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これを読んでいるあなたに一つ質問したい。 「あなたは自分の声をテープに録って聞いたことがあるや否や」 多分、ほとんどの人の答えは「ノー」であろう。 年度初め、「国語表現」の授業で私は先ず自己紹介をさせる。それをテープに録って生徒に聞かせると異口同音に言う。 「うっそー、これホントに自分の声?」 あのユニークな声の持ち主・黒柳徹子も自分の声を聞くまではオペラ歌手を志望していたという。それほどまでに他人の聞いている声と自分の思っている声とは違うものだ。読者諸氏も是非一度試みられたし。 歌手やアナウンサーとまではいかなくても教員にとって「声」(話し方)は重要である。声が出なくなればお手上げの「商売」であるし、小さな声やわかりづらい発音では「教育的効果」の上がるはずもない。 教員ならずとも、服装や髪形には時間や労力・お金をかけるのに「声」には無関心という人は多い。 幼い頃は「ひょっこりひょうたん島」のダンディの声(声・小林恭治)にしびれ、長じては007の吹き替え(声・若林弦蔵)に酔った私にはそれがなんとも不思議だ。 教員にもいい声の持ち主は多い。英語の先生に多いのは偶然ではないだろう。あまり息を使わないで発することのできる日本語と違い、英語の発音は肺からのたくさんの空気圧を必要とする。つまり授業をしながら、自然と腹式呼吸のトレーニングをしていることになるからだ。 「たかが声」と侮るなかれ。身近な人でも政治家でも、一度目をつぶり「声」にだけ注意して聞いてみるとよい。視覚にとらわれない分、声はいとも正直にその人の知的レベルや精神状態を語る。だからこそ「声紋分析」という研究が成り立つのであろう。 声紋研究の第一人者鈴木松美も『日本人の声』で書いている。「声は嘘をつかない」と。現在の分析技術では性別・体格・年齢は勿論、背の高さも5p刻みで判別が可能という。 5pという精密さに驚くが「バイオリンとコントラバスを比較してわかるように、大きいものは低い音を出し、小さいものは高い音を出す」と言われれば納得できる。「声」は人間の体を楽器として出す「音」なのである。 そうなると、「出身地・職業・体調までも声によって推測できる」というのもあながち誇張とは思えない。方言やスラングなど言葉を含めて「声」を考えれば確かにそれも可能であろう。 ちなみに「先生」は「相手の話をあまり聞かずに畳みかけるような話し方をする傾向がある」と書かれている。ムムム……。 先に挙げた「どれが自分の声か」という疑問にも科学的な説明がある。他人は「空気中を伝わってくる音」を聞いているのだが、自分が聞いているのは「自分の骨を伝わって鼓膜を振動させる音」なのだそうだ。 「女性の声の低音化・男性の声の高音化」の叙述も興味深い。なるほどスピッツの歌う「ロビンソン」などは私も苦しいくらいキーが高いし、女性アナウンサーの声は総じて低くなっている。 「声」の重要性はわかっていても変えられないとお嘆きの方には「声は遺伝的要素より後天的要素が強い」と明言する『声がよくなる本』を読んでいただきたい。 著者・米山文明は声帯医学専門の医者なので、発声のメカニズムからよい声を出すためのトレーニング法まで具体的に説明している。 トレーニングと言っても発声練習だけではない。前にも書いたように「声」は体全体を使って出す「音」なので、手足のストレッチから唇や顎のトレーニングまで列挙してある。 例えば「口の中のトレーニング」は「下顎を思い切り下げて口を開け、舌を勢いよく出してください。そしてそのまま舌を元に戻し口を閉じます」という具合だ。まあ、ちょっと人前ではやりたくないトレーニングであるが。 そこまではとお思いの方も「あずきや黒豆は喉の薬」とか「お酒は飲み方しだいで声に有効」などは興味を持たれることだろう。 少しアルコールを飲んだ時の声帯は軽く充血していて、楽に声が出る最上のコンデションとのこと。ただし使い方を間違えば声帯を痛めやすい危険な状態でもあるようだ。 「痛めやすい」といえば学校という職場は恒常的に「声」には過酷な環境である。私など風邪をひくと決まって最後は喉にきて声が出なくなる。これも職業病の一種か。せいぜい摂生して生徒の「黄色い声」や「奇声」「罵声」に「ね 音」を上げないようにしよう。 鈴木松美 編著 『日本人の声』 洋泉社 2003年 米山文明 著 『声がよくなる本』主婦と生活社 1997年 |