市民活動は「教育」を変えられるか!
「地域の活動から− 市民活動紹介」連載の4年を振り返って

川崎 あや  

 
 

 『ねざす』のNO12(1993年10月)からNO19(1997年4月)まで、地域で様々な教育の問題に取り組む市民の活動を紹介する「地域の活動からー市民活動紹介」を所員レポートして掲載した。6回にわたり、県内を中心に17事例(団体)を取り上げ、市民の視点からの教育の問題を紹介してきた。
 私自身は、「まちづくり情報センター・かながわ」(通称:アリスセンター)という、分野を問わず市民の活動を支援する民間団体のスタッフであり、様々な地域の市民活動を見てきた。教育の諸問題や教育現場の状況に特に詳しいわけではないが、自ら地域や社会を変えていこうとする市民活動の重要なテーマのひとつに「教育」があると考える。
 今回は、これまで私が連載してきた「地域の活動から」を振り返りつつ、また市民活動の近年の動きとも照らして、教育というテーマにおいて、市民活動の抱えている課題や、今後の可能性などを考えてみたい。
 

 「地域の活動」の現状

■学習障害児の学ぶ場づくり
 『ねざす』NO12(1993年10月)では、学習障害児(LD児)の自立をめざし、小中学校の子どもたちを中心にした学習の場を設けている「飛翔の会」(LD児の自立を考える会)と、LD児や知的障害児の働く場としてつくられた地域作業所「エール湘南」を紹介した。「飛翔の会」が発足したのは1990年だが、90年代に入ってからは学習障害児の親の会が全国各地で生まれている。日本の教育現場で学習障害児への認識が生まれたのも90年代に入ってからのようである。
 「飛翔の会」は、その後「神奈川学習障害教育研究所」として社団法人の認可をうけている。社団法人化したことで、教育行政や教育現場(教職員)の認知度も高まり、連携も進んだと言う。また、公的・民間の助成金など資金も募りやすくなり、活動の幅も広がった。子どもたちの学ぶ場として、定期・不定期のプログラムを実施し続けるとともに、学習障害児の親からの相談対応や教材研究などにも力を入れている。

■教科書裁判
 『ねざす』NO12では、同時に教科書訴訟を支援する活動も紹介した。ちょうどその年(93年)の3月に、約30年にわたって教科書検定の違法性を争ってきた「第1次家永教科書訴訟」の原告敗訴が最高裁で確定した。そして第3次訴訟は東京高裁での審理が終わり判決を待つ状況だった。そして6月には、高嶋伸欣氏が横浜地裁に提訴する「横浜教科書裁判」が始まった。こうした状況を紹介するとともに「教科書検定訴訟を支援する神奈川市民の会」と「横浜教科書訴訟を支援する会」を取り上げた。
 その後、第3次家永教科書訴訟は、東京高裁の判決(93年10月)と、さらに家永氏が上告した最高裁での判決(97年8月)で、家永氏が訴えた10か所の検定意見のうち、4か所の違法が「確定」し、32年間に及ぶ教科書裁判は終了した。教科書検定自体の違法性を認めるものではなかったが、教科書裁判が社会に投げかけた問題は大きく、そうした成果を、今後も各地で受け継いでいくことを前提に、98年8月には全国、各地それぞれの支援活動も解散する。神奈川では、横浜地裁の横浜教科書訴訟への支援へと、運動は継承されていくだろう。

■不登校の子どもや親を支える
 1980年代から、「不登校」が社会問題化した。教育行政や学校は当初、「不登校」を本人の問題、あるいは、情緒障害など治療の対象だと考えた。そして、学校に登校するようにしむけることで問題を解決しようとした。そしてそれは、当事者である子どもやその親を、一層孤立化させ、追い込んでいくことになった。
 80年代後半から、各地で不登校の子どもをもつ親の会がつくられ、コミュニケーションの場をもったり、子どもたちの居場所づくりの活動が見られるようになる。『ねざす』NO13(94年4月)では、不登校を子どもたちの立場で考え活動している3つの事例を紹介した。川崎市内で不登校の子どもの親たちの会が集まり、学習会を開催したり、川崎市の教育行政に申し入れ等を行っている「不登校を考える川崎連絡会」、精神障害者の地域作業所であり、不登校の子どもたちも含めて若者たちの居場所となっている藤沢の「カフェ・ドゥ・そーじゃん」、茅ヶ崎で、子どもの人権を考え、子どもたちのたまり場を定期的に設けるなどの活動をしていた「茅ヶ崎子どもサポートネット」である。
 こうして、90年前後に各地で噴出した、不登校の子どもやその親を支える活動も、現在はそれほど目立たなくなっている。
不登校の子どもたちの数が減っているわけではなさそうだ。ただ、何としてでも学校に戻らなければならないという、学校や当事者の脅迫観念も薄らぎ、各学校でも、以前に比べて柔軟に対応するようになっている。子どもたちの心の傷を受け止められるようにスクールカウンセラーを配置する試みも進みつつある。
 川崎で「たまりば」という、不登校の子どもたちも含めて来たいと思う人なら誰でも集えるスペースを7年間運営してきた西野博之さんは、「市民によって緊急避難的につくられた子どもたちの居場所は、当時中心的存在だった親たちの子どもが学齢期を過ぎることによって、また一定の空間を維持し続けることの大変さもあって、当時よりは少なくなっているのではないか。一方で、行政が不登校の子どもたちを受け入れる専門機関をつくったり、企業が『フリースクール』をつくるなど、子どもたちの『受皿』の選択肢自体は増えつつある。しかし、本来、不登校の子どもたちのせっぱつまった訴えは、『学校化社会』という本質的な問題にきりこみ、親や子どもが自分自身の生き方を問いなおす機会を提供するものでもあった。不登校が顕在化してから10年、子どもたちは用意された『受皿』に吸収され、親もとりあえず『受皿』があることに安心して、そこに依存するようになりつつある。そんな状況の中で、私たちは今後どのような方向をめざして活動するべきなのかを、あらためて問い直す時期にきていると思う」と言う。

■共に生きる教育
 民族差別、障害者差別など様々な差別や偏見が存在する日本社会。子どもたちが日々暮らし成長していく地域や学校が共生の社会となり得ていないことも、こうした社会を温存することにつながっている。また、近年ニューカマーと呼ばれる在日・滞日外国人も増加し、地域社会、学校、様々な場面で多様性が求められている。
 『ねざす』NO16(95年10月)では、在日韓国・朝鮮人の子どもたちへの支援と民族共生教育を進めている横浜の「信愛塾」と川崎の「川崎市ふれあい館」を紹介した。また、川崎で帰国生徒や在日外国人支援を行っている「LET’S国際ボランティア交流会」、そして、国際協力として「南部アフリカの教育を支える会」を紹介した。
 また、NO19(97年4月)では、神奈川県内を中心に障害をもつ人とその仲間たちが運営するパソコン通信ネット「ピアネット」を紹介し、パソコン通信上でかわされた「障害児と学校教育」に関する議論の一部を紹介した。
民族共生教育や、障害児への普通学級での対応などは、当事者を中心とした活動の成果もあり、徐々に教育行政や教育現場の対応も進みつつあるようだが、依然として大きな教育課題であることはかわりない状況である。

■「教育問題」を考える
 現在の教育に関する様々な問題に関して、ニュースの発行やシンポジウムを通して情報提供しているのが、県内の教育関連グループのネットワークである「かながわ教育問題ネットワーク」である。教育のあり方全般を取り上げる活動として、『ねざす』NO15(95年4月)では、この「かながわ教育問題ネットワーク」と「横浜南部教育を語る会」を紹介した。どちらも1989年の「新学習指導要領」の改訂がきっかけで発足しており、「日の丸・君が代」の強制や、神奈川県での高校入試改革など、教育行政のあり方も問い続けてきた。
 こうした根本的な教育制度や教育行政のあり方に関わる地域の活動はそれほど多くない。これまでもっぱら教職員組合など全国規模の団体が、問題が起こったときに批判の声をあげるという運動のスタイルだったようだ。そして市民の活動は、かたくななまでに変わらない文部省や教育委員会を相手にすることに、徒労感を募らせている現状がある。

■若者たちは・・・
「授業がなり立たない高校や中学も多い」とも聞く。子どもがナイフをもつことに、マスコミを初めとして大人たちが騒然となる。10代の若者たちがどうなってしまっているのか大人たちには見えない。そしてどのように接していいのか困惑する。
 『ねざす』NO18(96年10月)で紹介した「思春期相談室『ティーンズ・ポスト』」は10代の若者を対象にレターカウンセリングを行う団体だが、全国から悩みや不安を書き綴った手紙が寄せられる。心に深い傷をおった子どもたちは、もはや稀な存在ではなくなっている。そしてやはりNO18で「地域福祉施設でシニアリーダーを担う高校生」や「薬害エイズ問題に取り組む高校生」として紹介したように、地域や社会と積極的に関わろうとする若者たちもいる。
このように、子どもたちが自分を見つめ、主体的に生きるための支援となっている活動や場が地域にまだまだ少ない。「不登校」の子どもたちの居場所も含めて、学校以外の子どもの居場所づくりを可能とするのは、こうした市民の活動ではないかと思う。
 

 教育に取り組む市民活動の課題

 最近、「教育」というテーマを掲げた市民の活動が見えにくくなってきているのではないかと感じる。それはひとつには、明確な争点を掲げて、教育体制批判や教育行政への提案・要求を行う運動的な市民の活動に勢いがなくなってきているからでもあると思う。
「新学習指導要領の改訂」や「日の丸・君が代の強制」といった争点を、市民が運動として取り組んでいたときも、すでに、「いじめ」や「不登校」などの身近なレベルでのひずみが社会問題化しつつあった。そして現在、子どもたちが学校生活も含めて日常の中で、ますます悲痛な叫びをあげている中で、何がそうさせているのか、大人たちには見えていない。「子どもたちを取り巻く社会全体の問題だ」と言ったところで、それでは具体的にどうしたらいいのかわからない。問題を問う相手を特定できない教育をめぐる閉塞状況が顕在化し、教育を問う市民運動としての活動もまた、方向性を見出しえない状況にあるのではないだろうか。
 一方で、近年、各地でまちづくりを市民が主体となって担う活動が展開され、関心を集めている。こうした地域の市民活動の状況にてらしてみると、教育をめぐる地域の活動・運動が直面している、いくつかの課題を、あらためて問い直す必要があるのではないかとも感じる。

■当事者としての活動が継続しにくい
 「このまちに安心して住み続けたい」と、地域で、環境保全や福祉の支えあいを市民自らの手で実践する活動が増えつつある。まちに住む人たちが、自分たち自身の問題として取り組む活動である。教育の問題も、子どもをもつ親たちが当事者として、身近で切実な問題に取り組むことが多い。「不登校」の子どもたちの居場所づくりに積極的に取り組んだのは「不登校」の子どもたちの親である。1970年代に神奈川県下各地で盛り上がった「高校増設運動」も、小中学校の子どもをもつ親たちの「15の春を泣かせない」という切実な思いから広がった運動であった。
こうした活動は、他方で、子どもが学齢期を過ぎることで、当事者としての切実な危機感も薄らいでしまうという性格をもつ。教育に関わる市民の活動は、テーマが身近であればあるほど、その時々には重大な教育の問題を社会に提示し、一定の社会的役割を果たしながらも、その問題の根本的な解決への着実な歩みを重ねることなく、途切れてしまうことも少なくない。
一方、全国に支援組織が存在し、30年余支援運動が続いてきた「教科書検定訴訟」は、「教科書」という身近な題材ではあったが、親たちが当事者としての切実な問題意識から支える運動ではなかった。国家権力の教育への介入という問題の普遍性が、教職員や教育に関心をもつ市民の間に支持を集め、30年余におよぶ裁判とともに支援運動も継続してきた。
 これまで、常に問われてきたことではあるが、果たして、身近な問題であればあるほど、市民が当事者として担う活動であればあるほど、教育に関わる活動は一過性にならざるをえないのだろうか。

■行政との連携がはかりにくい
 近年、地方分権の論議ともあいまって、自治体における市民と行政のパートナーシップの必要性や市民参加の重要性があらためて認識されつつある。環境、福祉、都市計画、防災など、市民生活に密接に関わる、いわば「まちづくり」の領域を中心として、市民と行政がいっしょになって計画づくりを行ったり、市民の実践活動を行政が支援するという協働のスタイルが模索されつつある。とはいっても、今はまだその過渡期ともいうべき時期でもあり、依然として形式的な市民参加のもとに行政主導で物事が進められたり、「パートナーシップ」の名のもとに市民の活動実践を行政サービスを補完するただ働きとして期待する傾向もなきにしもあらずだが、少なくとも、公益はひとり行政のみが担うものではなく、市民の活動が柔軟な社会の発展には欠かせないという認識は浸透しつつある。そして、市民活動に携わる人々と、行政職員のコミュニケーションが深まりつつあることは確かである。
 教育委員会においても、生涯学習の分野では、市民の自主的な学習活動が地域社会に還元されコミュニティの自治や市民が主体となったまちづくりにつながる可能性を重視し、行政支援のあり方などが模索されつつある。
 こうした、行政の変革の流れから一線を画しているのが、学校教育の分野ではないだろうか。学校教育においては、教育委員会が他の行政分野から独立しており、文部省の中央集権のもとに教育行政が展開されていることが、依然として市民をよせつけない体質を温存することになっている。
 市民の活動が社会的に注目されつつある背景には、行政の市民活動への認識や対応の変化も見逃せない。市民の提案や実践が、行政施策としても反映される、あるいは行政施策とも連携してより実りある成果を期待できるという手応えが、地域における市民活動の広がりや自立化の後押しともなる。教育に関わる市民活動にとって、依然としてその手応えは希薄であるといわざるをえない状況があるのではなかろうか。

■現場教員との連携がはかりにくい
 教科書裁判の支援者には教職員も多い。「かながわ教育問題ネットワーク」にも教職員の参加が見られる。教職員組合が市民団体を支援する場面もある。しかし、地域に密着した活動の現場で市民と教職員がいっしょになって活動するような場面は少ないのが現実ではなかろうか。組合活動や市民団体に参加する教職員も、自らの学校現場からの改革を地域の人たちとともに進めていくことは難しいというのが本音ではないか。また、市民も身近な現場の教職員とは、なかなかコミュニケーションがはかれていないのではないか。
 近年、地域でまちづくりをすすめていこうとするとき、環境、福祉などテーマごとに活動する市民団体(「テーマコミュニティ」と表現されることがある)と、自治会・町内会などの既存の地縁組織(「ローカルコミュニティ」と表現されることがある)の連携を探ろうとする動きが広がりつつある。これまで、市民団体からすると、自治会・町内会は形骸化した行政の末端組織であり、一方、自治会・町内会からすると、市民団体は、無責任に自分の関心のあることだけに取り組むサークル的な活動だとの見方が強く、お互いにほとんど接点をもたないことが多かった。しかし、地域というフィールドを共にする活動であることには違いなく、コミュニケーションをはかることの必要性が認識されつつある。接点をもたずに活動するより、それが様々な軋轢であっても共に地域のあり方についてコミュニケーションをはかることが、市民が主体となったまちづくりを地域で具体的に進めていくことにつながる。
 地域から教育を考え、少しずつでも具体的な変化をもたらすためには、やはり市民の活動と現場教員の接点づくりが不可欠なのではないだろうか。

■多元的な教育の場をつくりにくい
 「教育」と言えば「文部省」「教育委員会」そして「学校」。こうした価値観が、日本の教育行政の側にも、そして市民の側にも根づいてきたのではないだろうか。そのため、教育問題へのアプローチは主に、文部省や教育委員会に向けられ、学校教育をいかに変えるかという視点が主流だったように思う。
 もちろん、こうしたアプローチは重要であり、「教育」をよりよく変えていくためには不可欠である。しかし、教育問題が主に「学校教育」の視点から問われてきたこと、つまりが、「教育における多様性」を「学校」にのみ求め、「学校」以外の多元的な教育環境づくりを市民自らがなかなか具体化できないでいたことが、教育の多元化、多様化を、結果として妨げてきたのではなかろうか。
 「学校教育における多様な価値観」が、教育をめぐる市民活動では常に求められ続けてきたにも関わらず、学校の管理教育は依然として続いている。そして「不登校」が社会問題化し、子どもたちの居場所をつくる活動が各地で生まれ、「学校」以外の場が具体的に模索され始めた。「学校がすべてではない」と「学校」自身が認識しないままで、学校教育の多様化は不可能なのではないかと思う。「学校」にみきりをつけるのではなく、「学校」を多様化するためにも、学校以外の場づくりや教育環境づくりが市民や教職員の参加によって、もっと進められてもいいのではなかろうか。
 

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