シンポジウム概観 手 島  純

 問題意識
 教育研究所では今回、 「教師」 ということに焦点を当てて 『ねざす』 で特集したり、 シンポジウムのテーマにすることにした (シンポジウム等では 「教員」 や 「教職員」 という言葉ではなく、 本や雑誌、 マスコミなどで多く使われている 「教師」 という言葉を主に使わせていただいた)。 教育研究所では今までは教育改革や高校再編など、 いわば教師たちがかかわる対象を分析したり問題の所在を明らかにしてきた。 しかし、 教師自身についてはあまり問題にしてこなかった。
 一方、 時代は教師の在り方を厳しく問うものになった。 それは、 いじめ・不登校をはじめ学級崩壊や中退問題などの問題が噴出したからであり、 教師の社会的評価の低下ということも絡んでのことである。 そして、 教員評価システムの導入や研修権の制限といった動きも生まれてきた。 教師たちは困惑しはじめた。 実際、 教育改革が進行し高校が再編されるなかで、 会議や煩雑な業務に追われゆとりがなくなったとの訴えもでてきた。 そもそも現代における教師の 「仕事」 「役割」 は何なのかということにも突き当たってしまった。 それは、 教育実践とは何かということにも関わることである。
 シンポジウムへ向けて
 以上のような問題意識と危機感のなかで、 教師の問題に詳しいだろうと思われる 3 人の方をシンポジストにお招きして、 「今、 『教師』 を考える」 というタイトルのシンポジウムを行うことにした。
 石井小夜子氏は弁護士で、 子どもの人権問題にも積極的に取り組んでいる。 高橋庄太郎氏は朝日新聞の記者で、 教育問題を中心に記事を書いている。 佐々木賢氏は都立定時制高校に長く勤めた高校教師OBで、 多くの著作もある。 皆さん、 とても心強いシンポジストたちである。
 しかし、 残念ながら、 シンポジウム当日の参加者数は例年より少ないものであった。 こうしたテーマ設定が無理であったのだろうか・・・・。 休みになった土曜日にあえて行くほどのこともないという判断なのだろうか・・・・。
 人数は確かに少なかった。 しかし、 議論は活発で途切れることはなかった。 シンポジストに負けないくらいの一騎当千の論客たちが場を盛り上げてくれたからだ。

 シンポジストの発言から
 石井さんは、 中国からやってきた子どもがひどい差別をうけ、 教師もサポートしなかったことで、 日本人に恨みさえもつようになった事例を報告した。 その子は犯罪を起こしてしまったが、 その背景には差別やいじめがあり、 教師はそれをもっとみてほしいと力説する。 教育基本法の改悪に対する行動にしても親と教師の間では溝があり、 それぞれの場で孤立するのではなく、 共通点を求めて話し合っていく必要があると訴えた。
 高橋さんは、 日本の世の中は1970年代半ばに大きな曲がり角がきたのではないか、 そこで多くのものが変わったのではないかと分析した。 社会が変わったように子どもも変わり、 今までのような指導の仕方が通用しなくなったと言う。 さらに、 改革ラッシュのなかで教育のあらゆるものが変わろうとしていて、 教師像も変わろうとしているとのことである。 しかし、 改革がほんとうに子どもたちのためになり、 教師のやる気を盛り上げる役割を果たしているかというと疑問であるとのことであった。
 佐々木さんも高橋さんの指摘と同じく、 1970年代半ばに社会が変わったということを前提に、 さらに現在は若者たちの未来を塞ぐ社会になっていると言う。 ただそれは日本だけのことではなく、 世界的現象であるとのことである。 そうした社会の特徴は、 極少数の超エリートがいて、 その下に鋭角三角形のような競争社会があり、 二重構造的に生活不安定層が 3 分の 2 以上広がるという社会である。 佐々木さんは、 それをクワイ型社会と名づけた。

 フロアーからの意見
 会場の意見をいくつか拾ってみたい。 非常勤を続けているある教師は、 専任の教師集団の閉鎖性を挙げ、 「教師はもっと明るく、 気軽に市民運動にかかわるべき」 と言う。 また、 他の教師の 「学校教育はそろそろ終わりを迎え、 教師は幕末の儒者のようだ」 とのアイロニカルな意見に笑いが漏れた。 近年の教育改革に対して、 相変わらずの学校幻想があり 「国家が教育の立て直しを掲げて迫り、 メディアやある種の市民運動がそれをバックアップしているというのが実際の構図ではないでしょうか」 という、 進行する教育改革にたいする鋭い意見もあった。 ただ一方で、 いまの学校教育はダメだといっても、 これから20数年は教師をやらざるを得ない者にとって 「教師は滅びゆく儒者」 と切り捨てないでという意見もあった。
以上のような話を聞くとますます分からなくなったという発言もあった。 教科を教えるということで教師になったのに、 「教師とは何かを考えるシンポジウムに出ているのがおもしろい。 われわれの役割とは何かを考えさせられています」 という意見でフロアーの意見は締めくくられた。

 最後に
 実はシンポジストの 3 人にはある共通の認識があるように思える。 高橋さんは 「複眼的な見方・考え方」、 佐々木さんは 「ゲリラでやる」、 石井さんは 「背後にある重要な問題を学ぶ」 という言葉で表現している。 つまり、 マニュアルがあってその通りに考えるのではなく、 個々の現実から最もよい方法をいつも模索するということになろう。 私もそういうことなのだと思う。
さて、 今回のシンポジウムは、 「今、 『教師』 を考える」 というテーマゆえに、 一般的な教職員が集ったというより、 普段から教師とは何かということを考えている方が集まった感がある。 それゆえ話がとぎれることはなかったが、 やはりもう少し多くの方に集まっていただきたたかったというのが本音ではある。 アンケートの中に 「このシンポジウムを出発点として、 研究所にはトコトン、 『教師論』 を追究してほしい」 とあるし、 今後もこの問題を多くの教師自身で論じあえる場を作っていかなければならないと考える。
(てしま じゅん 教育研究所員)