教育改革の課題 〜混迷から抜け出すために〜 永田 裕之 |
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はじめに 神奈川における高校教育改革は混迷を極めているように思う。私が一番わからないのは新しいタイプといわれる学校が、どこも学力が高い生徒を集めようと必死になっているように見えることである。改革というのは以前より学力の高い生徒を集めることなのだろうか。もしそうなら、学力の低い生徒はどこへ行くのだろうか。高校進学率を下げるということを県教委が言っているわけではないので彼らも高校へは進学するのである。そもそも改革の課題は何なのだろうか。 長後高校が改革をはじめてから何度か、カリキュラムの中に職業教育を含んでいると、「よい生徒」が集まらないから改革がうまくいかなくなるのではないかと言われた。改革が始まってまもない頃、校長が浮かない顔をして校長会で言われたと、教えてくれたこともある。一方、大学受験に強いということを強調する学校は多い。。 しかし、そうすると総合学科というのは一体どういうことになるのだろうか。総合学科はカリキュラムの中に専門科目を含んでいるところに特色がある。総合学科はできるだけつくらない方がよいとでもいうのだろうか。あるいは総合学科の専門教育は英語などに限定すべきなのだろうか。総合学科の特色を説明する際にも受験を前面に出そうとする学校がある。そんなときあなたの学校はどんな専門教育をするのですか、と聞くとしどろもどろになる、そんな情景を見たこともある。 本稿では、再編の渦中にいるものとして、混迷の原因を考え、整理を試みたい。 本稿の背景として長後高校の改革の経過を少し述べておきたい。 長後高校は、1994年、県教委の求めに応じて「魅力と特色あるプラン」の検討を始めた。構想は1995年にまとまり、私たちは「総合選択制高校」と名付けた。その骨子は普通科のまま、大幅な選択制(専門科目を含む)を実施しようというものであった。しかし、県教委は、普通科に行う支援は限られる、総合学科なら大幅な支援を行うというので、総合学科に名乗りを上げた。1997年のことである。また、普通科のままでさまざまな試みを実施するため「文部省研究開発学校」にも名乗りを上げ、1997年度から3年間指定を受けた。1999年、再編計画の中で藤沢北高校と統合して総合学科高校になることが発表され、2004年度から総合学科として生徒募集を行う。 1.改革か再編か 総合学科などの新しいタイプの学校を作るということは、高校教育改革のはずである。そして改革というからには、現状の改革でなければならない。この出発点があいまいなような気がする。混迷の始まりである。 長後高校の場合は生徒の現状分析を行い、進路未決定者が多いということに注目した。高等学校のカリキュラムは、指導要領で指定されている必修科目が35単位で、残りの半分以上を選択にできる。だから改革のデザインとしては、大幅な選択制カリキュラムということと、生徒が選択することによってライフサイクル(進路)を考えることができるようにしようというものであった。科目選択によって進路を考えるなら、日本史か世界史かとか、文系か理系かという選択では幅が狭い。そこで選択肢の中に専門科目や将来の生活の中に活かすことのできる科目を含めて考えた。 現に存在する学校から離れて改革を考える場合にも現状の問題点を解決する、という視点がなければならないはずである。例えば単位制にするというのならなぜ単位制にするのかということである。学年制には、これまで原級留めおきに対するものなどさまざまな批判があった。しかし、学年制を、ほとんどの学校が、新制高校発足以来最初の2,3年を除いて行ってきたのにはそれなりの理由があるはずである。それを解明し、分析した上で単位制を実施するということでなければ改革の名に値しないと思う。 再編が改革と重なっていると、再編は上からとにかく進めなければならない措置なので改革がかすんでしまう。教育行政としては再編優先である。新校設置のための準備委員会に3年間出席していて、総合学科が本当に必要だと思っている人が行政の中に何人いるのだろうか、と思ったことがある。 改革を志すためには、はっきりした理念を持たなければならない。学校全体として理念を共有するということは至難の業であるが、どんな不充分でも、それを追求しなければ改革が改革でなくなってしまう。 再編計画でできる新校が、中学校の進路担当者に自校の教育内容を説明する会が県教委の主催で毎年行われている。その場で、ある単位制普通高校は、何度も、これまでと変わらないということを強調した。進学実績があるその学校は進学校であることを強調したかったのであろうが、何を改革したいのか、と私はいつも疑問だった。 2.普通科とは何か 総合学科を設置すると言うことは、専門学科や普通科を改革するということでもある。 総合学科の設置を提言した「高等学校教育の改革の推進に関する会議」の第四次報告は、専門学科や普通科の改革の必要性を述べたあと、現状では、普通科は進学、職業科は就職という固定的な考え方に結びつきやすく、学校間の序列化などを生じやすいので、あらたな学科、総合学科を設置することにしたと述べている。 神奈川では普通科が改編されて総合学科になっているから、普通科の改革という意味が大きい。また、後に述べるように1960年代から普通科は厳密な学年制で運用されてきたから、単位制高校も普通科の改革という意味がある。この点が明確に自覚されていないことが混迷の二つ目である。 普通科のどこをどのように改革する必要があるのだろうか。 普通科は高校設置基準に定められている三学科のうちの一つであり、専門学科や、総合学科が、必履修科目以外に30単位以上の専門科目を設置しなければならないのに対し、普通科では38単位の必履修科目以外の制約はない。もっとも制約の少ない学科である。(単位数はいずれも旧指導要領のもの) 長後高校ではこの点に注目して、普通科のまま総合選択制高校を作ろうとしたが、長後高校における3〜4年間の取り組みの中でも「四次報告」のいう「普通科は進学」という固定観念に幾度もぶつかった。 「普通科は進学」ということをカリキュラムの面で言うと設置されている科目は普通科目で、2ないし3年から文系、理系といった受験に対応した類型、あるいは科目があるということになる。もっとも制約が少ないはずの普通科がどうしてこのようになってしまったのだろうか。 高等学校の目的は、「高等普通教育及び専門教育を施す」と学校教育法41条に規定されている。学校は学則で教育の目的を記載しているが、現状では普通高校の場合「高等普通教育を施す」とのみ記載されていることが多い。島江一彦氏は学則の研究の中で、1950年代の後半に普通高校の学則の中から「専門教育」という言葉が姿を消していったと述べている。(1) 1950年代の普通科高校には職業科目を置いている学校が少なくなかった。1952年7月実施の文部省調査によれば(2)普通科で70%以上の学校が職業科目を置いており、もっとも多い学校では15科目を置いていた。神奈川でもさほど大差がなかったのではないかという推測は1950年代の高教組の教研集会の記録(3)を見るとわかる。つまり、職業科目を置いている高校の方が普通だったのである。また、1957年の大磯高校の調査(4)によると調査対象22校のうち16校が就職コースをもち、職業科目をおいている。ほとんどが商業科目だが、農業科目が多いコースも一つある。 こうしたカリキュラムは、大学進学率が上昇するにつれて変化して行く。1956年学習指導要領の改訂に際し、文部省は、大学進学のことばかり考えて高校がカリキュラムを編成しているので、就職希望者のことにも配慮できるようにとコース制を設けたと説明したが、実際には就職者用のコースは次第に姿を消す。 普通高校を大きく変えたのは、1960年改定の指導要領である。 この指導要領は、次のような特色があった。 ・学科ごとに履修させる単位数を増やした。普通科では普通科目68単位、専門学科では 専門科目35単位、普通科目44単位が必履修単位となった。 ・国語、社会、数学、理科などでは学年ごとに学ぶべき科目が指定された。 ・理科、社会でA,B 科目を設け、A科目は一般的な内容、B科目はアカデッミクな内容 とされた。 つまり、卒業に必要な単位数、85単位のうちほとんどが学年まで指定されて必修となり、生徒や学校が選択する余地はほとんどないことになった。また、大学は受験科目にB科目を指定したので多くの普通科ではB科目を中心にカリキュラムを組んだ。1970年の指導要領改訂でA,B科目の区分はなくなったが、普通科目の中心は体系的でアカデッミクな内容を中心に構成されるべきだという流れは変わらなかった。さらに決定的な影響を及ぼしたのは百校計画に代表される高校増設計画ではなかったかと思われる。 1973年から始まった高校建設百校計画は、藤沢工業高校を除いて普通高校であった。藤沢工業高校の建設に際しては住民の強い反対運動が起き、県教委は、藤沢北高校を建設して批判をかわした。住民運動の中心になったのは「神奈川県公立普通高校増設連絡協議会」であった。なぜ普通科が良しとされたかというと、進路決定を先延ばしにできるということと、1960年代多様化に対する反発からだと思われる。(5) 60年代多様化については「ねざす13」の拙稿を参照してほしいが、簡単にいうと後期中等教育は職業訓練機関なども含めて構想され、高校には能力の高い適格者が進学すればよいというものであり、工業高校など普通科以外の学校を多くつくろうともしていた。 新しく建設される高校は普通科であるべきだと考えは運動を担う側できわめて強かった。当時高校改革の理念として掲げられていたのは高校三原則であった。総合制、小学区制、男女共学という理念のうち総合制は普通科とは違うが、現実的な選択として普通科高校の建設を要求したのである。住民運動だけではない。高教組や日教組も同じであった。一方60年代多様化を支えた1960年改訂の指導要領の精神は、十分に批判されることなく、その後も普通科に限って生き続けた。 百校計画で生まれた普通高校には職業科目はほとんどなかった。この背景には高等教育機関への進学率の上昇がある。1980年代になって普通高校に職業科目を導入しようとする試みが生まれるが、大きな影響は及ぼさなかった。(6) こうして普通高校といえば1960年改訂指導要領の言うアカデミックな科目によって構成された、必修の多いカリキュラムが当たり前のものになってしまったのである。そして、その普通科高校は厳密な学年制であった。 長後の改革にあたって、専門科目を設置することから学則の目的規定を「高等普通教育及び専門教育を施す」と改訂したいと県教委に申し出たが、高校教育課の担当者は普通科は高等普通教育のみでよいのだと主張して譲らなかった。普通高校のイメージはかくも固定的なものになってしまったのである。 半世紀を通じて作られた、普通科目、しかもアカデミックな科目を中心にカリキュラムを構成し、受験に備えるという普通科像を改革し、高等学校本来の目的に立ち戻ることこそ重要だと思われる。 高度経済成長終了後も普通科を作り続け、職業・技術教育をなおざりにしてきたことがフリーター増加の一因という指摘もある現在、普通科の改革は緊急の課題ではなかろうか。 (7) 3.単位制とは何か 混迷の第三は、単位制についての理解が混乱しているところから生じていると思う。 学科がカリキュラムの内容を表しているのに対し、単位制はカリキュラムの運用方法を示している。単位制そのものの歴史的背景、もともと単位制がもっていた考え方についてはすでに「ねざすbR、18」に書いた。単位というのは学習量を量る物差しのことであって他には特に意味があるわけではない。ただ、単位制によるカリキュラムの運用を厳密に行うと多くの科目を用意してあとは生徒の選択に任せるということになる。普通科なら普通科目を中心に用意するし、総合学科なら25単位は専門科目を用意するが、学校は科目を用意するだけであとは、生徒任せになるということである。 したがってどんな単位制にするかはその学校の判断ということになる。学校は、生徒の実態や望ましいと考える教育計画に基づいてカリキュラムの運用方法を決めればよいのであるから学年制と単位制を組み合わせることも考えられる。 高等学校の単位制はもともと柔軟なものであった。文部省は次のように述べていた。 「(卒業に必要な単位と、必修単位について述べたあと)以上は、卒業までに修める単位のことであるが、実際には学年を分けて,順次単位をとっていくようにすることは、学校の授業の計画をたてる上に便宜が多いのである。そこで各学年で修める単位数、すなわち進級のために修める単位数を考えてみると 第一年級25単位以上 第二年級に進級 第二年級25単位以上 第三年級に進級 というような基準が考えられるのである。」(新制高等学校の教科課程に関する件1947年) 単位制や学年制を柔軟に考えれば、総合学科を単位制で運用するか、学年制で運用するか、両者を組み合わせるかは学校が決めればよいということになる。 ところが1988年学校教育法施行規則が改定され、単位制高校規定が成立、それに基づいて管理規則が改定されて、高等学校は単位制か学年制のどちらかになってしまった。学校教育法施行規則では「(施行規則27条の規定にかかわらず)学年による教育課程の区分を設けないことができる。」(64条の3)と規定しているだけだが、管理規則は、修業年限や原級留めおきの規定で単位制と学年制の学校を明確に分けてしまっている。 そのため単位制と学年制を組み合わせるといった柔軟な方法はできなくなってしまったのである。 学校は、まずどのような教育計画で学校を運営するかということを考えるはずである。それがカリキュラムである。実施したいカリキュラムにふさわしい運用方法を次に検討する。学年制か、単位制か、どのように併用するかということである。現状では、この当たり前のことが逆転して、まず単位制が決まってそれにあわせてカリキュラムを考える。しかも単位制高校になれば、学年制との併用はいっさい認めないからおかしなことがたくさん起こってくるように思う。 長後高校では、大幅な選択制カリキュラムを考えたのでそれにふさわしいのは単位制であろうということになった。例えばほぼ全員が4年生大学を希望し、それにあわせて進学準備ができるようにカリキュラムを編成しようとするなら、どう考えても学年制の方がふさわしい。それなのにまず単位制が決まってしまい、そのあとで進学準備ができる教育課程を編成したいと考えるので無理が起こるのである。 単位制がもともと持っていた柔軟な考え方を復活させ、単位制がカリキュラムの運用方法であるということを確認した上で学校づくりをする必要があると思われる。神奈川県教育委員会規則である学校管理規則さえ変えれば、柔軟な単位制の運用は十分可能である。 4.カリキュラム開発の重要性 混迷の第四は、改革はとにかく目新しい科目を設置することだという誤解があるのではないかという点である。隠し芸大会だなどと揶揄されることもある。 長後の改革をはじめるとき、既存の普通科目では生徒の興味、関心に応えられないのではないかという問題意識があった。また、すべての科目について、学習の系統性やまとまりにこだわらず、生徒の進路意識の形成に寄与できるよう構成できないかという問題提起もした。新しい科目や専門科目を用意するということと、既存の科目を再構成したいという問題意識であったが、荒っぽい提起であり、その後継続して追求することもできなかった。 総合学科は、当初、原則履修科目として「産業社会と人間」「情報基礎」「課題研究」を設置していた。また、選択の目安として「系列」という科目群を置いている。総合学科の教育内容として文部科学省が言っている次のことは注目すべきだと思われる。(8) ・生徒の主体的な学習を学ぶことの楽しさや成就感を重視すること ・実践的、体験的な学習を重視すること また、課題研究の学習については従来の系統的な学習から脱皮することが謳われている。 佐藤学氏によればカリキュラムには「階段型」と「登山型」があるとされている。二つのカリキュラムについての説明を少し長いが、引用させてもらう。(9) 「『階段型』のカリキュラムでは、学びの到達点を示す『目標』が到達目標として定められ、学びの過程は狭い階段のように確定しており、学びの活動は細かなステップで段階的に規定されています。『階段型』のカリキュラムの単元は『目標・達成・評価』という構造で構成されています。」 「『登山型』のカリキュラムは、特定の『主題』を中心として教材と学びの活動を組織する様式です。このカリキュラムの単元は、一般に『主題・探求・表現』の構造で組織されています。」 カリキュラムの二つの型については、1975年にOECDと文部省によって行われたカリキュラム開発の課題というセミナーでも取り上げられている。そこではカリキュラム開発のアプローチの方法として「工学的接近」「羅生門的接近」の二つが定式化されている。このセミナーでは、二つのアプローチは相互に補いあいながらカリキュラム開発に貢献すべきであるとまとめられている。(10) 高等学校の普通科目はごく一部を除けば「階段型」のカリキュラムである。系統的なカリキュラムといってもいいと思う。そして総合学科が目指す教育内容は明らかに「登山型」のカリキュラムを含んでいる。 こうした考え方は全く初めてというわけではない。なにかというと昔に戻ると思われるかもしれないが、新制高校のカリキュラムにはきわめて近い考え方があった。「新制高校教科課程の解説」(1949年)は次のように述べている。 「教科の内容は、学問的な選択と配列に基づく教授要目によるのではなく、生徒の活動を中核とする問題単元によって構成される。こうして生徒が価値ある経験を重ねることによって自ら成長発達することを助成するのが、学習指導のねらいである。」 高等学校でこうした考え方を実践した例はあまりないと思われるが、工業高校では、学問的系列を排し、実習を核として具体的なものから出発してカリキュラムを構成するという試みが一部で行われている。(11) 総合学科の系列は、まとまりのある学習ができる科目群ということになっているが、すべて選択である。生徒の選択に任せるということとまとまりがあるということは矛盾する。文科省は、系列の科目群を基礎と基礎以外に分けると述べているが、これではあまりにおおざっぱすぎるような気がする。新校委準備委員会で、県教委は基礎と応用に分けてほしいといってきたが、そうするとまず基礎を学んで、次に応用ということになる。1年目は必履修科目を中心に学ぶとすると、基礎は2年目、応用は3年目ということになる。これなら学年制の方がわかりやすい。 基礎とか応用というのはそもそもが系統学習になじんだ概念ではないだろうか。課題解決型のカリキュラムは、一つのテーマにたいしてさまざまな角度で学ぶことが想定されている。一つのテーマにたいして学ぶコースが一つではないのである。 系列というのは、それ自体が大きな「主題」になっている。その主題にさまざまなコースからアクセスすると考えれば一つのカリキュラムとして構造化ができる。 今必要なのは、系統的なカリキュラム一色だった高等学校に課題解決型のカリキュラムをどのように導入するかと言うことではないだろうか。 おわりに 特色づくりから始まって再編まで一つの学校の中で次から次へと起こることに取り組んでいると投げ出してしまいたいと思うことがある。考えていたとおりにならないこと、力が及ばないこと、思いがけない事態が生じることは数え切れないくらいである。 しかし、新しい発見もたくさんある。私の場合は、カリキュラム開発というテーマは取り組みの中で発見し、今も発展中の課題である。実践的な課題、理論的な課題が次々と立ち現れ、楽しみでさえある。単位制という課題も県教委の方たちと論争しながら、深化していくことができた課題である。権力を持っている(つまり直接現実を動かしている)のは県教委であるから、そこと切り結ばなければ理論の意味がないと思う。 総合学科は全県1学区だから改革として意味がない、といった論調もあったが、それだけのことで何もやらないというのではもったいないのではないだろうか。長後高校が学区制について何を県教委に言い、結局どうなったかというのも私にとっては闘いの一つである。そのことが思い通りにならなかったから放り出すのでは何回放り出しても足りないくらいである。 しかし、不安も多い。何年か経ったら総合学科などは、エリート教育が盛んに言われる中でどこかへ吹き飛んでしまっているかもしれない。総合学科を作ることに意味を見いだすのではなく、上からの指示を形だけ実現することに意味を見いだしているような人もいるから、不安は強くなるばかりである。 何のための改革なのか、何をどう改革するのかということを何度も確認しながら前に進みたいと思う。 注
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