前期再編を考える
                             金澤 信之
はじめに
 県立高校改革推進計画の前期計画に基づき、04年度に新しいタイプの高校が9校開校する。(定時制を含めて10校)次年度は前期再編計画のピークになると思われる。そして、入試制度も変更になり、学区も撤廃されようとしている。神奈川の高校教育が大きく変わろうとしている。
 本レポートでは、神奈川における再編計画を東京都や文部科学省の考え方と比較しつつ、現在までのまでの高校改革の流れを簡単に確認する。また、生徒の在籍状況についての考察なども含めて、前期再編計画を考えるための若干の視点を示すことを目的としている。

1.教育統計から見る神奈川の状況
 1)中学卒業予定者の進学希望

 高等学校の再編は基本的には2校統合方式となっている。その際、学級規模は2校分にはならず、ほぼ1校の大きさになる。これは、少子化による中学卒業者数の減少を根拠にしているわけだが(1)、ここ数年でそれもボトムを迎え、その後、緩やかな増加に転じる。また、入学定員策定に際しては、40人学級の維持が前提になっており、今後30人学級が導入されるとしたら、公立高等学校の数は絶対的に不足するだろう。
 さらに、現状でも希望者全員が公立高校に入学できない実態がある。神奈川県教育委員会の教育統計(2)から作成した下表によれば、全日制の県内公立高校への進学希望が公立中学卒業予定者の約82%なのに対して、県内公立高校への進学者はその約62%しかない。ここを放置して、高校の数を減少させるということは、公立高校への入学を希望する生徒・保護者の願いに行政が応えていないことになるのではないか。もちろん、私学を第一希望とし、公立を第二希望とする場合なども想定されるので単純には言えないが、希望が成立しなかった約20%、約13500名という数字は、6クラス・240名規模校(統合されるほとんどの高等学校の規模)56校に相当するのである。

    公立中学3年生の県内全日制公立高校への進路希望
  2003年度 2002年度
卒業予定者 68763 69052
全日制希望者B 56148 56262
全日制希望卒業予定者B/A 81.7% 81.5%

県内公立高等学校への進学者数
2003年度 2002年度
全日制進学者数C 42581 42728
全日制進学者の対卒業予定者比率C/A 61.92% 61.88 %
希望減少数B−C 13567 13534
希望減少数の対卒業予定者比率 19.73% 19.60 %

 2)公立小学校卒業者の進学状況
 高等学校再編の目的の一つは多様な高等学校を設置することだが、それが果たして保護者や生徒の希望に沿ったものであるかは絶えず検証する必要がある。そう考えるのは、実は公立学校離れは、中学校への進学から始まっているからだ。神奈川県教育委員会の学校基本調査結果報告(3)から作成した下表によれば、ここ5年間、公立中学に進学しない生徒の割合は増加傾向にある。この現象は、ここ数年のゆとり教育や学校五日制、さらには三割削減で話題になった新学習指導要領などに対する不信が原因なのだろう。(4)公立中学校以外への進学希望が増加するということは、結果として、公立高等学校離れをおこしていることになるのである。
 また、数多く存在する塾・予備校の情報も生徒・保護者の学校選択に大きな影響をあたえている。既に、開校する前年には再編される新校のランクが高校受験案内に掲載される実態がある。(5)高校改革で新校が生まれても、結局は塾・予備校のランク表に飲み込まれる現実がある。学区がなくなれば、これまで以上に塾・予備校の資料に対する依存度が保護者・生徒の間で増加していくだろう。
公立小学校 6年在籍者総数A 公立中学校 1年在籍数総数B  AーB  対小学生率
1997年度 80981 1997年度 71471 9510 11.74%
1998年度 77906 1998年度 68770 9136 11.73%
1999年度 77868 1999年度 68419 9449 12.13%
2000年度 77080 2000年度 67559 9521 12.35%
2001年度 73017 2001年度 63724 9293 12.73%

2.80年代の高校教育改革と雇用政策
 1)高校多様化政策
6)
 神奈川の高校再編計画はここ数年で独自に発想されたもではない。背景には80年代から続く高校多様化政策がある。
 60年代高度成長期には学科・科目の多様化であった。80年代になると、学校の種別そのものを多様化させる政策に変化した。79年6月の都道府県教育長協議会プロジェクトチームの報告書には、新しい時代に対応する新しい高校として、単位制高校、集合型選択制高校、全寮制高校、単位制職業科高校、六年制高校、地域に開かれた高校の6タイプが出された。
83年、東京都は「新しいタイプの高校構想」で、総合選択制高校、単位制高校、中高一貫六年制高校、国際高校、新体育高校、新芸術高校、定・通独立センター校といったものを打ち出した。神奈川では、その後、単位制高校、総合学科高校の開校へと続いていった。
 この背景には、戦後の六三制単線型学制を否定し、複線型学制への変更という基本的な構想がある。これは、臨教審における個性主義、教育の自由化論争へと継承され、現在では、画一的な教育の見直しという表現で政策化されていると考えて良いだろう。(7)
 高校多様化の背景には雇用政策がある。60年代が高度成長期対応だとしたら、80年代から続く高校多様化政策の背景にある雇用政策はいかなるものなのだろう。

 2)90年代日経連の雇用政策
 80年代は、それまでの少品種大量生産・重化学工業主体の産業構造から多品種少量生産・高度先端技術工業へと産業界は変化していった。その中で、熟練技能労働者が解体し、ME革命の中で、限定された数の技能工と単能工・パート労働者へと労働者は再編されていったのである。こうした変化は、60年代に高度成長型に多様化された高校を時代遅れのものとしていった。(8)
 90年代、日経連は、低成長期への移行の中で、雇用の空洞化・国際化・規制緩和・市場開放の要請、高齢化、従業員意識の多様化などから、経営戦略は大きく変化するとし、その中での雇用形態のあり方を提起している。すなわち、一つは、従来の長期継続雇用という考え方に立つ、長期蓄積能力活用型グループ。二つは、長期雇用を前提としない高度専門能力活用型グループ。三つは、雇用柔軟型のグループ。これらのグループは、賃金・賞与・退職金・年金・昇進・昇格・福祉の処遇も異なるとされた。(9)この雇用形態の階層化と高校教育の多様化の関係は無視できない。
 その後出された経済戦略会議の答申は、「個々人の自己責任と自助努力をベースとする健全で創造的な競争社会を構築」するために、義務制段階から、学校選択の自由、学校間の競争、多様なカリキュラムの導入を提言している。(10)この競争の結果、多様化・複線化された高校への入学があり、高等教育機関への入学があり、そして処遇の異なる3つの雇用形態へつなげていくことが企図されているように思える。
 このような際限の無い競争社会の中で、高校教育はどのように変化するべきなのだろう。あるいは、変わらないという選択肢はあるのか、大きな課題である。

 3)厳しさを増す新規雇用 
 高校卒業者・大学卒業者の新規雇用は厳しさを増している。若年失業者の増加。それが大きな地域間格差を生じていることが問題となっている。また、大卒・高卒の無業比率も増加している。たとえ新規採用されたとしても、3年以内の離職率は中卒・高卒・大卒で7・5・3(割)現象と呼ばれほど高い。 (11)
大卒無業比率 92年 5.7% 02年 21.7%(約12 万人)
高卒無業比率 92年 4.7% 02年 10.5%(約14 万人)

 高卒無業者と一括りにしても、それは学校間で大きな格差が生じているのは確かなことだ。進学希望がほとんどの学校もあれば、就職希望者が多く存在する高校もある。そういったことを考えれば、高卒無業者の比率には高校間格差が大きく影響していると思われる。離職率が高いといっても、それが学歴に比例していることから、学歴間の格差もある。進学先の高校が判明した時から未来が透けて見え、無力感に襲われることもあるだろう。
 しかし、たとえ大学を卒業して就職したとしても、そこには年々厳しさを増す競争社会が存在する。アメリカのホワイトカラーが味わっている悲哀を既に日本社会も経験し始めているといってよいだろう。(12)
 先の見えない不安が世の中を覆っている。教育が抱えている困難な状況は、社会の問題でもあると考えるべきだ。社会の変化に合わせて教育を改革したとしても、その社会そのものに希望を持てなければ、改革の意味は無いだろう。学校を変える前に社会を変える。それが、大人の責任というものではないだろうか。

3.東京都の高校教育改革(13)
 東京都は2011年に、全日制が180校(99年、208校)に、定時制が55校(99年、100校)に再編される予定だ。これは、40人学級を維持する方向で考え出された数字であるそうだが、既に少子化による中学卒業者の減少には歯止めがかかっており、07年度には70学級の不足が見込まれている。さらに、30人学級を導入すれば、改革完成年次には325学級が不足し、それは1学年6学級規模校の54校に相当するという。
 また、東京都の高校教育改革の特色は高校のタイプをはっきりさせていることだ。まずは、進学を基本とした様々な高校がある。中高一貫六年制(日本のリーダーを養成する)、進学重視型単位制高校、進学型の工業・商業、進学重点指導校の普通科といった具合である。そして、総合学科、チャレンジスクール(不登校経験者・中退者を主に受け入れる昼夜開講の三部制単位制・総合学科、昼夜間定時制独立校)、単位制高校(進学重視以外の)、産業高校などである。さらに、普通科は進学重点指導校以外に、生徒の大半を受け入れることになる中堅校、エンカレッジスクール(力を発揮できない生徒に基礎学習・体験学習を重点的に実施)に分かれる。
 進学を中心に据えた、能力別複線化高校制度といえるのかもしれない。

4.04年度に開校する県立高校
 1)神奈川の基本的な視点(14) 
高校教育に求められる基本的な視点として、神奈川は〈個が生きる教育の実現〉〈豊かな心(人間性)を育む教育の推進〉〈望ましい社会性の育成〉の3つを掲げている。特に〈個が生きる教育の実現〉の中では、「県立高校では、外国籍生徒や海外帰国生徒、障害のある生徒が学んでいます。それぞれの個性を認めあいながら、互いを理解し、尊重し、共に学ぶ県立高校をめざします。」(下線筆者)と述べ、共に学ぶ場としての高校をイメージしている。それぞれに個性を持った生徒が集う場としての高校をまずは考えているのだから、東京のように、進学を中心に据えた複線化としての高校教育改革を目標とはしていないと想像できる。
 この3つの視点を実現するために、多様な教育の提供が求められているとし、単位制に
よる普通科高校、フレキシブルスクール、総合学科高校、新たな専門高校・専門学科の設置の拡大が求められているとしている。東京都があらかじめ入学する生徒像を特定し、それに合わせて高校の複線化をしているのに対して、神奈川では入学する生徒の希望を基本にして、その希望をそれぞれの高校内で等しく実現できるように考えているのではないか。
だから、特に進学型であるとか不登校・中退者受入であるとかの説明がないのであろう。
 また、普通科高校については「すべての普通科高校において、一人ひとりの特性や進路希望、幅広い興味・関心に応じることができるよう、特色ある教育活動を一層展開し、多様な教育の提供を進めます。」(下線筆者)と示され、少なくとも東京都のような普通科に対する種別化の試みは進められていない。

 2)04年度開校の新校(15)
 04年開校の新校は全日制の単位制高校3校、定通併置の単位制高校(フレキシブル高校)1校、全日制の総合学科5校である。9校全て2学期制になっている。半期認定の科目の設置など、2学期制の方が柔軟な運用が可能なのだろうか。
 総合学科は全て、50分6限の授業展開を行う。単位制高校は県西方面校が45分7限の授業展開で同時に改変される定時制の授業もとれることになっている。横浜西部方面校と横須賀三浦方面校は90分4限を基本として柔軟に展開するとした。川崎南部方面校・フレキシブルスクールは90分6限、ただし45分の12展開にするとなっている。 
 学校規模は、ほとんどが18学級・720名となってるが、県西方面校のみ27学級・1080名の大規模校(ただし、施設が完成するまでは、24学級・960名)となっている。現状の全日制普通科では1学年9クラス規模校となる。
 各校の基本的なコンセプトの中には、「多様なニーズ」・「それぞれの進路希望」などといった表現が並ぶ。履修例などを見ても、大学進学から興味・関心・教養的なものまで幅広く想定しており、各学校内で生徒が分化する仕組みとなっているようだ。様々な子ども達が集える場になろうとしていることが分かり、進学型などと明言した東京都の高校教育改革とは一線を画している。
 しかし、心配な点もある。東京都同様、神奈川県も学区が撤廃される。既設校・新校を含めて全ての学校が、意図するしないに関わらず、市場原理・競争原理に巻き込まれる可能性がある。(16)地域を越えて生徒を獲得する競争が始まるようでは、高校再編の基本的な視点から離れてしまうことになるだろう。

 3)教育条件(教員定数)
 開校する新校には手厚い教育条件整備が必要である。複雑な時間割、新しい多くの講座、単位制ゆえの仕事の増加などに対応するため、正規職員・講師を潤沢に配当する必要がある。04年度開校する学校の完成時の配当数は下記の通りである。果たして、この配当数で学校運営がうまくいくかどうかについては、絶えず検証する必要があるだろう。問題が生じた場合は、各校の状況に沿って、緊急に県独自の定数増・加配増の措置を講じる必要が出てくるのではないだろうか。特に、次年度の生徒の講座希望が固まる時期に合わせた配当も考える必要があるかもしれない。各校の学校運営と教育委員会の連携を緊密に行い、生徒の講座選択希望を実現しなければならない。

       02年度配当数 校長・教頭・教諭、養護教諭をのぞく
   学級数
18クラス 27クラス
全日制普通科 43名 58名
全日制総合学科加配数 11名 16名
全日制単位制高校普通科加配数 9名 14名

5.02年度文部科学白書(文中では「白書」と記述)と高校教育改革
 1)消えた受験競争緩和の方向性
 白書には戦後教育改革(初等中等教育)の流れをまとめた箇所がある。それは、背景と主な施策に分けて整理してある。(17)
 「安定成長化の教育の質的改善(おおむね昭和46年〜59年)」の背景の中には「知識詰め込み型教育の弊害、受験競争の激化」(下線筆者)がある。「臨時教育審議会設置移行の教育改革(おおむね昭和59年〜)」の背景の一つには「知識詰め込み型養育の弊害、受験競争の低年齢化」(下線筆者)とある。そして、「教育改革国民会議(平成12年3月)」には、受験競争に関わる記述は無い。そこには「冷戦構造の崩壊、経済社会のグローバル化」「行き過ぎた平等主義による教育の画一」などといった文言が並ぶ。グローバル化した競争社会に対応するため、教育における競争をためらうことなく、表だって言い始めたのである。
 都民向けに編集された東京都教育委員会の「都立高校ガイドブック」(18)中のコラムで、一人の教育委員が「意識改革の根幹をなすものは、徹底した『自己責任』、『自主・自律』であり、『行き過ぎた自由と平等』を是正し、『権利』の根っこにある『義務』を再認識する事です。」と書くのは、まさに白書と同じ発想である。
 偏差値教育の是正や業者テストの廃止など、効果の是非はともかくとして、少なくともこれまでは受験競争を緩和する方向性を示してきたのではないか。表面上は競争の激化を是正しようとしていたのではないか。それが、いとも簡単に捨てられてしまったような気がしている。現代の教育改革の背景には飽くなき競争の是認があると言うのは言い過ぎだろうか。(19)

 2)学力低下論争とエリート教育
 二十世紀末、「分数のできない大学生」という印象的な報告から(20)、学力低下論争が始まった。論争は文部科学省の「ゆとり教育」と学力低下の因果関係、三割削減されたという新学習指導要領をめぐって激しい論争が展開された。この論争は教育問題の背景にある「階層社会」(21)の指摘といった成果を残しつつ、結局はエリート教育の是認へと収斂していった感がある。
 OECDが実施した「生徒の学習到達度調査(PISA)」で、日本は国際的に上位にいるとしながら、文部科学省は教科用図書検定基準を一部改正し、教科書に「発展的な学習内容」を取り入れるなどの新たな施策を展開する。さらに、「確かな学力の向上を目指した取り組みの充実」として、発展的な学習を含む「学力向上フロンティア事業」の実施、「スーパーサイエンスハイスクール」や「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」設置を進めるとしている。(22)
 「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画のあり方の検討」の中では、「教育を受ける機会」を「教育を受ける権利」に改めることを見直しの方向としている(23)が、教育の機会は全ての国民に等しく開かれているものではなく、自己責任を果たし、権利を行使する者の前に開かれるといことになるのだろうか。

6.高校教育改革とトラッキングシステムの類似 
 02年度文部科学白書によると、アメリカ合衆国の初等中等教育は、「学習者個人の教育的ニーズや興味・関心を重視するあまり指導内容や期待される学力水準が多様化し、その結果、基礎学力に対する強い懸念が示されるようになりました。」「国内外の各種テストでの成績低迷やハイスクールの高い中退率(卒業までに30%が中退)は1980年代以降大きな問題になっており」といった状況下にあり、02年に「落ちこぼれをつくらないための初等中等教育法(No Child Behind Act)」を成立させたとある。  
 この説明はまさに現行の日本の高校多様化に重なりはしないか。多様化の先に中退の増加と成績低迷が待ち受け、それがグローバル化する競争社会での「人材への不安」に結びつくとしたら、現実の問題として、被害を受けるのは子ども達ということになる。
 我々は、アメリカは自由で子ども達の個性が尊重され、入学は容易だが卒業が困難な大学があり、受験競争とは無縁であろうとぼんやりイメージしている。果たしてそうなのだろうか。山口和孝氏(埼玉大学助教授・当時)のカリフォルニア州のハイスクールについてのレポート(24)からの引用で、その実際を確認したい。(引用は部分的に筆者が要約を行っている。)それは、日本における高校多様化を考える時に無視できないものである。
  
○ ハイスクールの履修プログラムは中学で履修した到達度別クラスの種類とその成績によって決定する。
○大学への進路は高校の履修と成績で決まる。中学卒業時に基準点を獲得できなかった者はハイスクールでも中学の科目の履修からはじまる。このような生徒やエリート選抜コースに乗れなかった者は自然と淘汰され四年生大学への進学の可能性はほとんどなくなる。
○ハイスクールの出口では大学の受け入れ定員より少ないエリート生徒が「自然」として残る。結果として生み出されるのは、「忘れられた半分」と呼ばれる低学力のままにおかれた大量の生徒である。

 「忘れられた半分」は、アメリカの様に校内に能力別コースが存在しない日本の高校内では生じないだろう。もし、それに近いものが発生するとすれば、学区が撤廃された後、競争を強いられ、予備校・塾にランク付けされた高校間においてかもしれない(忘れられた半分の高校?)。ただ、それぞれの現場の努力が「忘れられた」という意識を生徒に持たせない可能性もある。これまでも課題集中校でそのような様々な取り組みがあったのではないだろうか。(25)例えば、多様な選択科目の設置や少人数授業、再履修制度などを通して教職員は「忘れる」ことなく子ども達に関わってきたのではないだろうか。
 しかし、生徒が自分の興味・関心に合わせて自由に時間割を作成するといったアメリカのハイスクールの一面を持つ単位制高校や総合学科などでは、校内にそれに近い状況が生じる可能性もある。もっとも、高校受験によって、高校そのものが「トラッキング」になっていると考えることもできるので、すぐにはアメリカのようにはならないだろう。

○能力・進路別クラス編成と学業到達度学習をあわせたものがトラッキングである。学業到達度学習とは学習の到達度に応じて上位や下位のクラスに移動できる仕組みである。
○ハイスクールのトラッキングは一般的に@四年生大学進学志望者の学問的トラック、A幅広い一般教養の育成を目的とする一般教養トラック、Bタイプ、自動車修理、基礎簿記、調理など、基礎的労働技術を習得させる職業訓練トラックの三つにわかれている。
○こうした教育課程の不平等は、親の収入・学歴や子どもの養育能力、家庭・地域の使用言語などに規定された低学力問題として現象することになる。
○サーフィンから現場労働実習まで、多種多様に生徒の即物的な関心に迎合したプログラムを配置して、"ショッピング・モール"型とか"カフェテリア"方式などと皮肉られる「忘れられた半分」のためのカリキュラムは、結果的には、国民全体の教養の質を低位に停滞させ、ひいては、生産性の足をひっぱり、地域の治安を不安定にする。

 「「忘れられた半分」のためのカリキュラム」を用意した高校教育改革では、アメリカの失敗を繰り返すことになる。教育は社会との関連を無視して語れないが、改革の進む各校で多様化したアメリカのハイスクールの現実(失敗)を踏まえてカリキュラムを作り、その上で生徒と関わっていくことが大事なように思えるのである。 

おわりに
 神奈川の高校再編計画が「県立高校改革推進計画」中の基本的な三つの視点(〈個が生きる教育の実現〉〈豊かな心(人間性)を育む教育の推進〉〈望ましい社会性の育成〉)を実現するものであってほしい。
 中学卒業者の減少もボトムを向かえる。また、公立高校への入学を希望する子ども達が高校入学者よりも多く存在するという現実を踏まえて、後期再編計画は作られるべきだろう。
 学区が撤廃されようとしている。既に新タイプの高校は全県1学区で募集を開始している。(26)格差構造の中で子ども達が高校選択をすることになるとしたら、多くの子どもが偏差値によって学校選択をすることになり、各自の希望による学校選択はほぼ不可能だ。もちろん現在でもその傾向は強いのだが、新タイプの高校が増加する中で不本意入学を発生させない工夫も必要になるかもしれない。
 さらに、学区がなくなることで意図せずとも学校間の競争が激しくなることが予想される。そこに埋没しないようにしなければならない。次にどのような生徒を入学させるかではなく、眼前の生徒を見据えた教育が必要だろう。これについては、課題集中校を中心とした様々取り組みや、それに意欲的に取り組んだ方々の実践に学ぶ必要があるだろう。
 子ども達と向き合い、「忘れられた半分」を現出させないことは重要な課題だ。各校が
「"ショッピング・モール"型とか"カフェテリア"方式」に落ち込まない教育課程の編成をしなければならない。否応なしに競争社会で生きていくことになる子ども達に何を伝えるのかを考えることから始めたい。
 流動化する雇用の中で生きる子ども達が大半を占めると思われる。様々なスキルを身につけ、資格を獲得し、人生において何回か職業に関わる再教育を受けることになる可能性が大きい。(27)高校時代はそんな社会を生きるための基礎作りとならねばならないだろう。もちろん、「グローバル化する社会が我々に幸福な人生を約束してくれるのか。」という、素朴な疑問はあるのだが、今はこれしかないように思える。
 しかし、教育に関わる者の責任として、現代の困難な状況を明らかにし、それを行政や市民に発信していくことは継続しなければならない。さらに、生徒・教職員に限らず、私たちが一人一人の関係を大事にすることから全てが始まることを再確認しなければならないと思う。「自己責任」を追及し合うだけの冷たい未来は、誰も望まないだろう。
                   【註】
(1) 県立高校改革推進計画(1999年11月)、第2章計画の基本的な考え方 、1県立高校をめぐる現状と課題に、「〈生徒数減少への対応〉……今後も、高校としてのより良い教育条件を維持するため、適正な学校規模を確保するとともに、県立高校の適正な配置を行う必要があります。」とある。http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kyoikusomu/syorai/saihen/keikaku.htm
(2) 神奈川の教育統計 http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kyoikukeiri/chosa/k-chosa.htm
(3) 平成14年度神奈川県学校基本調査結果報告     http://www.pref.kanagawa.jp/tokei/tokei/206/framepage.htm
(4) 井上治『私立中高一貫校しかない!』宝島社新書 2001年大手塾の中学入試情報センターの副所長である著者が教育階層化時代をいかに勝ち抜くかというテーマで書く。保護者・生徒に大きな影響力を持つ塾が、公教育をいかに分析しているかを知ることができる。
(5) 2004年入試用 市進出版 『神奈川・首都圏 高校受験案内』には、開校前の新校のランクや教育内容などについてのコメントが記載され、開校前から新校が格差構造の中に組み込まれていることが分かる。
(6) 海老原治善『現代日本の教育政策と教育改革』エイデル研究所1986年7月を参考にしてまとめた。
(7) 大阪府の松原高校に代表されるように、新タイプの高校をてこにしながら、それまでの様々教育実践を継承させていった事例があるのも事実である。
(8) (7)に同じ神奈川の工業高校などでは多様化ではなく学科の統合へと改革されていくこととなった。
(9) 日本経営者団体連盟 『新時代の「日本的経営」』 1995年 5月
(10) 「日本経済再生への戦略」(経済戦略会議答申) 1999年2月26日 http://www.kantei.go.jp/jp/senryaku/990226tousin-ho.html
(11) 「若者自立挑戦プラン」の参考資料より 2003年6月  
http://www.keizai-shimon.go.jp/2003/0612/0612item3-2.pdf
(12) ジル・A・フレイザー 盛岡孝二監訳 『窒息するオフィス』 2003年5月福利厚生が剥奪され、長時間労働と低賃金、そしてリストラの恐怖に追いつめられているアメリカのホワイトカラーの現状が報告されている。朝日新聞 2003年8月17日 「外資ファンド、企業に新風」 にはグローバル化る日本の企業の状況が報告されている。「アメリカの投資ファンド・ローンスターに買収された東京相和銀行では、もっとも劣る評価を受けた行員は肩たたきの候補となり、昨年は200人が銀行を去った。バッジ頭取は「教育の時間はない。ついてこられるか、こられないかだ」と話す。」
(13) 岩波書店 世界2003年7月号 特集 東京型「教育改革」に未来はあるか乾 彰夫 「東京型教育改革は唯一の道ではない」都立高校改革推進計画 新たな実施計画 
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/gakumu/3jikaikaku.htm
(14) 県立高校改革推進計画、第2章計画の基本的な考え方 2高校教育に求められる基本的な視点、ならびに第3章多様な教育の提供
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kyoikusomu/syorai/saihen/keikaku.htm
(15) 平成16年度開校の「新校設置計画」(平成14年10月) を参考にした。
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kyoikusomu/syorai/menu.htm#settikeikaku2
(16) 朝日新聞 2003年 8月18日 「新タイプ高校花盛り 18校、24日に相談会」 既設・新設を含め、県内の新タイプ校の説明会が実施された。筆者が聞いたとこ    ろによると、相談者の数は高校によって大きな違いが生じていたそうだ。
(17) 02年度文部科学白書   http://wwwwp.mext.go.jp/monkag2002/index.html
(18) 都立高校新しい時代の幕開け −都立高校改革ガイドブック−
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/gidemokuji.htm
(19) 朝日新聞 2003年8月6日 「成績アップへ補習懸命」
「東京都荒川区で小中学校別の学力テスト結果が公表され、成績が思わしくなかった中学では、校長が率先して補習授業に取り組む。学力低下対策として学校間に「競争」を呼び込もうという試みに、波紋が広がる。」
「区教委は問題作成から意識調査、結果の分析までをベネッセコーポレーション(本社・岡山市)に委託した。費用は1500万円。」
(20) 『論争・学力崩壊』 中央公論編集部・中井浩一編 2001年3月
「『分数ができない大学生』『少数ができない大学生』の編著者である西村和雄(京大)、岡部恒治(埼玉大)、戸瀬信之(慶応大)たちは日本数学学会の「大学数学基礎教育ワーキンググループ」のメンバーとして、98年には私大文系を中心に、99年には国公立文系を含めて、小中学校レベルの数学(算数)のテストを実施した。その惨憺たる結果によって「大学生の学力低下」は初めて実証されたのである。」
(21) 苅谷剛彦『階層化日本と教育危機 ー不平等再生産から意欲格差社会へ』
2001年7月 夕信堂高文社
(22) (17)に同じ
(23) (17)に同じ
(24) 1994年 季刊教育法96号 山口和孝 「アメリカの子ども達は、今(5)」
「優秀性と平等性」の保障の亀裂
(25) 神奈川県高等学校教職員組合・課題集中校対策会議・課題集中校プロジェクトチーム『学校づくり最前線』 1997年3月
(26) 伊藤正純 『高校改革・考 ー総合学科・階層問題・入試を中心に』
    桃山学院大学教育研究所 研究紀要 第5号 1996年 3月
    新タイプの高校と欧米の総合制高校が混同される場合があるが、以下の引用から明らかなように、理念・制度で大きな違いがある。
「欧米での総合制高校は、選抜制度がない点と総合制一本だという点で、明らかに日本の総合学科とは異なる。」
さらに、市川昭午『臨教審以後の教育政策』を引きつつ、伊藤氏は次のように総合制の理念を説明する。
「欧米でいう総合制とは、単に普通教育と職業教育を総合したものではない。それは旧来の普通教育と職業教育に分岐した複線型教育システムが実は社会階級(や人種差別)と結びついていたという反省のうえに立って、両者を総合し、単線型教育システムに基づくコースや系列を設け、生徒の自由な科目選択権を保障することによって、生徒間の社会的な融合を図りつつ、ひいては特権の廃止と社会的公正を実現しようとする政策理念(ないし運動理念)基づくものだからである。」
(27) 朝日新聞 2003年8月18日 「専門学校活用しフリーター自立」
「 約200万人を超える「フリーター」が短期間で就職に必要な知識や技術を身につけられるよう、文部科学省は「再教育」の仕組みづくりに乗り出す方針を固めた。来年度、全国56校の専門学校にIT(情報技術)や福祉、バイオなどに関する教育プログラムの開発を依頼する。定職につかないフリーターが3〜6ヶ月ほど学んで正社員に挑戦する道を開くのが狙いだ。」



                                   元石川高校
                                   金沢 信之