外から見た教師像
〜12人の父母に聞いてみました〜
小 山 博 美

はじめに

 学校教育からは子どもが発するさまざまな現象や事件を通して、多くの問題が指摘されている。生徒と関る教職員には学校教育全体の責任者的立場も含め、かなり厳しい目が向けられている。また多少野次馬的な言い方ではあるが「先生って夏・冬・春休みがあって、今年からは土・日も休日でしょ、大変たいへんて言うけど企業のようにリストラされるわけでもないし、気楽よね。それにセクハラ事件が多過ぎない?」という声も聞こえてくる。
 もうかなり以前であったが、教師は「恩師」と呼ばれ生徒からも親からも尊敬されていたイメージは見当たらない。
 今回当研究所では教職員がおかれている状況やその立場の認識から「自らの一歩」を展望するために「今、『教師』を考える」をテーマとしてシンポジウムを企画した。
 私は教職員の立場ではない1人として、外から見える学校現場、特に「高校の教師がどう見られているか」「教師には何を期待されているのか」について、高校生をもつ12人の親(対象子ども14人)に以下の4項目について電話での取材をさせていただいた。

1.一般的に、教師はどう見えますか?
2.子どもを通して伝わる高校教師の姿は?
3.親として高校の教師に何を期待しますか?
4.文部科学省と教師の関係で何か気付くことがありますか?

〔父母と子どもの内訳〕
父親1人、母親11人(年齢40〜50代)
子ども 県立高校普通科 7人
     〃 農業高校   2人
     〃 定時制高校  2人
      私立高校      3人

 取材協力してくれた父母は教育に関してかなり熱心に前向きである。PTA役員や青少年へのボランティア、福祉オンブズマンなど、現在子どもが置かれている社会情勢を心配し、子どもとの活動を通してなんとかしたいと考えている人びとである。
 電話の内容は4項目に限らずどんどん話題が広がっていった。わずか12人の父母を通しての「声」はほんのひとにぎりではあるが、「学校、高校教師がどう見られているか」に関して参考意見としてまとめてみた。

質問1.一般的に教師はどう見えますか?

@ 小・中学校と異なり高校の実情はほとんど見えてこない。PTAの委員として学校や教師とは関わっている方である。思っていた以上に先生方は大変な仕事を抱えている感じを受けた。授業や教職としての仕事以外に追われている人もいる。忙しい教師とそうでない人との差も大きいと思う。
A 教師同士のコミュニケーション、連帯などが十分とられていない感じがする。
 50歳代と40歳以下の先生にギャップがあるのを感じる。若い教師にマニュアル教師も目立つ。
B 教師としてマンネリ化していて気楽そうな人が多い。(プロ意識に欠けている)生徒との接し方に工夫が見られない、無表情な人も多く気がかりである。
C 学校の状況(生徒の実情)によって先生の大変さは全く違っている。しかし一般的に中学の先生にくらべると高校は楽なのではないか。(受験の責任をもっていない)
D 生徒に対して進路だ受験だと言っている割には生徒のお尻をたたくばかりである。
E PTAの役員のことやPTA予算を後援的存在としか受け留めていない教師が多くなった。
F 公立高校の教師は個人個人を大切にしているようには見えない。私立の方が個々の対応に力を入れている。

質問2.子どもを通して伝わる高校教師の姿は?

〔授業について〕
@ 解る授業をしてほしい。ちょっと解らない・むずかしいと思っても先に進んでしまう。質問できる空気や時間があれば質問したい。また解るように、興味が持てるように工夫してほしい。いつも同じように黒板に向かって書いている先生もいる。自分の教え方がまずいということにも気が付いていない。先生も楽しんで授業してほしい。
A 自分の趣味や気分で教材を押し付ける先生がいる。生徒は面くらっていて教科書が進んでいないことが心配だった。反対に教科書を使いながらも一所懸命その内容に興味を持たせ資料などで工夫してくれる先生の授業は達成感と満足感を得られた。
B エリートで先生になったからなのか、解らない生徒のことが分からないらしい。違う先生からやり方を変えて教えてもらったら解るようになった。
C 高校の数学はむずかしい。中学のときまである程度理解できていたのに高校ではすぐに付いて行かれなくなった。分からないまま「静かに聞け!」と言われるほうが無理。数学がどこでどう役に立つのか(例えば家庭科の栄養バランスに役立つ計算とか)具体的な問題にふれながら教えてほしい。大学受験だけを想定した内容が問題なのではないか。
D 農業高校に通っている。先生は熱心でていねいに面倒をみてくれる。しっかりと関係をつくってくれるので相談しやすい。

〔生徒との関係・あり方について〕
@ 生徒の気持ちを察しないで頭ごなしに物を言う先生がいやだった。話を聞いてくれればこちらには理由があるのに悪いことをしているんだろうと言わんばかりの態度だった。
A 前の学校(私学)でいじめにあい不登校になったとき、担任はクラス全体の生徒に事情調取をした。しかし「このクラスでこの問題をどうしていこうか」というような対応はなかった。形式的な家庭訪問をされ(学校側の正当性を主張された感じ)子どもは担任(2人制)への信頼が持てず退学をした。2人の担任の意志疎通もなかった。今の学校では精神的に落ち込んでしまったときに担任から「あせらなくていいよ」と電話をもらった。精神的なことまで話しができ、それを担任は黙って聞いてくれた。今は理解されているという信頼を持っている。
B セクシャルハラスメントにふれる先生がいる。身近な例であるが「性教育」の授業でインターネットからとってきた「女の子をどうしたら喜ばせられるか」などの内容で授業をしたという。泣き出した女生徒もあって問題になった。
C 私立に行っている。塾とか予備校はいらないというのが学校のうたい文句。先生の存在はあまり目立たないで、「子どもが主役」のやり方である。(私学を受けたのはテストに中学の内申書が必要ないオープンテストで受けられたから)学校の空気は気に入っている。例えば茶髪についての対応も個々人にきちんと対応していて、人がやっているからと真似した者には「やめろ」とはっきり言い、生活その他自分の考えを持って茶髪にしている者にはそれを尊重するやり方である。
D ある高校のPTAとして「高校生の意識」についてアンケートによる調査をした。
質問1.「先生に対して…」の答えからは、
1位「生徒を信頼して見守り、必要なときはアドバイスをしてくれる先生」
2位「分かりやすい授業をしてほしい。質問にていねいに応えてくれる先生」
3位「授業も学校行事も生徒と一緒に楽しくやってくれる先生」の順だった。

質問3.親として高校の教師に何を期待しますか?

〔授業について〕
@ 最低でも解かる授業を成立させてほしい。中にはプロ意識にも欠け、時間の無駄をやっている先生もいる。それなりの準備と資料など、工夫をし実のある授業をやってほしい。
A 一所懸命やってくれる先生からは子どもは伸びている感じがする。学習に対する意識を向かせ、興味を持たせてくれる。また個々のレベルに合う授業への取り組みを望みたい。
B この学校は有名大学へ行くようなレベルではないからと始めから手ぬきをされている感じがする。子どもが進学を希望し、気持ちを入れ替えて勉強したくてもできる状況にない。塾のような教え方は望まないが基本的な学習には手をぬかないでほしい。
C 大学受験に対して生徒にアドバイスできるように研究してほしい。(多くの生徒と関わっていて経験上できるはず)親としては塾や予備校のような受験のテクニックではなく、情報や将来への考え方など相談も含めおとなとして、指導者としての分を発揮してほしい。それが生徒にとって魅力ある頼りがいのある存在となるはずです。

〔子どもとの関り方について〕
@ 授業以前に人間性が求められている。誠実な人間として対応してほしい。(以下内容)
・誰でも弱い面もあるはず、その人間性を子どもに見せてほしい。色々な人がいるのが社会、人間の本質を見て「自分はそういう人間になりたくないな」と思うこともこの年頃になれば必要な面である。先生は生きざまを示してほしい。
・長い学校生活の中で師と思える先生に1人でも出会えたらと思う。今、子どもを対等な人間として認めて付き合ってくれる先生が存在する。(卒業しても付き合って行かれる人間関係ができるはず)
・高校生は年齢的にゆれている時期、学校での生活面や精神面、学習面も含めての指導と相談しやすい先生であってほしい。
・私立の先生はそれなりにしっかりしていて、子どもを通して光る言葉が発せられていることが伝わってくる。
A 学校では勉強できる・できないのテスト成績主義で判断されている。それが問題で、ほかにできる何かをなかなか見い出せない。できない子にマイナス面だけつきつけている感じがする。
B 学校は少なくともゆったりとした人間関係であってほしい。定時制高校は何でもありの対応が求められている。中学で不登校の子や外国籍の人、高齢な人、高校資格をほしい人(高等養護を終了してから定時制に通って来る人もいる。高等養護は卒業資格は取れない)、また90数パーセントが高校を卒業しいるので世の常の一つで仕方なく来ている人もいる。定時制にはあとがないし、明るい未来があるわけではない。臨時で働きながら頑張って通って、卒業できても正社員にしてもらえるわけでもない。定時制は普通科よりも「今生きているぞ」ということを感じさせてくれる。今をしっかり受け留める学校現場であってほしい。
C 「障害」を持っているが、先生は特別なことはしてくれなくていい。しかし必要な介助は専門的な知識を学習してあたりまえに対応してほしい。親がはっきり言う子の場合は対応してもらい、言えない、言わない親の子はモレてしまうのが今の実情である。学校では誰でもあたりまえに受け入れてもらえることが重要なのにそれがまだできていない。先生も「障害」者に慣れてほしい。
D 学校や教師には変な平等主義があって子どもを褒めると「えこひいき・特別扱い」と思われるからか「子どもを褒めない教育」をやっていると思う。またもう一歩子どもと深く関わって一緒に苦労しようとする姿勢が見られない。人間として通い合うことが大切ではないか。リーダーシップも必要。
E 教師は生徒に自主性を口では言うが、自主性は考えを引き出してやったり、背中を少し押したりして育てるものである。教師も勉強しなければ生徒の個性・人格にも付きあって行かれないと思う。また地球的視野で物事を見、判断する姿勢を生徒に示してほしい。

〔子どもは教師の連帯・連携の中で育つ〕
@ 先生同士はお互いに無関心・助け合わないように見える。島を荒らさないというルールでもあるのか。「障害」を持っている立場からするとお互いの関係をしっかりつくってもらえないと子どもは迷惑な存在だけになってしまう。
A 最近特に教師に欠落しているものを感じる。大阪流に言えば「エライコッチャ!皆で何とかせんと」と言うようなおおらかさや血の通った温かさ・間が感じられない。どちらかと言うと冷ややかである。子どもは出会いと感じる空気で人生(人間)の捉え方が変わってくる。
 教師同士の連帯・連携が生徒の目にも大切なことである。連帯ができなくなれば学校は最悪である。
B 学校が荒れているときは先生方は大変であったが、皆が何とかしようという熱意が伝わってきた。PTA父母も一緒に話し合って協力し合った思い出がある。それがよい方向になった。
C 最近の先生方はおとなしくなった感じがする。以前は「日の丸・君が代問題」や「学習指導要領」など教育全般について皆で議論をしていたのではなかったか。
 先生同士や市民ともしっかり連帯をしていってほしい。そしてやる気を失わないでほしい。問題を直視したりきちんと向き合えば生徒も理解できると思う。したたかに楽しくやる方法もあるはず(先生は自分で思っている以上に身分は保障されている)エールを送り続けたい!
D 親の方も今の時代が大変だということを分かっている人もいる。子どもも感じている。子どもは先生に語ってほしいと思っている。語れる言葉を持ってほしい。(教師に言っていることは親側にも言えることが多い)
E 学校は閉鎖的である。先生もほとんど外に出て来ない。なぜ閉鎖的なのかを考えてほしい。

質問4.文部科学省と教師の関係で何か気付くことがありますか?

@ 文部科学省がいろいろ打ち出すので、現場に自由裁量が失くなってきているのではないか。ある程度やり易いように現場実践主義が基本であると思う。しかし高校の実態は分からないことばかりである。
A 中学校のことであるが、週5日制や総合的学習の兼ねあいで日常的な授業内容が落とされている感じがする。ゆとり教育と言われるが、振り回されてきているのではないか。苦労するのは子どもと現場だと思う。子どもの実態に合った指針がほしい。教育は目先のことだけ考えると失敗する。神奈川県の統廃合も本当に計画性を持って進めているのか。
B 文部科学省が何を言おうと神奈川県は独自に(サタディスクールなど)やってほしい。制度が変りいろいろ変化してきているようだが意味があるのか。教師は会議が増えて平日の5日間は忙しそうである。子どもが聞きたいことがあっても聞きに行かれなくなっている。教師は教材研究ができないので土・日出勤でやっている。今までの土曜の午後は子どもにとっていい時間帯だった。教科の質問もやっていた。ふれあいタイムが失くなってしまった。
C 学校は文部科学省からの言い方をそのまま受けてやっている感じを受ける。絶対評価は担任も納得していないと言う。なぜそのまま受け入れるのか。
 短期の方針で忙しさだけが目立ち、本当によいと考えてやっているのか、不信感を持っている。
 総合的学習についても親側の裁量にかかっていて、やれる親はいいと思っているのか、子どもに付き合えない親も多い。総合学習は評価されないと言うが100時間も必要があるのか。「多様さ」を自由時間の中でやるのはよいが、もう少し基礎・基本の授業に力を入れてほしい。
D 週5日になって土曜日のPTA活動がやりにくくなってしまった。平日も時間がとれないと言われる。文部科学省は父母との連携とか地域と連携とか言うができるわけない。
E 文部科学省は受験体制をよく変える。子どもはその都度戸惑う。高校に入ると学習をする楽しさなど感じるゆとりもなく、文系・理系に分けられ受験体制にはまる。トータルとして大学に行ってから専門に向かえばよいのではないか。学校教育に達成感・満足感を持てないことは不幸と思う。
 絶対評価導入でますます塾・予備校がもてはやされるのではないか。
F 文部科学省は国民向けにはよいことばかり言っているように聞こえる。職員会議が校長の諮問機関になり、自由が失くなった感じがする。地域や親との連携を文部科学省も言っているので現場はそれを有効に活用し、PTAと協働(文部科学省も使っている言葉)したらよいのではないか。このままでは親の質も悪くなるばかりである。(PTA会費も生かされていない)
G 文部科学省の方針で振り分けが強くなった。エレベーターの無い学校には「障害」児を受け入れない。教育委員会の就学指導も「養護学校に行きたい」と言うように仕向けている感じがする。始めから振り分けをされるのが当然となってしまったら、いったいどうなるのか。
H 日の丸を揚げない、君が代を歌わない学校があったのに強制されるようになった。上の子どものときに、校長が「起立するようにお願いしたい」と言ったので親は皆立った。今の高校では校長は何も言わなかったので座っている父母が多かった。
I 子どもの学校に夏休み出勤する先生のためにエアコンが付いた。夏休み出勤する意味は何なのか。言葉を失ってしまう。先生は黙って夏休み学校へ行っているのか、先生はこれからますます考えなくなるのではないか。

おわりに

 今回の12人の親の声は「はじめに」に記したようにほんの一握りのものである。この内容に特別解説やまとめを付ける必要はないと考えている。しかし電話ではほとんどの人が開口一番「高校の先生のことはほとんど分からないけど…子どもはあまり話さないし…」「だけどPTAなどで学校へ行ってみると先生って忙しそう」という言葉が返ってきた。そして話が進むにつれ、どの人も子どものこと、学校のこと、教育全般に関して深く考え意見をもっている人びとであることが分かってきた。(そのことが私自身次の人にインタビューしたいという意欲にもなった。)
 ここではどの内容に関して多い意見や指摘があったか、またその意見を補いながらまとめとしたい。
 まず質問1「一般的に、教師はどう見えますか?」に対してはまず学校にはPTAなどで関わってみると先生方は忙しそうに見えると答えてくれた人が8人ある。これについては、忙しい教師とそうでない人の差も大きいと指摘している。
 また教師同士のコミュニケーション・連帯が見えてこない、心配であると思う人も6人存在する。
 次に多い意見は教師の大変さは生徒の状況によると見ている人が5人となっている。
 質問2「子どもを通して伝わる教師の姿は?」の中で「授業について」では子どもからは「解る授業をしてほしい」が8人と多い。当然のことではあるが、そのことに注目しておきたい。高校が大学受験の通過点になってしまっている不満も見受けられる。一方で農業高校では個人への対応が丁寧で子どもが安心感をもって先生を頼っている姿がうかがえる。
 また、「先生と生徒との関係」では、最後のDにあるようにPTAが実施したアンケートが参考になる。生徒からは人間としてしっかり向き合う信頼関係が求められている。
 質問3「親として高校の教師に何を期待しますか?」の「授業について」にも親側の最も多い意見が「解る授業を成立させてほしい」に9人と集中し、あわせて「教職」に対してプロ意識を問う厳しい指摘が出されている。
 (2)の「子どもとの関り方について」では「授業以前に人間性が求められている」に関する意見が8人と多い。驚くと共に、教師にはこういう存在であってほしいとの思いが深いのではないかと考えさせられる。また子どもの高校時代はさまざまなことを吸収したり、勉強したり、その年頃にこそしっかりと…という親の思いが伝わる意見も目立っている。
 (3)の「子どもは教師の連帯・連携の中で育つ」については、この項をあえて立ち上げざるを得なかったほど今回インタビューした人びとから出された熱く多い意見(7人)であった。「教師同士の連帯・連携が生徒の目にも大切。連帯ができなくなれば学校は最悪である」の指摘は考えてみると教師に対しての最大のエールが送られていると感じさせられた。
 最後の質問4「文部科学省と教師の関係で何か気付くことがありますか?」に関しては、学校現場で教員の置かれている状況をかなり正確に捉えていると思う人が6人あった。
 週5日で生徒やPTAと接するゆとりの喪失、絶対評価のあいまいさ、総合的学習の煩雑さなど現場に混乱をもたらしていることを見ぬいている。夏休みの出勤については笑うに笑えない教員の追いつめられた苦しい立場を指摘している。
 以上「外からみた教師像」について11人の母親と1人の父親からではあるが、これだけの意見と指摘がされた。厳しいものもあるが先にも述べたように「教師へのエール」と考え参考にしてほしい。
 東京都はタイムカードの導入を高校現場から始めると決めた。これ以上サラリーマン的な教師を増やしたりぎくしゃくする関係を持ちこまないでと願う一方で、自らあたりまえのことをあたりまえにし、生徒と共に学校運営を進めてほしい。『「障害」のある人と創る「インクルージョン(共に生き共に支え合う)」社会を目ざす教育現場、定時制のような「誰をもこばまず」に対応できる学校へ。そして父母協働者を蚊帳の外に置かない学校…へと舵をとる』を一つの展望とされたい。


   
(おやま ひろみ 教育研究所員)
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