映画に観る教育と社会(3)
 
               
手島 純


【反戦映画からR指定映画へ】

平和映画祭
 横浜黄金町にあるシネマ・ジャックに出かけた。ここでは毎年夏に平和映画祭が行われており、今年は10周年記念にあたる。今年も見逃すことのできない秀作が並ぶ。すでに本コラムで紹介した「ボウリング・フォー・コロンバイン」(マイケル・ムーア監督)や「チョムスキー 9.11」(ジャン・ユンカーマン監督)も上映された。最近話題をよんだロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』もかかっており、さすがにシネマ・ジャックは健在だなと思う。
 この映画館はシネマベティも併設しており、そのシネマベティで1998年6月、『南京1937』を上映したために右翼からのいやがらせを受け、スクリーンが切られるという災いを被ったのである。それにもめげず、こうして平和映画祭10周年を迎えることができたことに、何より拍手をおくりたい。

深作欣二の映画
 ただ、私がここで論じたいのは、上述の映画ではない。かの悪名高かき「バトルロワイヤル」を作った深作欣二監督によって1972年に作られた映画「軍旗はためく下に」が、この平和映画祭で上映されていたその事実である。深作欣二といえば、中年世代は「仁義なき戦い」を思い起こすに違いない。しかし 、「仁義なき戦い」にしろ「バトルロワイヤル」にしろ、どちらも暴力的な映画で、世の良識人にはうさんくさい映画だろう。それゆえ、R指定でもある「バトルロワイヤル」を作った監督が映画「軍旗はためく下に」という反戦映画を作った監督でもあるということを知らない人は多い。

「軍旗はためく下に」
 この映画は、戦争で夫を失った女性、富樫サエ子(左幸子)が、夫の死の理由が戦死ではなく「死刑」であったのはなぜなのか、その真相は何なのかをはっきりさせる過程が描かれている。しかし、訪ね歩いたそれぞれの説明は食い違う。夫は英雄であったという者もいれば、奴は人を殺してその肉を野豚だといって食料と交換していたという者まで・・・。「藪の中」と思われたその真相も徐々に明らかにされる。夫は無謀な上官の命令に従わず、仲間と共謀してその上官を殺害したため、死刑になったのであるという事実が。
 その真相に至る経緯こそ、まさに戦争の悲惨さを露骨に表し、それが結果的に反戦映画になっている。私は四半世紀ぶりにこの映画を観たが、その時の衝撃に劣らないほどに、今もこの映画を観ることができた。

映画「仁義なき戦い」と「蒲田行進曲」
 深作は、その後、「仁義なき戦い」をシリーズで作り始める。高倉健主演の任侠やくざ映画が全共闘時代を代表するなら、菅原文太主演の「仁義なき戦い」は内ゲバ時代を象徴すると、同時代に映画を追い続けていた私には思えた。やくざの抗争が描かれ、殺された者がまるで昆虫の標本のように記録されていく(この手法は「バトルロワイヤル」にも継承されている)。意味もなく殺害しあうやくざたち。この暴力の繰り返しに辟易しながらも、当時の政治や学生運動に映画を重ねあわせていた。深作が多用した手持ちカメラによる臨場感の演出も効果的であった。
深作の映画で大ヒットしたのは「蒲田行進曲」である。いうまでもなく、この映画はつかこうへいの同名の芝居を映画化したものである。つかは、かなりアイロニカルな表現を多用する。それは差別的ともいえるほどである。しかし、彼が在日朝鮮人であるという出生を見逃してはならない。そのつかと深作の出会いが、この映画を大ヒットに導いた。
 深作は、つかと通じるものがあるのではないかと思う。それは、それぞれ「暴力」と「差別」というものを対象にしているが、その過剰な演出による結果的な「暴力」と「差別」の否定。「暴力はいけません」「差別はいけません」というような標語ではなく、徹底的にそれらを描くことによる否定なのである。
 深作は旧制中学の時に勤労動員されていた工場が艦砲射撃の対象になり、その犠牲者の死体を拾い集めたという体験をもつ。

「バトルロワイヤル」へ
 深作欣二の「バトルロワイヤル」や、彼が急逝したため後を継いだ子息、深作健太の「バトルロワイヤルU」は観ていて楽しいものではない。子どもたちが殺し合うシーンは壮絶で実際、気分さえ悪くなる。しかし、深作欣二はこの度し難い暴力を描くことで、やはり現実の暴力性こそを描きたかったのではなかろうか。そう、21世紀のこの世界はあまりにも暴力的なのだから。 
深作は「やくざ」ではなく「子ども」をあえて主眼に据えて鋭く世相を読みとった。悲しいかな、そこに登場する「教師」は大人の代表で、子どもたちとは敵対的な関係ではある。もはや子どもの味方ではない。が、ビートたけしや竹内力が怪演する「教師」たちはどうにも孤独なのだが・・・。
 それはともかく、深作健太の「バトルロワイヤルU」は敵の象徴を米国と暗示し、イスラムのゲリラへと抵抗の象徴をおもねたところに逆に浅薄さを感じた。ステレオタイプな決めつけはしらける。としても、「軍旗はためく下に」から「バトルロワイヤル」への道は、決して別の道ではないように私には思えるのだ。反戦映画とR指定映画との暗渠を見透かす想像力こそ、いま必要なのではないのだろうか。