シンポジウム参加者アンケートの声から
山 梨  彰

 はじめに

 参加者は全体でおよそ50名で、 残念ながら少ない人数であった。 日程の問題であろうか、 テーマの問題であろうか。 特定はできないが、 今回のテーマが多くの人を引き付けるだけの魅力に欠けていたのかもしれないし、"教師"を語ることが忌避されているのかもしれない。
 ともあれ、 いま 「教師」 を論ずることは、 必要でありながらも、 困難さがつきまとう。 いわゆる 「高校教育改革」 が、 現場の状況・要請をほとんど無視しながら進められているがゆえに、 現場の教職員は、 それまで抱いてきた自らの教育理念・教育観を十分に反省し、 新たな理念を自発的に作り上げる暇もなく、 突き動かされている。 こうした状況では、 「いったいこれからの教育はどうなっていくのか」 という疑念が増幅し、 さらに教師としての自己像への不安が増すばかりなのではないだろうか。 要するに展望が見えてこないのである。 自己変革は自発的でない限り、 ほとんど無意味であろう。 教師の自発性・主体性が抑圧されているとすれば、 新たな教育を担う新たな教師像を自ら創造することはあり得ない。 むしろ、 それまでの自己像にしがみつくか、 無関心を装うかが関の山ではないだろうか。 今回のシンポジウムは、 そもそもこのような社会・教育状況が背景にあったのかもしれない。

 参加者の概要

 アンケートから見られる参加者の概要は、 男性で40〜50代の高校の教職員がおよそ 4分の 3 を占めており、 これは昨年のシンポジウムとほぼ同様である。 現在の高校の年齢層の分布からすれば当然ともいえ、 特に40〜50代の男性教員が教師論に関心が深いというわけではなかろう。
 また、 およそ 8 割が、 職場に配付されたであろう 「チラシ・ポスター」 や教育研究所発行のニュース 「ねざす」 を通じて今回のシンポジウムを知ったと答えている。 参加者の層だけでなく、 教育研究所の知名度も限定的なことを示している。
 シンポジウムの内容については 9 割の人が 「よかった、 ややよかった」 とし、 評価は高かった。 多少でも 「悪い」 とした人は全くいなかった。

 教師にとって必要なことは?

  「シンポジウムの感想」 の理由の回答から特徴的なことを拾ってみたい。 シンポジストが新聞記者、 弁護士、 そして退職教員で教育評論を業とする方という畑の異なる三名だったことは、 今回のシンポジウムのメリットだったようだ。
 例えば、 「日頃、 何となく考えていることを、 いろいろな方に整理してまとめてもらった感じでよかった。 20年もこの仕事をしているが、 未だに悩みながら日々過ごしている。 も
う学校で教えることなんてないのでは、 という気もする」 (40代、 高校教職員) という感想は、 上記したような 「展望の見えない現場」 の姿を示しているといえようが、 そうであってもやはり教育現場以外からの視点の重要さを物語っている。 すなわち、 9 名の参加者が、 異口同音に 「様々な意見がきけた」、 「大変ユニークな視点で教育を外から見て話してくれた」、 「多様な意見が聞けて見通しが少し出てきた」、 「現在教師が置かれている状況が分かった。 興味深かった」 などとのべていることにも、 それは示されている。 若い大学生の参加者も 「様々な人の意見、 考えを聞き、 教師になる動機付けがより強くなった」 と書いているのは、 印象的である。
 さらに、 「学校を活性化させるにはどうしたらいいのか、 何でもいいからつながりを持つことと教えられた」 (40代、 高校教職員)、 「『明けない夜はない!』 ことを確信して、 生徒・保護者・地域住民と連帯して、 学校改革・教育改革、 さらには社会改革 (世直し) に取り組むしかない」 (50代、 高校教職員) というのは、 これからの方向性まで明示してくれたような感想である。
 その一方で参加者が少ないことについて、 「残念、 関心がないのか」、 「悩まないで、 『悪いのは生徒と世の中、 早くもっといい学校に移りたい』 と思っている人はこんな所にはわざわざ来ない」、 「来ようとしない教員が多い現状こそ、 上から言われたことを黙ってやった方が良いという面倒くさいことから逃げる教員のあり方を示している」 という手厳しい感想、 また 「徒労感が職場をおおっている」 からという感想も書かれていた。
 批判的なものとしては、 シンポジウムを通じて 「今後のあり方がみえてこない」、 「様々な学校のあり方、 生徒のあり方、 親のあり方を一面化しすぎる傾向が強い。 そういう問題のたて方が教育を悪化させていく」 という感想もあった。
 以上のような感想からすれば、 教職員にとって必要なことは、 教師像を常に外部の視点から顧みること、 そのために学校の中だけに閉じこもらず、 意識と行動を外に開いていくこと、 教師である前に市民であろうとすることではないだろうか。

 これからの教師・教育

 アンケートの質問項目で、 教師や教育の問題についての意見を尋ねた箇所では、 教師の基本的な姿勢を問う意見があった。 「発言者を 『おかあさん』 と呼ぶ感覚を教員が持っているという厳しい現実をまずは認め、 謙虚にそれを改めていくことがどうしたらできるのかという教員の人権感覚の問題」 (40代、 高校教職員) に関する意見である。 このことは、 養護教諭の参加者が 「少数派の存在も大切にする」 現場を作ることを訴えていたこととも重なるであろう。
 これからの教師・教育といったところで 「ますます困難な課題となった。 出口、 光明は見つかるのだろうか」、 「もうあまり何もしないでほしい」 というネガティブな意見もあったが、 積極的には 「『自分の子どもを行かせてみたい学校』 づくりをみんなもっと真剣に考えるべき。 再編対象校で、 いろいろできる範囲で楽しく新校づくりをやっている」 (40代、 高校教職員) という姿はまず身近でできることを楽しくやるという大切な姿勢だと思う。 いいかえれば 「漠然とした観念論や大状況論よりも具体的で建設的な議論が必要」 なのだし、 そのためには 「話す時間が欲しい。 もっともっと勉強してみんなで前向きに議論したい」、 「教師個人の 『個性』 を大事にして、 学校の中でがんばって発言していってほしい」 という意見が実現できるような職場環境も必要なのだろう。
 だから、 「改めて教師のあり方・生き方について再構築をはかり」、 複雑な 「状況の分析」 を、 「経済を中心に掘り下げ」 ておこなう必要もあるかもしれないが、 一方での 「やっぱり身分の安定した 『公務員』 なのだなぁ」 という意見にも耳を傾けながら、 若い大学生の参加者が書いてくれた 「ストレスをためないように気をつけてください」 というノリで構えずにやっていくのもおつではないか!

  (やまなし あきら 教育研究所員)