寄稿
狂言をもって学校へ
前 田 晃 一


 はじめに
 
 昨年ほど一般に「狂言」という言葉が様々な所で聴かれた事は今までには無かったと思います。 それはあまり良い意味ではなかった事は皆さんもご存知のとおりです。 私が狂言を習い始めたのは11年程前になります。 恥かしい事ですがそれまでに私は狂言を観たことも無く、 そんな芸能の存在すら知りませんでした、 私の知人がお稽古事として狂言を習っていまして、 その方の紹介で、 今の師匠である三宅右近師にお会いし、 そのままお稽古を始めました、 狂言のお稽古はまず師匠の真似からはじめます、 理屈はありません、 口伝によって覚えていきます。 これはその他の日本の古典芸能にも共通する事と言えるでしょう。 一見、 非合理的なこの方法が芸を身につける上にはとても重要であることの一つと私は考えます。
 狂言は本来、 能楽堂で演じられるのが常です。 その他の公演として、 一年を通じて日本全国で学校公演というものがあります。 芸術鑑賞会などと言われるものです。 中学校、 高等学校が中心で北海道から沖縄まで年間百校以上を廻ることもあります、 主に古典芸能鑑賞会として落語、 講談、 奇術、 紙きり、 津軽三味線など様々な古典の芸能人の方々と共に公演をします。 私の学生生活においては、 こういった公演を観る機会はありませんでしたので、 今の生徒さんはとても羨ましく思います。 私も今になり狂言以外の古典芸能を舞台で観て、 感動し勉強になる事が多くあります。

  狂言の世界

 どこの学校に行っても、 今までに狂言を舞台で観たことのある生徒さんは殆どいません。 さらに先生でも同じ事がいえます。 校長先生、 教頭先生までとはと驚いてしまいますが、 師匠には以前は小学校の教科書に狂言がよく取り上げられていたことを聞きます。 附子 (ぶす) という演目で、 「ある家の主人が外出することになり留守番を太郎冠者と次郎冠者という召使いに言いつけます。 主人は大きな黒い桶を持ってきて、 この桶には附子という猛毒が入っているから気をつけろと言い出かけます、 しかし好奇心旺盛な二人は恐々中身を見るとそれは砂糖だったのです・・・」
 一休さんの頓知話でも同じような話がありますが、 最近になり偶然にも私の子供が通っている公立小学校六年生の国語の教科書にこの「附子」が載っていて生徒さんに狂言のワークショップとして読み聞かせをした事がありました。 この時に感じたのは、 現在の小学生は新しい事への興味が非常に薄いことですね。 これはこの後の中学生、 高校生にも共通します。
 現在、 子供達が夢中で観ているものと言えば、 TVゲーム、 CG中心の映画、 アニメなど頭で想像する世界が全て視覚化されているものです。 ところが狂言の舞台上には大道具という物が無いのです。 家の中、 町、 畑、 山、 川、 海と様々な場面が狂言には出てきますが、 それは演者の言葉や所作 (体や目の動きなど) によって表現されます。 また、 昼間、 夜半、 雨、 嵐、 雪の日と時間や天候の変化も現在の芝居のような照明効果はありません。
 擬音効果などは演者が 「ズカ、 ズカ」 「メリ、 メリ」 と口で言いながら、 ノコギリで垣根などを壊します。 もちろん垣根も舞台上にはありません。 「雷」 という狂言では天空から雷様が現れる時には 「ピカーリ」 「ゴロゴロゴロ」 と雷の音だけでなく、 稲妻まで言葉によって表現してしまいます。 これらは狂言の大きな特長でしょう。
 狂言の登場人物は能と違い当時においては身分の高くない一般庶民が多いのです。 町衆、 お百姓、 召使い、 山伏、 ヤブ医者、 盗人など、 どれも魅力ある人物ばかりです。 人間だけではありません、 猿、 狐、 犬、 馬、 蚊の妖精、 鬼、 神など色々です。 人間以外の役では面 (おもて) を着けて演じます。 女性の役もあります。 勿論、 男性が演じますが、 狂言に登場する女性は気の強い怖い人、 不細工な人といった、 あまり良いイメージではないのです。 これも古典芸能の特長かもしれません。 狂言のお話で多いのは上の者を下の者がやり込めると言った内容が多くあります。 それが滑稽であり、 この時代のユーモアのひとつであったのでしょう。

 学校公演

 学校公演に話を戻しますが、 まず学校へ行って生徒さんから挨拶があることがあります。 「おはようございます」 「こんにちは」 といった普通の挨拶です。 実は是が出来る学校が少ないですね。 狂言ではあたり前の事なのですが、 舞台がはじまる前には必ず師匠の前に正座をして 「宜しくお願い致します」、 終われば 「ありがとう御座いました」 と言うのが礼儀です。 また能楽師どうしの挨拶も 「こんにちは」 「さようなら」 といった一般的なものです。 マスコミなどでありがちな、 夜でも 「おはよう」 終われば 「おつかれさま」 と言ったものではありません。
 私はこの挨拶がとても大切であると思います。 挨拶が自分から出来る学校は狂言もとても興味を持って観てもらえる事が多いことは事実です。
 公演をする場所は学校の体育館や文化会館など様々です。 大道具がない演劇ですから、 せまい場所でも出来てしまうのも利点でしょうか。 生徒さんは強制的に鑑賞させられているのが現実でしょう。 十年程前では多くの学校の生徒達は、 まったく見も聞きもしない、 おしゃべり、 騒ぐ、 挙句はバクチクまで鳴らす学校もありました。 先生からは 「ウチの生徒はあまり態度が善くありませんが宜しくお願いします」 と当初から云われてしまう事もありました。
 私の中学高校時代は今以上に周りも荒れていた時代ですから、 生徒たちの態度には愕きもなかったのですが、 学校側の態度には考えさせられます。 狂言が始まり、 真っ先に寝てしまうのは実は先生が本当に多いのです。 日頃大変な事はわかりますが、 狂言では舞台も客席も、 とても照明が明るいですから、 お客様の顔が舞台上からよく見えます。 生徒さんがどう観ているのか先生がどう聞いているのかは演じながら感じることが出来るのです。

 素晴らしい反応

 師匠は常々、 どんなに生徒が騒いでいても、 一生懸命にやれと。 手抜きは一切許されません。 真摯に演じる事で徐々に生徒たちも舞台に注目してくるのです。 能楽堂に観にいらして下さるお客様は狂言の事もよくご存知の方が多く安心して演じられます。 学校公演の場合はやってみなければ解りません。 その学校のレベルなどはあまり関係はありません。 どんなに学業のレベルが高くとも興味を持ってもらえなければ同じ事です。
 高等学校での番組は昔から「萩大名」 「棒縛」 をやっています。 「萩大名」 は言葉の面白さを中心とした狂言ですが最近の生徒さんの理解力低下から番組をもっと単純な解り易い狂言に変更しつつあるのも事実です。
 しかし、 能楽堂で演じる時よりも、 もっと素晴らしい反応が返ってくる事が生徒さんにはあります。 狂言は本来あまり大きな会場で演じるのは不向きです。 狂言はマイクを使用しません、 演者の声のみです。
 しかし、 地方の学校などでは幾つかの学校が合同で鑑賞することもあり、 千人以上の生徒さんの前で演じることも度々です。 長崎県のある高校で、 そういう事がありました。 この人数では生徒さんは集中出来ないと思いましたが、 ところが始まってみれば素晴らしい反応でした。 千人以上が舞台に集中して、 一斉に笑ってもらえる瞬間は何とも言えません。 狂言をやっていて本当によかったと思う時ですね。 忘れられない学校の一つです。 また生徒さんにとっても何か心に残せたらと思います。

 体で感じてほしい狂言

 先生方が公演前のご挨拶で、 よく生徒さんに話をしていることですが、 「これからの日本は更に国際社会になって行きます。 その中で日本の伝統文化をもっと見直しましょう」 と。 私は狂言という芸能は先ず観てください。 そして、 難しく考えずに体で感じてもらいたいのです。 私の師匠は度々外国へ狂言の公演に行っています。 そして言葉も文化も全く違う所で狂言をそのまま演じても、 とても喜んで、 興奮してもらえるそうです。 私はこの狂言が盛んに演じられていた時代の日本人は、 現在よりももっと活き活きと楽しく生活をしていたのだろうと思います。
 狂言の登場人物で完璧な人などいません。 どこか間抜けであったり、 ずる賢かったり、 お人好しであったりと、 それは私達が必ず何処か持っているものだと思います。 その人物達は喜怒哀楽をはっきりと表現します。 ですから狂言は登場人物に自分を重ねて観ることも出来ます。 これらは世界共通の事だと思います、 狂言は現在の芝居よりもっと斬新で、 大胆な演出方法が様々あります。 これからの子供達にはどんなものでも興味を持って貰いたいですね。 私自身もまだまだ芸も未熟なのですが、 これからも全国の学校へ行き、 狂言の面白さ、 素晴らしさを紹介できればと思っております。 また、 その時間を学校でもつくって頂ければと思います。

        (まえだ こういち 俳優)