権力への批判を強めよう

教育研究所代表 杉山 宏 

 『神奈川の高校 教育白書2000』の「はじめに」でも取り上げたが、6月30日付『日本経済新聞』社会面に、「自殺、 2年連続 3万人台」という見出しの記事があり、「長引く不況やリストラを反映し、中高年男性の自殺が際立っており、 3人に 1人が40〜50歳代の男性だった」と記されている。年間の死者が 3万人を越えるという数は、大きな社会問題となって然るべきものと思われる。しかし、現在の日本において自殺者の増加は、社会全体の大きな問題とはされていない。現代社会における共通の価値観では、現在程度の自殺者数の増加など問題ではない、としているのであろうか。
 基本的人権の尊重という言葉が戦後使われるようになってから半世紀以上経ち、われわれの生活の中に溶け込んだ面も確かにあるが、「権力への批判を基本とする権利の観念は、自然法に基いた基本権として構成される」と言われている面などは、国民共通な権利意識としては必ずしも定着しているとは言い切れない。経済パニックを回避するためとして、巨額な公的資金を投入するとした時点で、あの混乱状態を作り出した人達の責任を明らかにして行くとしていた。しかしその後、公的資金導入という経済状態が作り出された経緯や責任者名が明らかにされたということは聞いていない。国民の権利意識の乏しさはこの巨悪な人間をそのまま見逃そうとしている。
 多くの人命が失われても、巨悪な人間が罪を逃れ平然としていても、余り感じないという国民性を、権利意識に目覚めて改めないと、日本社会の近代化は永久に来ないと言える。敗戦の時点における戦争責任者の責任追及も、「一億総懺悔」の言葉の下に曖昧な形で処理され、中途半端なものとなった。宣戦の詔書に国務大臣として署名した岸信介は、戦犯としての服役から48年には釈放され、52年に追放解除、57年には首班として内閣を組織し、首相として60年には新安保条約を成立させている。また、戦後の公害問題などにしても、個々の問題として裁判闘争などは行われても、広く国民全体の問題、共通の問題として運動が本格的に展開されたことはなかった。
 前述の 6月30日付『日経』の第二部は、2000年 3月期の決算公告特集を載せている。その一面の見出しが「上場企業 3年ぶり増益」であった。全国上場企業1816社の経常利益は前期と比べ15.5%増加し、 3年ぶりに増益に転じた、と報じている。利益の出た理由として「アジア向けの輸出増やリストラ効果をテコに鉄鋼や紙・パルプといった素材関連でも収益の改善が目立った。鉄鋼メ−カ−ではNKKや神戸製鋼所などが大規模な人員削減を実施、さらに不採算事業の整理などで経常黒字に転換した」と記している。増益に転じた企業の利益の一部は、働く人々に支払っていた給与をカットすることで生み出されたものであり、勤労者や下請け業者を圧迫して作り出されたものであった。
 競争社会である資本主義社会で、私益を求める企業がリストラを行い、下請け業者の納入価格を安く抑えようとするのは当然なことである。その私企業が株式会社の類いであれば、むしろ経営責任者はそれを行うことが株主など出資者への義務である。しかし一方、この競争社会は、労働者の労働基本権を保障しており、市民の足である地下鉄ストが10日〜15日続いても、労働者の当然の権利として利用者の批判に因って中止せざるをえないなどということはない。リストラも本来はお互いが権利意識を持ったもの同士が築いた社会の中で行われなければならない筈である。
 優勝劣敗は当然の帰結であり、敗者は敗退者であって、それらの脱落して行かなければならない人まで抱え込んだ企業・組織では、熾烈な競争社会を勝ち抜けないと言う。だが、一方で、この凄まじい社会に適応して日々生活している父母の下から学校へ通う児童・生徒に、「教育改革国民会議」で指摘された諸問題は起きて当然と言えるであろう。
 しかし、選挙に勝たねばならぬ政党内閣は、この矛盾を抱えた問題を根本からの改革は出来なくとも、一応「教育改革」の看板を掲げることは必要であり、橋本内閣は当初から掲げた五大改革に、97年 1月に「教育」を加えて六大改革とし、小渕内閣も首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」を発足させ、本年 3月27日に初会合を持っている、しかし、旬日を経ずして小渕首相の退陣となり、後継内閣の森内閣も、この「会議」を受け継ぎ、 7月に三つの分科会は各々それまで審議したものを報告した。更に、 9月22日に全体会の中間報告を発表する予定という。本来、諮問機関なら、何々について答申を出してもらいたいと諮問するのが通常の例だが、小渕首相からはそのような明確な発言はなく、委員の自由な論議の中で検討された結果が答申される形式の会議であるらしい。現に、第 1回の会議でも24人の委員は、教育改革に対する意見をそれぞれ述べ合ったらしい。以後、森首相は、共同生活における奉仕活動の義務化など、選挙民の関心を呼びそうなものを次の通常国会に教育改革関連法案として提出する様子を見せる一方、反対の声が強いと見るとト−ンダウンする気配も見せるなど、国民の関心度の高い「教育」の効果によって内閣支持率の効果を狙ってそれなりに努めている。
 だが、校内暴力・いじめ・不登校・学級崩壊・子供の規範意識の低下等々の諸問題は、単に学校社会だけの問題ではなく、広く社会構造にもその要因がある。この問題が、表面的な形式的な手直しで解決出来ないことは、50年代後半以降の文部省を中心とした教育行政の失敗例が明示している。小・中学校の学習指導要領全面改定が77年に行われ、高等学校のそれが78年に行われたが、その時、授業時間数の削減による「ゆとり」「精選」が強調された。更に「知、徳、体の調和のとれた人間形成」が主張され、道徳教育の強化が挙げられ、社会奉仕、勤労体験学習、家庭・地域との連携・補完などを行うことが提唱された。また「自ら考え主体的に判断し行動する力を育てる教育への質的転換を図る」ともされていた。この「ゆとり」が公立中学校に大きなダメ−ジを与えたことは明らかであるが、文部省の明快な反省の弁はない。確たる反省もなく、今回の改訂でも「“ゆとり”の中で自ら学び自ら考える力などの“生きる力”の育成を基本とし」としている。「ゆとり」だけでなく、中高大の入試の方法などを根本から変えなければ、「総合的な学習」などの目玉となるべきものが失敗に終ることは必定である。“けじめ”をつけた反省を文部省に強く求めて行こう。

(すぎやま ひろし 立正大学講師 元県立横浜日野高校校長)  

 

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