特集 : シンポジウム「高校生は今!」
 
 「イジメは娯楽」とは?

宮台:イジメは娯楽だというのはイジメてる当事者をですね、いろいろ調べて、イジメてる当事者、特にリーダー格の人はもうほとんど百パーセント、イジメは娯楽だと言います。そのことを言ったんですね。僕自身は、イジメは娯楽になる理由は、あなたのおっしゃったようにね、僕は満員電車状況解除プログラムって言ってますが、無関係な人間とね、狭い教室に長時間押し込められて、なんの意味のないメッセージにさらされているっていう状況のストレス。これは一触即発状況っていうふうに言ってますがね。こういうストレスが背景にあってイジメが娯楽になるのであるというふうな言い方をしておりますので、たぶんあなたがおっしゃってることと僕の言ってることはまったく同じことを言っています。

速水:ほんとにすごく問題意識を正確に自分でね、考えていらっしゃって、ものすごく感心してしまいました。
 今言っていただいたこの部分は、ほんとに、なんて言うんですか、自分の存在価値を刻み付けるために、世界に自分の存在価値を刻み付ける以前に、自分の内面を、まず、自分で認識しないと、外に向かって働きかけることはできないっていうご意見なんですが、それはほんとにもっともだと思います。今おっしゃられたようにね、もちろん優越感を持つことで自分の立っている場所をちゃんと確認しているっていうのはとても正しいと思います。
 だけれども、「世界に自分の存在価値を刻み付ける」って書いた意味は、つまり自分がね、価値がある人間なのかどうか、それがまずわからないとなにもできない。もし親にね、「お前はいらないんだ。お前なんか別にやっても大したことできないんだから、なんにもしなくていいんだよ」っていうふうに言われちゃうと、その子はもう歩き出せない。だからまず世界、あるいはイジメることもそうかもしれない、援助交際することもそうかもしれないけど、世界とのある関係を切り結ぶことで、自分の価値があるんだぞって自分に思い込ませるっていう、そういう意味で、そういう子もいるんだよっていう意味で書きました。ほんとにすばらしい意見を言っていただいてありがとうございました。

 

 子どもに基礎的信頼が欠けている

宮台:一点だけいいですか。このことについて。思春期の問題をね、あなたが直面しているような日本の状況と、やっぱり先進国の他の国々の同年代の人たちの状況とはずいぶん違うんだっていうことをね、やっぱりちょっと頭に置いてほしいなってことがあるんですね。
 と言うのは、僕たちの社会はですね、いろんな理由があるんですけども、子どもがですね、無条件で肯定されるような状況になくなってきているんです。条件付き肯定なんですね。つまり碇シンジ君がエヴァに乗る限り褒めてもらえるってのと同じような状況。エヴァに乗って勝たなければ誰も自分を必要としてくれないし褒めてもくれないといったような状況の中で、要するに、基礎的に世界の中で受け入れてもらっているって感覚を小さいときから抱いていないんですね。
 これはよく基礎的な信頼が存在しないって言い方で表現するんですが。基礎的な信頼が存在すればですよ、実は試行錯誤して失敗をしてもその失敗に耐えられるんですね。ですからどんどんチャレンジができる。チャレンジをすればするほど世界は広がっていき、世界が広がっていくとその信頼もますます増大していくっていういい循環が働くべき出発点でですね。
 日本の子どもたちは、けっこう出発点においてハンディキャップを負っているということがまずあるんですね。これは思春期一般の状況と言うよりも、皆さんが、特に思春期の方々があまりにも大きな不安にとらわれていることの背景には、基本的にはその基礎的信頼が、世界に対する基礎的な信頼が存在していないということがありますね。あと、失敗をおそれる、基礎的な信頼が存在していないがゆえに失敗をおそれる、あるいは人からのデヴァリュエイションと言うか、人からですね、悪口を言われることを過剰におそれる。おそれに満ち満ちた世界が広がっているわけですね。
 実はその同じ思春期でも別のような、まったく別様のですね、自己意識の持ち方のチャンスってのがあり得まして、実はその、僕が教育のメカニズムを変えろというふうに言ってるときに念頭に置いているのはそういうことですね。
 つまり、成功のみを求めて、失敗をした人間が自己意識を傷つけられてしまうような今のシステムは、はっきり言ってデタラメだというふうに言っていいです。こういうシステムを温存している国は、G7ではもう日本だけだというふうに申し上げてもかまわない状況ですね。そういうシステムを親や教員がバックアップしているという先ほどのご質問、高校生のお子さんがいらっしゃるお母さんがおっしゃってましたけども、まさにそういう状況にあることが、まさに病理でありまして、今の子どもたちがおかしい以前に、こういうシステムを温存している大人たちがよほど病理、というか、まあ、ちょっとあまりにも了見が狭すぎるなあという感じですね。

三橋:どちらが先だったかな。そちらの方が先でしたね。はい。
 

 高校は付加価値に振り回されてる

大野:川崎の生田東高校の大野と申します。 宮台さんには今度、12月の8日ですか、講演をお願いするんですが、その時の司会をさせていただく者なんです。よろしくお願いいたします。
 宮台さんの話は、昨年度の3月の厚木でも聞かせていただきました。今の、最後の話のシステムがおかしいっていうのが一番心に残ったことです。ただそれは私たちが、教員がやることじゃなくて行政のやることなので、かなり歯がゆい思いもあります。今日こういうシンポジウムに来て、あの、すごくおもしろい話ですが、正直な話、聞いてそれがなんなんだろうと。非常に自分にとっては実になったと、でも、それがなんなんだろうという感じがして。で、そん中で何が、自分がこういうこと知識だけ身につけて、どういうふうにそれを還元していこうかと思って今、悶々としています。
 今ちょっと思っていることは、神奈川県でやってる各学校の個性化づくりですか、特色づくりですか、それがあまりにも学校の付加的な要素に走ってるかなと思います。僕たち子どもの頃、グリコのおまけっていうのがありました。おまけがほしくて、あるいはカードがほしくていろいろ買ってきたんですが、なんかそういった本道っていうのを行政自体がはずれて、そのおまけの方を一生懸命なんか訴えてるような感じがします。ただ、感想としては、なんか付加価値ばっかり追っかけてるような気がして、付加価値に振り回されてる世の中なのかなって思います。
 それから、自分としても自分の言葉を持ってもうちょっと生徒とは話していけるようになりたいなあと、そのために自分を蓄えて行かなくちゃいけないなあと思います。今日の話も、聞いて、「うん、うん、わかった」と自分だけで納得しないような形で生かしていければと思います。

三橋:はい。ありがとうございます。こちらの方から順番にこう回していきますので、マイク係りの方お願いします。
 

 良い授業をしてほしい

小林:私は今高校三年で小林と言いますが、最近ちょうど授業について思っていることがあるんで、それを話したいと思います。
 さっきですね、生徒が、例えば授業中に内職をするとか、寝ているとか、そういう、授業に集中しないとかっていうことがあるようなお話があったんですけど、生徒の側からのわがままな意見なんですけど、いい授業をしてほしいっていうのがあるんですね。それで、どういうことかって言うと、言葉のままなんですけど、ずっと単調な授業って言うんですか、ただ教科書にあることを受験の知識として、もう一方的な押しつけのような感じで、ただ「おぼえなさい。おぼえなさい」で、「学校ではここまでしかできないからあとは予備校に行ってね」っていうのは、学校じゃないと思うんですね。
 私は今、塾にももちろん行ってるんですけど、学校に今すごい行きたいとか、毎日今日も学校に行こうって思うのは、すごい受けたい授業があるからです。それは今、10科目ぐらい習ってるんですけど、そん中でたった2科目なんですね。自分でも最近それに気が付いたときに、すごい、自分はなんで学校に行ってるんだろうとか思うぐらい、これはぜったい先生に対しても失礼ですけれど、すごい自分に対して悲しいことだと思うんですね。
 その二つの授業は、一つは2年生の時に受けた世界史なんですけれど、今まで歴史っていうのは教科書に書いてある順番で、もう時代も背景もめちゃくちゃで、ただ何年に第一次世界大戦があってとかいう感じでやってきたんですけれど、「ここの背景はこういうふうになってるからこういう条約が結ばれたんだよ。だからこういうふうになったんだ」っていうのを、ただ一方的に押しつけるっていうんじゃなくて、それを知識として私たちに与えてくれて、もうこの先生の授業は寝てたりするようなそんなことはできないし、一分一秒だって無駄にしたくないっていうそういう授業だったんですね。
 あともう一つは、一年からずっと教わってきてる現代文なんです。ほんとにその授業はもう良くて、自分で授業取ってるノートはずっと取ってあるんです。それを読み返すだけでも、例えば小論文の勉強するんでも、ぜんぜん違う勉強するんでも、すごい役立ちます。ちょっと先生が言った言葉をよくノートに書き留めてるんですけれど、その書き留めた言葉を使ってまた新しい意見ができたりとか、先生が言ってた本を読んでみよう、で、その本を読んだことによって新しい知識が得られたっていうことで、もうほんとに自分ていうものがその先生によってできてきたって言ったらちょっとおかしいんですけど、そのぐらいなんですね。
 そういう先生っていうのはやっぱり、自分たちが思ってることも、例えば大学に関しての質問だとか不安だとかを相談するにしてもちゃんとやっぱり聞いてくれるし、ただ一般論じゃないその先生の意見ていうのを話してくれるし、それでやっぱり自分の不安も解消されるし、自信もついてくるし、先生っていうのは、そういう、なんか身の上相談って言うとすごいおかしいんですけど、そういう面もあると思うんです。その前に、一番最初に尊敬できる大人っていう立場だと思うんですね、親の他に。やっぱりそういうのがなんか最近ないんじゃないかなって思います。

三橋:いや、あの、教員もいっぱいいますからね、いいところで発言したな君は。
 はい、それでは次の方、お願いします。

 

 脱学校化の到来を予感?

井上:時間がないんで簡単に行きたいと思います。
 今日ずっと話を聞いてると、脱学校化の到来が予感されるっていうふうな感じがしたわけですけども。駒崎さんは神奈
川の高校の組合で非学校化論の第一人者だというふうに僕は思ってるわけですが、この間の変化ですか、今日はそれが比較的好意的に受けられているような気がして、非常にびっくりしています。ずーっと言ってきたんですけども、そういうこと言うと「お前、やめろ、教師を」とか言われたりしてきた中で状況はだいぶ変わってきてんのかなって、そう思っていいのかなっていうふうに思いますんで、一言ずつ「そう思っていいんだ」「いや、そうじゃないんだよ」のどっちかを、一人ずつ最後に答えていただければいいかと思います。所属は厚木南高校通信です。

三橋:えーと、それでは次の方。

 

 G7の中で日本だけ遅れてる?

福本:住吉高校に勤務しています。
 宮台さんの方でお話になった一番最後の所で、非常によくわかるんですけども、無条件に受け入れないと、条件的な受け入れだって、まったく僕もそのとおりだっていうふうに思ってるんですけれども。
 確かに学校社会っていうのは、僕自身も痛切に思うんですけれども、もう何もかもがね、今マニュアル化されてきています。マニュアルの世界の中には経験なんてのは成り立ちようがないわけですから、ほんとにおっしゃるとおりだと思うんですけれども、ただ、一つだけお聞きしたいのは、非常に確信を持って「G7の中でこんなふうな国になってるのは日本だけだ」っていうふうにおっしゃったんですけども、「うん?」と、ちょっと思っちゃうんですね。そこの所だけちょっとお聞かせ願えればと思います。

三橋:えーと、先ほど手を上げてた方にお願いしようと思ってたんですが。えーと、こちらの方にお願いします。

中野:中学校での養護教諭をしています。
 宮台さんが、最後に成熟化して行く社会の中に当然起こってくるべきことが起こっているっていうことで、それはもう「どうにかなっていくでしょう」なんておっしゃってたんですが、どうにかなって行っちゃった世界はどうなっているとお考えになっているのか聞きたいなと思ったんですけど。

三橋:質問ですね。はい、それじゃその後ろの方、お願いします。
 

 高校をどうするかこそ問題だ

稲森:教育を守る会の稲森と申します。
 お話を伺っていて、今日のシンポはなんだったのかっていう、私自信非常に迷って、最後まで、感想をどういうふうにしようかと思ったんですが。
 「高校生は大人より社会を知っている」しかし、その社会って何だったろう。皆さんのお話をつなげてたら、「不始末をしている大人社会」「守らないことが大きすぎる社会で子どもは守るわけない」でも、そういう狭い一部の社会を知っている一部の子どもっていうふうに私はとりたいなあ。そうじゃなかったら、今、前の先生が質問したとおり、宮台さんがおっしゃったのは私よくわかるんです。「なんとかしようとしなくて、ほっときゃなんとかなるだろう」。これ、イタリアはそうですよね。個人裁量に限りなく任せられてる社会だからはい上がってきましたあそこは。ただし、歴史があった。日本はちょっとと言われると、私はちょっと寂しいところがあるので。
 子どもたちを見てますと、やはり、何かを知りたい、クスリや援助交際でなくてもハイになりたいと思ってる子はたくさんおります。そういう子のために私たちはやっぱりどっかで踏ん張っていかなきゃいけない。それは社会で何かをするんじゃなくて、個人個人がやはり自分という、生きてることどんくさく楽しんで、生きてる意味を考えながら生きていきたいなあというふうに私は思いました。
 今日のシンポは、来る前に「高校生は今!」の「生」を抜いて聞こうと思ったんです。「高校は今!」っていうふうに、どうしても神奈川ではそういうふうにしていきたいな、神奈川らしく。まずそこを押さえたい。中学校は90何パーセントの進学率の中で、送る側として高校に子どもたちを送ってます。これはやたらに送ってるわけじゃありません。やはり、「高校に行きたいよ」っていう子どもたちの目を見て送っている。だからこそ、今高校はそれを受け取った高校として、今までどおりではやはりいけないんじゃないかなあっていうことはこのシンポジウムで私は感じました。
 今、高校の先生方は正念場かな。その中で、福富先生は救いでございました。やはり聞いてほしい。しかし、子どもにだまされてはいけない。だから外で聞いてもらってないというのは嘘です。
 それから、速水さんの援助交際の話も、私は多くの子どもと生きてわかるんですが、半分ぐらいけっこう違うこと言ってることもあるので、そればかりを信じないでほしいな。「ブー、ここまでは先はNO」っていうのだけを信じないで、そうでもない子もいるので、いろんな意味で子どもたちを決めつけないで、いろんなのがいる、それでいいんだっていうところを今日のシンポで私は押さえていきたいなっていうふうに、そうじゃないとちょっと生きていけないぐらい重たい、なにがなんだかわかんないシンポに終わってしまうのはいやだなっていうふうに思いました。

三橋: えーと、先ほど挙手をお願いしたときには七人のお手が上がったんですが、今のところ五人しか伺ってないんですがよろしいですか。あといらっしゃいませんね。
 

 課題集中校にしか課題はないの?

会場:高校生二人を持っております一母親です。初めてこういう場に参加させていただきまして、ちょっと感じたことがあります。
 まず、これはアンケートをとるために、学校を区別するために付けた用語なのかもしれないんですけど、初めてこういう言葉にぶち当たりまして、ちょっとびっくりしました。
 と言うのは、課題集中校っていうのと非課題集中校。別に課題集中校っていうのは、まあ俗に言う、ちょっとお勉強しなかった子どもたちが行ってるのかなと思ったんですけど、でも進学校の中にも、心の中に課題を持った子はたくさんいると思います。そういう子どもたちがどんどん学校のお勉強だけできて東大に入って、そういうさっきおっしゃられていたような心の病のかたまりの大人ができてしまうんじゃないかなと思います。そう考えると、この非課題集中校っていうのは子どもたちに対してとても失礼な言葉じゃないかなと思いました。
 それから、一つお聞きしたいのは、今ここにはたくさんの先生方がいらっしゃると思うので、ある中学校の先生がおっしゃった言葉なんですけど、「自分の学校の生徒であっても、タバコ吸ってたり、土足で校庭にでてたりしても、自分の学年じゃない子、自分とコミュニケーションがとれてない子に対しては注意できない」っておっしゃったんですね。それを聞いて、一母親として、大人としてすごくショックを受けまして、その先生は自分を守るために生徒に注意できないんじゃないかなっと思ったんですね。世の中、今いろいろ援助交際とかいろいろいろいろマスコミで取り上げられて、子どもたちも、結局、援助交際をしないと今の流行に遅れちゃうんじゃないかなみたいな感じで、逆にこう煽られているって言うか、すごく良くないことだと思うんです。まず私たち大人が、どんなことでも、やっぱり注意できる大人っていうのがね、一番、一母親として、注意できる大人に皆さんなっていただきたいなと思いまして、ただ自分の高校とか中学校の生徒にみなさんちゃんと、悪いことをしてたら注意できますかっていうことを今お聞きしたいなと思います。

三橋:はい。それでは、そちら。
 

 大人の価値観に抗しきれない子は

松下:私は、子ども劇場、親子劇場という市民団体の機関誌を発行している出版部にいます。
 自分自身ではアダルトチルドレンだと思っていて、自分探しをまだやめられないでいる方の部類の人間なんですが。
 ほんとに地域も家庭も学校もすべての大人の価値観ていうのが、時代と適応できないような状態になっていて、それがもう、今の方がおっしゃったみたいに、課題集中校と非課題集中校っていう分け方をしたりとか、その、私なんかに言わせれば、非課題集中校の子どもたちはもうぜんぜん課題をクリアーしちゃってると言うか、超オーケーだなと思っちゃうところがあるんですよ。その子どもたちは学校にある意味での居場所を求められているし、自分のそのままの状態で学校で受け入れられるというようなこと、体験しているわけですから。
 それと、また第四空間とかで、自分自身の居場所をみつけて肯定感を持っている子どもたちっていうのも、また同じように、ある意味で安心と言うか、宮台さんがおっしゃってるように、どうにかなっていくだろうっていう部類の子どもだったなっていうように思うんですね。この子どもたちはたぶん、条件付きの愛情に対してノーと言っちゃったんだと思うし、パワーゲームとかそういったものを、学歴とかの力とか、いろんな力に対して「いらねーよ」って言っちゃった子どもたちだと思うんですけど、そういう子どもたちはまあいいかなと。よしっていう感じなんですが。
 でも、その一方で、その親の価値観て言うか、大人の価値観ていうものに対して対抗でききれないと言うか、「そんなのいらない」と言えない子どもたちっていうのは、実際いると思うんですね。で、そういう子どもたち、あるコミュニケーションスキルみたいなものを身につけられないでいる子どもたちっていうのが、どうなっていっちゃうのかな。その子どもたちはたぶん学校に残っているだろうし、その子どもたちはイジメをずっと、イジメの連鎖みたいのものを、親、大人からもらったものをもっと弱い者に出したりとかっていう連鎖の中にはまっちゃってると思うんですね。こういうイジメの連鎖で、また外に出すイジメをやってる子もいれば、逆に、摂食障害とかいろんな自虐的な行為に走ってる子どもたちもいて、こういう子どもたちっていうのは見えずらいと思ってるんです。そういう子どもたと大人の価値観とが変わっていない、適応でききれていないっていうのはすごく相関関係があると思います。この点どうにかならない部分というのを、世直しモードに入っている宮台さんはどう考えてらっしゃるのかなっていうのが、ちょっと知りたいなと思ってます。

三橋:はい。これで、それじゃ会場からの発言をしめ切らせていただきます。全員に対して質問がありました。「非学校化論が好意的に受け止められていると判断していいのか」ということが全員です。あとそれぞれ、個々お名前を上げての質問でしたので、時間の関係で全部答えられないとは思いますけれども、ちょっと難しい方もいらっしゃると思うんですが、一言ずつお願いします。

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