3〜5教科以内で決定する。
※すべての選考で2教科以内2倍の範囲で高校ごとに重点化が可能
※高校ごとに独自問題も作成可能
普通科一般コース以外 すべて総合的選考 すべて総合的選考
定時制 全日制の後に実施 全日制と同日程で、普通科一般コース以外の全日制の課程と同様の選抜を実施する。2次募集は全日制の後に実施
(※太字は2005年度入試、現中学2年生から実施)

 2次報告(03年2月)発表。その内容は、今後の学区のあり方について、「住んでいる地域によって規制を受けることなく、高校選択の量的均等、質的均等を図ることができるよう、学区を撤廃する方向で検討することが望ましい」とした。
※ 県教委は、建前として「行ける高校から行きたい高校へ」をスローガン化し入試制度の改変を進めてきたが、「選抜を前提」にしている以上、上記のスローガンは絵に描いた餅であることは明らかである。本音は「競争を前提とした入試の自由化」であることは明白で、この期にその仕上げをしたとも言える。
 生徒・保護者に評判が悪く、実質的にも機能していなかった「複数志願制」を解消したことは一定評価できるものの、「調査書の学習記録・学力検査の弾力化」「高校の独自問題作成」「学区の撤廃」などに代表される「入試の多様化・自由化」がさらに進行し、いわゆる「高校間格差」の拡大につながる恐れが十分にあり、子どもたちは新たなしかも熾烈な競争に巻き込まれ中学校教育・高校教育を歪める要素を多分に含んでおり多くの問題を内包していると言える。

2.進路保障・高校入学者選抜制度にかかわってのさまざまなとりくみ
 (1)「三浦半島地区高校増設促進協議会」のとりくみ
 <1973年〜2001年にかけて>

 三浦半島地区では、1973年11月、「学区内に新設高校の増設」を目的に、三市一町PTA協議会・校長会・教職員組合の三者による「三浦半島地区高校増設促進協議会(以下「増設協」)」が発足し、署名運動を開始。当時は、中学卒業生の数に対し、高校の数が圧倒的に少なく、高校増設に向けた運動で、津久井浜高校、大楠高校、初声高校、逗葉高校、久里浜高校、岩戸高校の開校を実現させる。
しかし、高校普通科の開門率(学区内の中学校卒業予定数に対する学区内の公立高校普通科の定員数の割合)は、県平均レベルを大幅に下回っており、90年代は開門率を引き上げる運動を中心に展開してきました。その結果、90年代末にようやく県平均レベルに達するようになった。
 <2002年度のとりくみ>
 2002年2〜3月の公立入試では、不況による私学離れ、公立志向が強くなってきていることを読み誤った県教委が、全日制全体の計画進学率を94%と設定しながらも、生徒減に伴う定員減を公立の定員削減で図ろうとしたため、公立全日制に不合格となった生徒が、定時制に殺到した。  ここ数年、平均倍率1倍を超えなかった定時制高校の倍率が、1.27倍(最高は横浜港総合高校の2.75倍)となり、県教委は急遽、県立と川崎市立の定時制高校の定員を225名増やし、定時制普通科の倍率を1.21倍としたものの300名に及ぶ不合格者を出した。このような状況を受け、要請行動の中では、保護者負担軽減および生徒の進路保障の観点から公立校の定員の割合を私立より引き上げることを強く訴えるため、2002年度増設協は、以下の4点を中心に署名行動を行った。
 @ 計画進学率の引き上げ、特に公立校の定員の割合の引き上げ
 A 「障害」児・外国籍生徒への配慮や条件整備
 B 定時制への全入
 C 保護者負担の軽減
 保護者の協力により9,103筆の署名を集約し、7月29日、県教委に要請行動を行う。
要請行動の中では、とりわけ「公立校の定員の割合を私立より引き上げること」を強く訴える。
県教委からは「公立校の定員の割合を引き上げることについては、私立高校の経営を考慮しつつ、県民の強い要望として重く受け止めている。定時制の定員も、昨年のようなことが起こらないように考えたい。」との回答を得る。また、この要請行動で、私立の2,600を超える空枠(定員として確保しているが実際は埋まらない枠)の存在も明らかになる。
 県教委は10月30日、公立高校生徒入学定員を発表。全県では、全日制計画進学率は前年と同じ94%だったが、県内公立中学校卒業予定者が338名減少するのに対し、公立全日制について334人の定員増とする。実質的に、昨年度より672人分公立全日制の定員増、また、定時制の定員についても175人増員となり、全県の公立全日制の開門率が62.0%(前年比+0.79%)、定時制も含めた公立開門率は65.41%(前年比+1.06%)となった。

※ 「増設協」のとりくみは、正に進路保障のとりくみと言える。
1970年代から80年代全般にかけては、その名の通り「高校の増設」を中心にとりくみ、三浦半島に6校の普通科高校を誕生させた。
 80年代後半から90年代後半にかけては「公立高校普通科の開門率の引き上げ」を中心にとりくみ、県平均レベルまで押し上げることができた。
 21世紀に入って、経済状況の悪化が深刻となり、私学離れが進行、全日制・定時制を含め公立志向が強くなり、2002年2〜3月の入試状況となって露呈した。2002年度、「増設協」が「計画進学率の引き上げ、特に公立校の定員の割合の引き上げ」を優先にとりくんだのは、タイムリーであったと考える。

(2)三教組としてのとりくみ
 <80年代末までのとりくみ>
 中学校の卒業生の数に対し、圧倒的に高校の入学定員の数が少なかったため、公立普通科の増設を「増設協」とともに進めてきた。ただ「増設協」としては学区の分割には消極的だったため(とりわけPTA)、学区分割のとりくみは教組が中心とならざるを得なかった。
  「入選検」までは県教委の姿勢は高校をつくっては学区を分割するという方向で進めてきており、「学区の適正規模としては数校程度(4〜6校)」と明言していたが、横須賀・三浦学区については県下で最大学区であったにもかかわらず、学区分割は見送られてきた。三教組は横須賀・三浦学区の3分割案(後に2分割案も提示)を提示しとりくみを進めてきたが、今もって実現には至っていない。
  しかし、教組の提起を受け、中学校現場ではその中学校の地域の高校3校を決め、できる限りその高校への進学をすすめる運動を展開し、横須賀・三浦学区を北部・中部・南部地区に分けた3分割案をもとに地区への集中度を見たとき、南部地区においては8割近くが地域の高校へ進学しており、一定の成果を挙げてきた。
 公立普通科の開門率を引き上げるためのとりくみについては、「増設協」のメンバーとしてとりくみ、90年代末には県平均レベルまで押し上げるまでに至った。

 <神奈川県高等学校課題研究協議会(91年10月発足)に対するとりくみ>
 三教組は、「高課研」に対し、現場からの100通を超える意見書、「高課研」主催の教育フォーラムへの組織的参加等、積極的にとりくむ。
 高課研の報告(答申)に対し、以下の立場および見解を表明(以下参照)した。
<「高課研答申」に対する三教組の立場(詳細略)>
 ◎ 基本的態度
 計画進学率の拡大(希望者全入)、A 高校間格差の解消、B 学区縮小、C 地域に根
ざした高校の育成
 ◎ 高課研答申に対する三教組としての具体的な提言
 @ 高校のあるべき姿について
 文部省、県教委のいう「特色ある学校づくり」に反対し、「地域に根ざした高校づくりをすすめる。
A 入試選抜制度について
 「多様な入試」に反対し、客観的、公平な入試制度を求めます。そのため、競争原理を導入した「学校選択の自由」に反対し、日常的な中学校生活の積み上げが生かされるような選抜制度をめざします。
B 転学・復学制度について
 転学・復学制度を現行よりさらに拡大し、柔軟な運用を図ることを求めます。
C 進路指導のあり方について
 高校間格差を是正し、「地域に根ざした高校づくり」をすすめるため、さらに「地域の高校に進学する運動」を強化します。

 <「高課研答申」に対する三教組見解>
 神奈川県高等学校教育課題研究協議会(以下高課研)における今回の答申(第二次答申)に対し、三浦半島地区教職員組合としての見解を表明する。
 高課研は、第一次答申において計画進学率の引き上げを答申した。これについては、我々としても「希望者全入」に一歩でも近づけるものと、一定の評価をするものである。しかし、その反面、第一次答申に盛り込まれた「特色ある高校づくり」の名のもと、「専門コース制」の導入拡大をはじめとする、高校の多様化政策については極めて遺憾といわざるをえない。今回の答申はその延長線上にたち「さらなる高校の多様化」「多様な入試方法」を提言している。
 現在の高校問題の最大の課題は我々は「高校間格差」の拡大、固定化であると考える。この「格差」は、高校新設に伴う学区の拡大、単独選抜制度によってもたらされた。そのため、神奈川県は、「地域と密着した高校づくり」をすすめるため、学区を縮小、分割してきたのであり、高校百校計画が終了した今時点においても、格差是正のための学区縮小、分割は必須の課題であると考える。とりわけ、当横須賀・三浦学区の公立普通科高校は12校という県内最大学区であり、二度の分割にあたっても見送られてきた経過を考えれば、今次の高課研の最大の課題は「入学者選抜制度研究協議会」(「入選協」)の第二次報告(1979年12月)にある「地域社会に結び付いた高等学校の育成という観点から、地域の実情に応じた適切な改編・分割をすすめ、これを段階的に縮小していく。なお、縮小にあたっては、将来目標を一学区数校程度とする。」を検討すべきだったのである。
 にも関わらず、「入選協」の答申を反古にし、また、こうした地域の実情を無視し、新たな「格差の拡大」につながる答申をしたことに対し大きな憤りを覚えるものである。県教委・高課研は「格差」を生み出した原因があたかも、神奈川方式におけるア・テストにあり、それを基にした中学校の進路指導にあるかのような言辞をふりまき、「ア・テストつぶし」に終始した。この結果、「格差」問題の本質的な論議はなされず、「ア・テスト」は是か非かという「小手先」の「改革」論議に県民を巻き込み、現行入試制度・格差問題ではともに「受け身の立場である」父母・子どもたちをいたずらに二分する論議にすり替えたのである。
 さらにア・テストを入試の資料から除外するかわりに、答申は「観点別評価」の調査書への記入・入試の資料としての位置付けを報告している。これこそ、中学校現場をいたずらに混乱に陥れる最たるものである。「観点別評価」を導入した全国各県で生じている事態は、各紙の新聞報道でも明らかなように、生徒は、教師の前では「態度」をつねに評価されるという息も抜けない中学校生活となっており、教師にとっては、「関心・意欲・態度」をはじめとして主観に基づかざるをえない全教科四項目にわたる評価を「強制」されるという大変な労働強化となっている。「観点別評価」の入試資料への導入は、たとえ点数化をしないとしても客観性・公平性・妥当性に対し重大な疑義を生ずるものであり、中学校教師と父母・生徒の信頼関係を損ねる大きな要因となるものである。
 さらには、日常の教育評価のあり方までも全県的に統一する中央集権的な施策であり、それぞれの中学校における教育内容・方法・評価権に対する重大な介入と言わざるをえない。
 「偏差値依存から多様な尺度に基づく選抜を」という一見もっともらしいこの間の文部省の「路線転換」は、実は、高度経済成長後の日本の進路(「高度情報化社会」「貿易立国」「国際貢献」等)に見合う新たな「人的資源開発政策」のもとでの経済界からの要請から出発したものであり、それは、60年代より一貫して教育が産業政策における「人的資領」の供給を担わされてきたことと何ら変わるものではない。今回の高課研答申にちりばめられた「多様化」「個性化」「弾力化」は、国の教育政策(「臨教審」「第一四期中数寄」答申)と軌を一にするものであり、文部省の強力な「神奈川方式つぶし」のもとでつくられた「中央主導」の答申であるのは言うまでもない。
  「多様な尺度に基づく選抜」とは、戦後教育の出発点=「入試なき選抜」(希望者全入)とは程遠い、「いかに振り分けて落とすか」「自由な競争のもとでいかに『優秀な』人材を開発するか」という論理の合理化でしかない。
  「学区の拡大」につながる「隣接学区枠の拡大」、全県一学区である「専門コース」のさらなる導入・入試の多様化、「一発勝負」をほのめかす「ア・テストはずし」、偏差値よりもさらに子どもを学校に縛り付ける「観点別評価の導入」・・・報告書に盛り込まれたこれらの答申を見れば高課研・県教委が、「選択の自由」「多様な価値観」を族がしらになお一層の選別=自由競争を強いるこの間の文部省の圧力に屈したことは明白である。
 これらの答申に基づいて施策化すれば、神奈川は「15の春」どころか6才の春から入試競争に巻き込まれ、業者テストの横行を許し、中学校教師は子ども・父母から信頼を得られず、高校生は新たな格差と序列の基でさらなる不本意入学と中途退学が激増することは目に見えている。
  「課題集中校」をはじめとする深刻な格差問題に対してどのような「特色ある高校づくり」=多様化をすすめてもそれは「新たな格差と序列」を生み出すだけであり、学区内にある高校の数だけ「ランク」があるといわれる神奈川の高校の実態は変わらないだろうし、さらなる格差の拡大が予想される。
 以上のことから、三浦半島地区教職員組合は、今回の高課研第二次答申に対し全面的に異議を申し立てるものである。
 神奈川県教育委員会が、これまでの神奈川の主体性を堅持し、1979年の入選協第二次報告にある「地域社会に結び付いた高等学校の育成」にもとづき、学区分割・高校間格差の是正、さらには希望者全入にむけて真剣に取り組むことを切に願う。
        1993年12月25日

 <神奈川県入学者選抜制度・学区検討協議会(2001年4月発足)に対するとりくみ>
 三教組は、入学者選抜制度・学区検討協議会の「中間まとめ」に対し、中学校現場を中心に意見書、協議会主催の教育フォーラムへの組織的参加等、積極的にとりくんだ。
基本的立場については、高課研の報告(答申)に対して示した立場を踏襲し、とりくみをすすめた。ただし、学区については、01年度入試から学区外枠が8%から25%になったことや、協議会の中で、拡大・撤廃の意見が圧倒的に多いことから、現実的対応として「学区縮小」ではなく「これ以上の学区拡大に反対」の立場をとり、これまですすめてきた「学区分割のとりくみ」から、「横須賀・三浦学区をひとつの地域と考え、横須賀・三浦学区(地域)の高校へ進学をすすめるとりくみ」に変更した。
 2002年度から2003年度にかけての三教組のとりくみについては、私自身三教組の役員として関わっていたので、この間の具体的なとりくみについては資料を参照されたい。「増設協」によるとりくみと平行して行われていたので、あわせて資料として添付した。

@ 入学者選抜制度・学区検討協議会の「中間まとめ」に対する具体的なとりくみ
 ● (資料1)「教育白書進路版2002年6月号」による保護者への情宣を行う。
  ・ 「中間まとめ」の問題点
  ・ 高校希望者全入を定時制から
  ・ 地域(横須賀三浦学区)の高校へ進学しよう
  ・ 「増設協」の「進路保障に関わる要望署名」にご協力を
 ● (資料2)「2002年度 横須賀・三浦学区における進路保障に関わる要望署名」のとりくみ
 ● (資料3)「三教組ニュースNo.2896 2002.4.25.発行」、(資料4)「三教組ニュースNo.2910 

 2002.6.20.発行」での組合員への情宣

※ 入学者選抜制度・学区検討協議会が2002年3月に発表した「中間まとめ」に対しては、教育白書進路版で保護者への情宣を行うと同時に、組合員に対しても三教組ニュースでその問題点を指摘し、具体的なとりくみを提起してきた。その結果、県教委に対する100通を超えるパブリックコメント集中やフォーラムへ多数の組合員が積極的に参加した。

A 2003年度入試における公立高校の定員割合の拡大、定時制の定員の拡大なる!
 「第1次報告」を受けての制度設計に対するとりくみ
 ● (資料5)「三教組ニュースNo.2944 2002.11.13.発行」で、「増設協」によるとりくみの結果、公立高校の定員割合の拡大、定時制の定員の拡大につながった旨の報告を行う。詳細は、資料5および「増設協」のとりくみを参照されたい。

※ 入学者選抜制度・学区検討協議会は2002年9月16日、入選に関わる最終報告である「第1次報告」を県教委に提出した。この「第1次報告」の問題点をこの三教組ニュースで指摘し、県教委が制度設計を行う際に、できる限り現場の声を反映させるため、組合員の声を集約するとりくみを行った。

B 県教委発表の「入試選抜制度改善方針(案)」に対する具体的なとりくみ
● (資料6)「三教組ニュースNo.2959 2003.1.10.発行」で、入試選抜制度改善方針(案)に対するパブリックコメントへの参加呼びかけを行う。

C 入学者選抜制度・学区検討協議会の「第2次報告」および県教委発表の「神奈川県立の高等学校に係る通学区域改正方針(案)」に対する具体的なとりくみ
● (資料7)「教育白書進路版2003年6月号」による保護者への情宣を行う。
  ・ 「第2次報告」の問題点
  ・ 高校希望者全入を定時制から
  ・ 地域(横須賀・三浦学区)の高校へ進学しよう
  ・ 「増設協」の「進路保障に関わる要望署名」にご協力を

※ 「第2次報告」の問題点を教育白書進路版を通じて保護者に情宣すると同時に、県教委が2003年7月に発表した「神奈川県立の高等学校に係る通学区域改正方針(案)」に対しても、現行の「横須賀・三浦学区」を守る立場から、現場の声を、パブリックコメントを通じて県教委に集中するとりくみを行った。

3.私が経験した中学校現場では
 <「高課研」答申を受け複数志願制を柱とする制度ができる以前(〜1996年まで)>
 ア・テストの結果、2年3学期と3年2学期の成績をもとに「進路指導」が行われていた。過去のデータを参考にし、いわゆる生徒が自分の身の丈(成績)にあった高校を選ぶように仕向けていくことが進路指導の名のもとに行われていた。そしてそのことが、できる限り多くの生徒に「後期中等教育を保障する」ために定員割れの高校をつくらないことにつながっていた。
 「調査書」の記載のしかたについては一定統一されていたものの、それでも、1学級の生徒数が多く、ましてや私のように文才のない教師にとっては、3年の担任になり調査書記入の時期が来るととても憂鬱だった。さらには、内申点や調査書の記載事項の点検など進路に関わる書類の点検が、学年から全校体制の順に行われていた。
 また、今と比較して私学を併願する生徒の数は少なかったが、併願せざるを得ない状況にある生徒は経済的にきびしい家庭の子どもが多く、担任としての悩みは多かった。
 
 <複数志願制を柱とする制度ができて以降(1997〜)>
 総合的選考の導入により高校側の裁量が20%(このころの20%は、ア・テストを受けていないなどの資料不足を補うためのものだった)から44%に拡大し、さらには、年次を追って推薦制が拡大され、以前のような進路指導は通用しなくなってきた。調査書の記載については今までの記載方法が通用しなくなり、その高校が「選考にあたって重視する内容」に合わせて生徒の長所を探し記載する方向になって行ったように思う。また、普通科への推薦制が拡大されたことにより推薦書を多く書くことになったが、推薦枠が決まっているため多くの受からない生徒の推薦書は無駄な努力に終わり、担任からは「何のために推薦書を書いているのかわからない」といった声が多くあがっていた。この制度になってから中学校現場、特に3年職員の進路事務量が増え、多忙を極め、2学期後半になると、日曜日に出勤して調査書や推薦書を書く担任も多く出現している。
 私学の併願者についてはこの制度になってから大幅に増え、保護者の負担が増加したことは容易に想像できる。
 この制度が中学校現場に与えた影響は甚大で、あげれば限がないのでこのぐらいに留めたい。
また、県教委は2002年度より「絶対評価」を導入し、それが2003年度入試からの拙速な導入は、新聞等でも取り上げられたような混乱が多かれ少なかれどの中学校現場でも生じたことを明記しておきたい。


4.現状の課題および今後のとりくみの方向性
 この項については、上記のようなタイトルをつけてはみたが、こうすれば良くなるといった展望はまったく持ち合わせていない。
 高校入試制度が、「希望者全入」ではなく「選抜」を前提にしている以上、ベストはあり得ない。要は、「私たちの考える進路保障」に今ある制度をどこまで引き寄せることができるかに尽きると考える。この1月、全国教研に正会員として参加した。組織率も含め、相当きびしい条件の中で、したたかに闘っている地域がたくさんあることを知った。例えば、
 「調査書検討委員会」が設置され、「絶対評価」に対する対応を議論している。2003年度入試では従来通り(相対評価)となっている。今後、検討委員会への対策、検討委員会が報告を出した後は受験競争の緩和となる調査書の策定が課題となっている。西宮市では総合選抜制度を日常的な運動の積み上げにより堅持しており、「絶対評価」をこの制度で真価を発揮させるべくとりくみが行われている。(兵庫)
2001年度から「地域連携型中高一貫教育」が中学校4校、高校1校を持つ岩手県北部の軽米町でスタートした。県教組・高教組の軽米支部が連携、学習会等を開催し「中高一貫教育はどうあるべきか」を意見交換しすすめてきた。中高の交流も活発に行われているが、移動に時間がかかるなど課題も多い。ここでは、この試みが(生徒たちを地域に留めているという意味で)一定「過疎対策」にもつながっており、地域に根ざした高校づくりという視点からとりくみをすすめている。中高一貫教育ははじまったばかりで、今後の方向性を含め教育行政にどのような働きかけをしていくべきか議論をすすめている。(岩手)
高校の統廃合問題は、そこに通う生徒がどう考えるかから出発すべきである。生徒は将来の同じ働く仲間であり、主権者として尊重されるべき存在であるが、学校現場でそのように捉えられているかが問われている。子どもたちの声を上げてのとりくみが、統廃合反対の運動を地域での保守勢力も含めた運動に発展させ、行政の姿勢を変えさせた。(千葉)
などである。
 さて、神奈川においてはどうだったかというと、確かに「高課研」の答申を受けて入試制度自体は新たな舵が切られ、多様化・自由化に向かい出した。しかしそんな中でも、「障害」がある生徒や日本語を母語としない生徒などいわゆるハンディのある生徒の受検機会の確保や特別枠の設置や定員内不合格者を出さない、公立普通科の定員割合に拡大や定時制の定員増など、十分とは言えないが私たちのとりくみによって一定成果をあげている。運動やとりくみには県段階、地区教委段階、そして現場といったようにそれぞれポイントとなるステージがあり、そのステージに合ったとりくみが必要である。組合が弱くなったと言われているが、神奈川ではまだまだ十分にとりくめる余地が残っていると考える。
 前置きが長くなってしまったが、本題に入りたい。
@ 新制度の積極的活用を!
私自身、教員生活を続けていて、「成績のいい子」は「ランクの高い高校」へという意識がしみついてしまっていることを痛感している。現在「特色ある高校づくり」を前面に出した高校再編前期計画が進行中であるが、残念ながら公立普通科は「ランク」が「特色」であり、そのことを無視しての「進路指導」は今の中学校現場ではあり得ない。本当に特色を持ち、その「特色」に「ランク」のない形になることを切に望むが、公立普通科の設置基準がありさらに予算面や人事面を考えると実現は限りなく不可能に近いと考える。普段声に出しては言わないまでも、いわゆる「トップ校」から「課題集中校」までの序列があり、それが前期・後期中等教育を歪め、子どもたちの心まで歪めていることは衆目の一致する認識であると思う。この事実を解消するために、「地域の高校づくり」「学区縮小」に運動の軸をおいてとりくみをすすめてきたが、学区撤廃の方向性が示され、「地域の高校づくり」についてはまだまだとりくみの余地は残っているものの、「学区縮小」については世論を背にしての運動は成り立たない状況にあると考える。
  しかし、新制度は、「前期選抜」と「後期選抜」の2段階方式になり、「前期選抜」は学力検査を伴わない選考としている。今回の制度の趣旨から考えると「前期選抜」では調査書の成績欄は空欄にすべきであるが、新制度により、今までよりも1校にさまざまな成績の層の生徒が入ってくる可能性が出てきたと思う。この制度を積極的に活用することで少しでも「ランク」解消につなげることができるのではないかと考える。
A 「内なる成績主義」を克服し、「進路学習」など教育実践の充実を!
そのためには、私たちが持っている「成績のいい子」は「ランクの高い高校」へという意識(私はこの意識を勝手に「内なる成績主義」と呼んでいる)を克服すべきである。成績一遍道の「進路指導」から脱却し、生徒・保護者と真剣に向き合い、「なぜ高校へ行くのか」「高校で何を学びたいのか」「高校で何を見つけたいのか」等をじっくり話し合い、その時点での将来像を子どもが胸を張って語れる状況をつくり出し、成績や体裁にとらわれず家庭の状況なども踏まえて進路選択をしていく形での進路学習(指導)に本腰を入れてとりくむ気があるのかどうか、ステージが現場段階に来た今、まさに私たちの教育実践にかかっていると言える。総合的な学習の時間としてカウントが可能な「進路学習」でもいろいろな立場の労働者の生きざまを提示したり、ねらいを明確にした労働体験を取り入れるなどその内容を充実させていくことなど工夫の余地はまだまだ残っている。30人学級は実現できていないが、中学校現場では1学級あたりや学年の生徒数は明らかに減っており、実践しやすい環境になってきているのも事実である。
  一中学教師として、クラスの生徒全員が少しでも「ランク神話」から解き放たれ、自分の進路を胸を張って語れる状況をつくり出すため、現場での教育実践に邁進したい。
B 「進路保障」の意味の問い直しを!
  「進路保障」という言葉は、いろいろな意味で使われてきたように思う。高校への進学を前提にすれば、ひとつは、計画進学率を上げることだったり公立普通科の開門率を上げるとりくむことであったり定時制の定員増のとりくむことであったり、一言で言えば、できる限り多くの子どもに後期中等教育を保障するという意味で使われ、もうひとつは、子ども一人一人がどんな子でも(「在日」、「渡来」、「障害児」等も含め)、自分自身の希望する進路選択ができる環境を保障するという意味で使われ、私たちの運動が一定成果をあげてきた。
 しかし、私自身はこれ以外にもうひとつの意味があると思っている。今、目の前にいる生徒が互いに切磋琢磨できる生活と環境を用意することも「進路保障」であると考える。抽象的な言い方になってしまったが、今の中学校現場を見たとき、毎日のスケジュールを忠実に実行して行くことが主になりすぎて、目の前の子どもが発信している情報や心の叫びを見落としていることが多いように思う。問題が起こっても何もなかったように一日のスケジュールが消化され、その問題を生徒に投げかけ生徒に考えさせるような場面が少なくなってきた。「常に対応が問われている」という状況に身を置き、今一度「進路保障」の意味を問い直すことが、前段に述べた運動の新たな展開を切り拓くのではないだろうか。
C 「絶対評価」について
 私自身、入試での資料にならなければ、「相対評価」よりは私なりに考える「絶対評価」の方が良いと考えているが、私自身が理解できない「観点別評価」なるものをもとに5段階絶対評価に丸め込むという手法や拙速な入試資料としての導入については大いに問題があると言わざるを得ない。
入試資料として相対評価が使われていたときは、割合に合わせ段階の人数がしっかり決まっており、それがいわゆる「高校のランク」をはっきりさせていた。しかし、絶対評価は中学校ごとに違って当然で、それが「高校のランク」を不鮮明にする要素を多分に持ち合わせている。ここでは、このことに私なりに注目しているということを述べるに留めておきたい。
D 地区や現場でできることをさがし、新たな運動につなげよう!
  この春、横須賀市立高校と横須賀市立工業高校と横須賀市立商業高校が統合され横須賀総合高校が開校した。この高校は、中学校や高校の現場から代表が参加し、10年にも及ぶ議論をした上で誕生した。総合高校準備室が市教委にでき、そこが主催の「施設検討員会」に私も参加した。建設にかかわってもバリアーフリーの視点から、また、生徒や保護者の視点から、現場教職員の立場から、いろいろ議論を行い、ベストとは言えないまでも一定私たちの声が反映された総合高校ができたことをうれしく思う。まだまだ、課題はあると思うが、黙っていれば行政の思うままにことが進んでしまう。県立高校の再編計画についても、地域の代表者や中学校・高校の現場代表を含めた検討委員会のようなものを立ち上げて進めていくべきではないかと考えているどうなっているのだろうか。前期計画についてはもう終盤に来ているが、はっきり言ってそのことが中学校現場ではほとんど話題になっていない。地域で、さまざまな立場からの意見を取り入れてすすめていけばこのようなことにはならなかったのでは。県立高校の再編計画についても私は地区でできるとりくみになり得ると思っている。
  三浦半島地区では、校長会、PTA、教組が協力し「増設協」を立ち上げ、進路問題について30年にも及ぶとりくみをすすめてきた。当初は、圧倒的に不足していた高校を増設することを目的にすすめてきたが、途中、横須賀大津高校の男女共学のとりくみを行ったり、最近では、不景気による私学離れにより公立志向が強いことから、公立普通科の定員割合に拡大および定時制の定員増のとりくみを行っている。
 地区や現場でできることはまだまだあると思う。互いに知恵を出し合い、生徒・保護者・地域にも支持される「進路保障」の新たなうねりをつくりたい。
おわりに
  私は、現在、高二、中三、小四の3人の息子の父親である。生徒の進路指導については何度も経験しているが、2年前はじめて息子(現在高二)の進路選択を経験した。私自身、高校を選ぶなどという経験もなく、交通費もかからない近くの高校をすすめた。「地域の高校へ行こう」という運動をすすめているという気負いも多分あったと思う。しかし、息子は、教師や先輩から情報を集め、さらには自分が行きたい高校を自分の目で確かめ、受検する高校を決めた。運良く合格し、通学には一時間近くかかるが自分が望んだ県立高校に通っている。ちなみに、私も勧めなかったが、息子はいわゆる「地域のトップ校」は嫌った。
  私自身、いわゆる「ツッパリ生徒」とも付き合ってきたし、そういう中でもまれてきた。手前味噌になるが息子は俗に言う優等生である。中学校では生徒会長をやり野球部ではエースピッチャーをやり、塾へも行かず(親も塾へ行くことには反対だった)夜2時過ぎまで(時には朝方まで) 黙々と生徒会の仕事と勉強をやっていた。そういう子だからこそ「ツッパリ生徒」もいると思われる近くの高校でもまれることが良いのではないか、しかも私が身を置いている「地域の高校へ進学しよう」という運動にも合致する、そういう思いから、「高校に幻想を抱くな」「高校に何かを期待してしてはいけない」「要は自分次第だ」という言葉を浴びせてきた。しかし、最近私なりに反省している。息子の考えていることを無視して、どこかで強引に自分の考えている方向に持って行こうとしていたのではないか、私がやっていることは、自分よがりの運動ではないかと。学校は地域にあり、地域の支えがないとはっきり言ってきびしい。それは学校側の論理であって、子どもの側の論理ではないことを息子の進路選択を通じて実感した。
  現実的にはきびしいと思うが、地域の高校へ行かせるのではなく、子ども(保護者も含め)自らが地域の高校へ行きたいという状況をつくり出して行くべきではないか。同時に、地域から飛び出していく子どもも当然いて良いのではないかと思うようになった。
  運動は縛るものではなく、多様性をもって開かれたものでなければならないことを息子から教えられたような気がする。息子は、バーバラリーさんの公演を聞きに行ったり、自衛隊は憲法違反などというレポートを書いたり、最近では、韓国に興味を持ち、2回ほど韓国に行き、「お父さんナムルの家って知ってるか。実は日本軍が…」などと生き生きと語っている。そんな息子に、息子自身がどう考えているかもわからないのに、日本とアジアの架け橋になることを勝手に期待している自分は何なのかと自問する今日この頃である。
  一難(一男)去ってまた一ではなく二難(二男)。二男の進路選択は如何に…。