教育学と教育運動の間  教育総研の思い出      
  教育研究所代表 黒 沢 惟 昭

 はじめに
 本教育研究所とも関係の深い教育総研 (国民教育総合文化研究所) に関わって以来10余年が経つ。 思いがけなくもそのうち、 半分以上の 6 年間は代表を務めた。 この三月末日をもって任期が満了するに伴い、 辞任することになった。 改めて想えば、 様々なことが回想され、 感慨なしとしない。 その間に学んだ一端は、 その都度成稿し、 『教育改革の言説と子どもの未来  教育学と教育運動の間  』 と題する拙著に所収し、 昨年 (2002年) 三月、 前任校の東京学芸大学を定年退官した際に刊行することができた。 ご参照を乞いたい。
 本誌に紙幅を与えられたので、 前掲書の叙述と重複する面もあろうかと思うが、 想い出すことなどを気の向くままに綴ってみたい。 あとに続く若い人々のなにかの参考になれば幸いである。

 教育総研創設期
 直接には海老原治善先生に誘われて教育総研のスタッフに加わるようになった時は、 所長が海老原先生、 議長が日高六郎先生であった。 そのほか副所長には日教組の副委員長と兼任の上西庸雄氏そして事務局長の小橋今氏という布陣であった。 海老原先生は教育政策研究会で以前から久しい交流があったが、 そのほかのスタッフはそれまでは未知の方々であった。 ただ、 日高先生はつとに有名で若い頃からエーリッヒ・フロムの名訳 『自由からの逃走』 などは読んで
いた。 その高名な社会学者と研究委員会、 運営委員会で親しく高説を拝聴でき、 意見の交流ができることに若輩として大きな喜びを感じていた。 そのほか、 研究者としては、 経済学の鎌倉孝夫氏、 解放教育の故小沢有作氏、 数学教育の銀林浩氏、 心理学の小沢牧子さんなども参加され、 所内には草創期の活気が満ちていたことが懐かしく想い出される。

 日本−EC会議への参加
 その頃の一番の想い出は、 ドイツのエッセンで開かれた日本−EC (当時) 会議への参加であった。 これは総研の創立に関わり、 当時ECの上級研究員としてEC本部に滞在していた増田祐司氏の力によるところが大きい。 ところが団長に予定されていた海老原所長が事故で倒れるという不慮の出来事のため、 急拠上西氏が団長、 そして私が副団長を務める羽目になった。 創設時は未だ、 新生総研への期待が大きかったためであろうか。 研究者をはじめ全国各地の日教組関係者の参加を含めると20余人の視察団が編成されたのであった。
 詳しくは、 総研発行の 『報告書』 を参看されたいが、 訪独に先立って訪れた今は亡きユネスコの生涯教育の責任者エットーレ・ジェルピ氏宅での歓談も今は懐かしく偲ばれる。 氏はなんとエッセン大学の私たちの教育分科会にもゲストスピーカーとして参加されたのである。 司会を務めた私に幾度も 「早く発言の機会を!」 と詰めよってきたことなどが思い浮かぶ。
 なお、 海老原所長の強い奨めもあって帰途ローマのグラムシ研究所を訪問できたことも望外の幸いであった。 単なる施設見学とあいさつの交換だけかな、 という私の予想に反して、 所長のジュウゼッペ・ヴァッカ氏、 グラムシ教育学の泰斗マリオ・マナコルダ氏らが出席し、 約 3 時間にわたって討議できたことは私にとっては、 エッセンの会議以上に意義のあるものであった。

 サンダーランドの国際会議
 数年後に今度はイギリスのサンダーランド大学で、 EU結成を目前にひかえて、 日本−EC会議が開かれた。 今度は当時の所長の宮坂広作先生と私と総研事務局員の三人の参加で、 前回と比べてややさびしくはあったが、 それだけに気楽な心くつろぐ旅であった。 全体会は前回と同様で、 大変な盛況であった。 求められて私は 「偏差値教育と企業の要求する人材の関連」 についてスピーチを行った。 日本から国連に派遣された通産省 (当時) のキャリアから若干のコメントをいただいた記憶がある。 東欧のEU加盟が一つの大きな話題になった記憶も甦える。
 分科会では、 企業誘致による地域の再生を目ざすサンダーランドの事情を考慮して、 川崎市で多少とも参与した 「キャンパス都市構想」 を英語でレポートしたのであるが、 余り反応がなく少々がっかりしてしまった。
 翌日に幾つかの見学コースが催されたが、 私が参加したのは、 職業技術の熟練度による等級化を行う、 その教育現場であった。 なかでも料理学校を訪れた時は折しも昼食時、 丁度クリスマスの目前でもあったので、 七面鳥の料理を幾種類も供され、 その 「判定」 を請われたのであった。 得意になってブローキングイングリッシュで 「コメント」 を繰りかえし述べたが、 正確に伝わったかどうかは定かでない。
 イギリスからの帰途、 再びパリに向かい、 前出のジェルピ氏宅を訪れ旧交を暖めた。 そのジェルピ氏もいまは亡く、 まことに悲しい限りである。

 総研創立10周年の記念式典、
 シンポジュウム
 2 年まえには総研10周年を迎えた。 晩秋の一日、 関係者300余人が集まり、 午前に記念式典、 午後にシンポそして夜は祝賀パーティーが開かれた。 記念式典では、 代表として、 当時から現場に根ざした研究を志ざし、 その視点を今後も一時も忘れないこと、 ここにこそ総研のレゾン・デ・トルがあるという私の自説を述べた。 私が総研に関わって実感できた最大の誇りはまさにこの視点と姿勢である。 総研を辞してもこの点は維持していきたいと念ずる。
 午後のシンポは、 憲法学者樋口陽一氏の記念講演を踏まえて 「国家主義」 と 「市場主義」 を超える教育の在り方、 を問うものであった。 姜尚中氏が事故で欠席されたのは残念だったが前所長の宮坂広作氏、 いまは亡き松井やよりさん、 教育学者の池田祥子さん、 ピンチヒッターのジャーナリスト矢倉久泰氏がパネリストとして参加された。 白熱した討論とまではいかなかったが300人の聴衆のまえでそれなりの成果が挙がったことをコーディネーターとして実感できたように思う。 樋口氏が最後まで参加されたこともうれしかった。
 未だ語りたいことは多々あれど、 すでに紙幅を大巾に超えてしまった。 まずはこれで結びとしたい。
(くろさわ のぶあき)