特集 : 検証「特色づくり」「新入試制度」
 

高校多様化政策と「特色ある高校」

三橋 正俊 

 
 はじめに

 1994年度に始まった神奈川県の「特色ある高校」づくり推進事業と1997年度から実施された入選方式は、文部省の高校と入試の多様化政策に遅れをとった神奈川県教委の一大イベントだった、といっても過言ではないであろう。
 神奈川では、文部省の多様化政策をストレートに受け入れさせない地盤があった。1983年度に「新しいタイプの高校」として開校した弥栄東・西高校以来、普通科の専門コース制はしばらくの間凍結され、職業高校(工業学科)の学科統合がすすめられ、何よりも「百校計画」において普通科高校を建設し続けたことが、それを物語っている。県立の単位制高校、総合学科高校は現在のところそれぞれ1校の建設に止まっている。
 しかし県外に目を向けると、高校の多様化と入試の多元化は全国においてかなり進められてきている。例えば、普通科と専門学科の比率を学科数、生徒数で比較してみると、神奈川は圧倒的に普通科の比率が高く、学科数、定員数ともに全国一となっている(表1・2参照)。同時に専門コース制導入の数も、1989年の六ツ川高校の情報科学コースの導入を契機に増える傾向にあるものの、普通科の高校数から考えて、全国的に見てさほど多いとはいえない。
 こうした状況へのいらだちが、県教委に強引に「特色ある高校」づくりとそれにあった入選制度を導入させたのではないか。その地ならしとなった高課研は1991年11月に発足して、1993年3月に高校進学率アップの「第一次答申」、次いで1993年12月にア・テスト廃止を含む多様化・多元化入試の「第二次答申」と県教委事務局の「シナリオ」に沿ってまとめられた(中野渡強志著『新神奈川方式へのシナリオ』1997年4月刊)。
そこでまず、「特色ある高校」づくりと入選制度の多様化と多元化とは一体どのようなことなのか、文部省の多様化政策の流れを追いながら、さらに全国的な状況を眺めながら考えてみたい。次いで、この多様化政策の何が問題なのか、神奈川の今後の高校教育改革をどうしたらよいのかを検討したいと思う。
 

1.文部省の多様化政策

■第1期多様化−国家社会の要請の下に−
 戦後改革期に文部省は、高校入試を「必要悪」と捉えていた。高校数が増えればなくすべきものと考えていたのである。しかし、1963年に入試制度の方針転換が図られる。学校教育法施行規則第59条の改正によって、「選抜のための学力検査」が制度化されるとともに、高校には一定の学力を有したものが入るべきであるという適格者主義が打ち出された。高校進学率が67%で、大学進学率が15%の頃で、中卒、高卒、大卒と高校が労働力の選別機関として位置付けられるようになった。
 1966年には「期待される人間像」を別記した第7期中教審答申が出される。「後期中等教育の拡充整備について」と題される答申の中で、「教育の目的は、国家社会の要請に応じて人間能力を開発するばかりでなく、国家社会を形成する主体としての人間そのものを育成することにある」として、高校では「職種の専門分化と新しい分野の人材需要に即応するよう改善し、教育内容の多様化を図る」としている。ここに、文部省の多様化政策が初めて姿を現したといわれる。
 高度経済成長の中で、高卒で即戦力になる労働力が求められていた。そのため、1960年代後半は職業高校の多様化政策として展開される。神奈川でも普通科より職業高校が建設され、二俣川看護や貿易外語高校、技能連携を目玉とした技術高校もその内に数えられる。
 1970年代に入ると、高度経済成長が終わりを告げ、高度技術革新が進む中で、職業高校の職業訓練としての技術教育が破綻し始める。さらに、普商工農という学科間格差が問題となり、職業高校の荒廃が問題化する。1975年早くも理産審が「職業教育の改善について」で「学科の統合」を打ち出すことになった。

■第2期多様化−進学率の上昇の下に−
 1960年代後半に噴出した「学園紛争」を期に、第9期中教審が「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」と題する答申を1971年に発表した。大学教育の改善が中心ではあるが、高校では普通科においてコース選択を促すこと、発達過程に応じて中・高一貫などの学校体系の見直しなどを含むものであった。
 第二次ベビーブームの大きな波が押し寄せてくるとともに、高校進学率も急上昇し始め、1974年には90%を突破した。1977年に都道府県教育長協議会が、普通科高校の多様化として、「特色ある高校」づくりを提起し、1979年に「新しいタイプの高校」を具体的に列挙した最終報告書をまとめる。1982年度から実施された学習指導要領がその多様化を教育課程の面で支えるものとなる。こうして1980年代の普通科における新たな多様化政策が始まった。普通科の専門コース制は、この時期から導入されることになる。1984年には埼玉県に伊奈学園総合高校、高知県に岡豊(おこう)高校が誕生するが、普通科に様々なコースを設置した「新しいタイプの高校」として総合選択制高校のはしりとなる。
 1985年の臨教審第一次答申で「6年制中等学校」と「単位制高等学校」の答申が出され、1986年に単位制高等学校の制度化を進め、1988年度からスタートさせている。1985年に理産審は「高等学校における今後の職業教育の在り方について」を発表し、学科の統合だけではなく、分化の方向性を示し、職業高校の多様化を進める。情報化、国際化に即した学科が全国に造られていくことになる。高校入試も1984年に学校教育法施行規則の一部改訂を含む通達・通知が出され、多様化が推進される。各校等学校で「特色」に応じた選抜を可能とした。 

■第3期多様化−個性重視の名の下に−
1991年4月に第14期中教審が学歴社会と学校間格差を日本の教育の病理として指摘した画期的ともいえる答申を出す。「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」と題された答申は、「固定した未来像や産業国家としての計画や目標に合わせて教育の在り方を考えるよりは、まず現在の教育の持つ歪みを正し、子どもの心の抑圧を軽減して人間性の回復を図ることが肝要であ」るとしている点で、従来の中教審には見られなかった目線を持っていた。臨教審の自由化論争に端を発した個性重視の発想は、教育の「平等と効率」を調和させるために、生徒の個性に合わせた多様な高校を用意して偏差値の一元的な基準によらない「個性」による多元的な選抜を求めている。「国家社会」から「子ども」へと目線の変更はあったものの、結論としては従来の多様化路線に何ら変更はなかったと言える。
 1980年代末から1990年代始めにかけた国際的・国内的な政治的変動にもかかわらず、文部省の基本路線は変わらないまま、子どもの個性に着目した「特色ある高校」づくりに一層の拍車がかけられることになる。従って、第14期中教審で提起された「進路決定を先送りしている」生徒に合わせた「あらゆる職業に共通の実際的な知識・技術を習得させる」「普通科と職業学科とを総合する」総合学科について、学科区分の充分な見直しのないまま、第三の学科として発足させることになる。1993年2月に文部省の教育改革推進会議が第四次報告として「総合学科について」報告をまとめ、1993年3月には各都道府県に通知を出している。そして総合学科高校を1994年度からスタートさせている。
 入試制度に関しては、教育改革推進会議が1992年8月に第二次報告を出し、入試の多様化・多元化の促進を打ち出した。そして、1993年1月の第三次報告では業者テスト追放がうたわれる。埼玉県の業者テストの廃止を手始めとして、全国に広がる。神奈川のア・テストも例外でなくなる。
 

2.全国の状況

文部省はここ数年来、全国の都道府県に対して「高等学校教育の改革に関する推進状況」調査を行ってきている。1996年1月には「特色ある高校」づくりについて同名の調査結果報告書と「高等学校入学者選抜の改善等に関する状況」調査結果報告書を出している。この報告書から、全国の状況を概観してみたい(表3参照)。
 国立・私立高校を除いて集計したものだが、総合学科高校は1996年度では、大阪、愛媛が3校となっている(国立大学付属高校を加えると愛媛で4校、埼玉が3校となる)。全国では41校とスタート3年目にしては速いペースである。単位制高校の設置状況では、スタートから9年経っているが、総合学科を除いた数では、全日・定時・通信制を合わせて73校と少ない。ここでは沖縄が目立っている。「新しいタイプの高校」では、埼玉の8校、栃木と静岡の5校が多い。しかし、高校の多様化とはこうした「目玉商品」だけではかることはできない。職業学科を含む専門学科高校の学科数、普通科の専門コース制の導入状況を見ると、総合的な姿が浮かんでくる。
 学科数で見た専門学科の比率の高い県は、鹿児島、宮崎、島根、鳥取・福井となり(表1参照)、学科の定員数では、宮崎をトップに、佐賀、鹿児島、山形、鳥取で専門学科に通う生徒数が多い(表2参照)。むしろこうした各県こそが高校の多様化先進県と呼べるのではないだろうか。
 逆に、普通科の定員比率が全国平均では70.5%となっているが、全国平均を上回っている県を見ると、首都圏・近畿圏に圧倒的に多く、それ以外には北海道、茨城、長野、広島、福岡の名が上がってくる程度で、15都道府県となる。この普通科高校の多様化として、専門コースの導入がはかられるが、コース数から見ると近畿圏の兵庫、京都、大阪と首都圏の千葉そして九州の福岡が、圧倒的に多いことが分かる。
 神奈川は普通科の専門コースが21あるが、普通科が 153校あり決して多いとはいえない。神奈川と同じくらいに専門コースがある熊本と大分は普通科がそれぞれ42校、39校と少なく、平均すれば2校に1コースの割合で専門コース制が導入されていることになる。他にも三重、富山などが同様の状況である。
 熊本については1996年4月に調査研究に行き、高教組と県立南関高校からその実態を伺ってきた。専門学科と専門コースが併設されている高校が多く、普通科単独校は15校に止まる。全県11学区あり、学区内の高校数は3〜9校である。普通科の進学校をトップに序列化されている。学区間格差もあり、熊本市街が含まれる熊飽学区は私立高校が集中している上、市外から通学する生徒も多く、偏差値ランクが高い。そのため、市外へと弾き出される生徒も多数生まれている。それでも周辺の高校で毎年のように定員割れを起こす高校がある。南関高校も創立70周年を迎えようとする伝統校であるが、普通科4学級のうち2学級に4コースを設置しているが、地域の生徒が集まらずに、地域に根ざす学校へ転換するため必死に努力していると聞いた。
 普通科の定員率51.3%と最も低い宮崎については、1997年7月に調査研究に行き、高教組から実態を伺ってきた。この宮崎には中高一貫教育を1994年度から実施している県立五ヶ瀬中学・高校がある。宮崎では普通科単独校は全60校のうち12校しかない。あとは、普通科と専門学科が併設されたり、専門学科のみの高校である。11学区のうち、普通科の集まっている3学区(2〜4校)で総合選抜が行われていて、普通科での学校間格差はないという。しかし、専門学科を含めた学科間格差が生じていて問題となっている。
 宮崎高教組が1991年10月に実施した高校生の意識調査(『学校は甦るか?』1993年6月刊、対象生徒は全学科 1,812人)によると、考えさせられる結果が報告されている。「現在の学校・学科はあなたの希望どおりですか」との問いに対し、学校が希望に反していたと答えた生徒が全体で39.1%に上り、コース選択を間違えたとする生徒が24.3%あったという。特に、「希望どおりで満足している」と答えた生徒が少ないのは(40%程度)工業科、水産科で目立ち、商業科には「学校は希望どおりだが、コース選択をまちがえたと思う」という生徒が17.8%と多くなっている。学科の多様化の中で、中学時代に学科選択を迫られる生徒の問題が浮かび上がってくる。「現在の学校・学科はどのようにして決めましたか」の問いに、41.2%の生徒が「誰にも相談せず、自分で決めた」と答えているが、「地区統一模擬テストなどの成績を参考にして決めた」生徒が26.5%、「中学校の先生の指導で決めた」生徒が14.6%と、他律的な選択傾向がうかがえる。
 

3.多様化政策の問題点

1995年4月に第15期中教審が発足して、1996年7月に学校5日制を実現させる方向の第一次答申が出された。この答申に基づいて教育課程審議会が発足して「ゆとり」と「生きる力」を目玉とする教育課程編成に着手したところである。1997年4月より第16期中教審となり、6月に第二次答申を出した。大学・高校の入試の多様化・多元化とともに中高一貫教育と「飛び入学」を盛り込み、後期中等教育の複線化を提起している。
 第14期中教審が最大の病理とした学校間格差と大学の序列の問題に対する切り込みもなく、「過度の受験競争」の是正のために選抜方法の多様化と評価尺度の多元化を打ち出したに過ぎない。「特色ある高校」による高校の多様化によって、生徒一人一人の個性が尊重され、「自分さがしの旅」を扶けるようになると述べているが、果たして、本当だろうか。今日の多様化政策の問題点と私が考える2点について以下に指摘したい。

 (1) 進路選択の時期−中学か高校か−
 すでに述べたように1990年代の多様化政策は、産業界の要請に従ったむきだしの労働力の分配の視点からではなく、子どもの「過度の受験競争」の是正と個性の発展を促す視点から論じられている。偏差値という一元的な基準ではなく、「特色ある高校」を自らの個性に従って選択するということが成り立つためには、選択する生徒が予め自らの個性を自覚していなければならないはずである。果たして、中学時代にどれほどの個性の自覚と自らの進路に対する方向性が見出せるというのだろうか。
中教審の後期中等教育の複線化には、普通科はもとより専門学科、総合学科、専門コースどの学校を選んでも、希望すれば誰でもが大学へ進学する可能性は残されていて、戦前のような「袋小路」に追い込まれることはない。この点は答申の中で強調されている。だが実際は、自らの個性の見極めと「特色ある高校」の選択によっては、将来の進路が固定したものになる恐れが多分にある。大学進学には普通科が有利であるということであれば、中学時代に個性を自覚したとしても、生徒は「特色ある高校」をうたわない普通科を選ぼうとするのではないだろうか。
 特に気になるのは、中教審委員や文部省が本気になって中学時代に自らの個性を発見できると考えいるのかということである。第二次答申では、中学の進路指導に高校側が「体験入学」の機会を設定するとともに、積極的に「情報の発信」をすべきだとしている。また、確かに、勉強はしたくない、数学はイヤだ、音楽が好きだ、などと中学生が訴えることがある。しかし、私たち自身の進路選択を振り返ったとき、果たして本当に自分がやりたいことを見出すことができたのは、中学時代だったのだろうか。宮崎の調査では、学校・学科選択で「自分で決めた」という生徒は4割であった。だからこそ第14期中教審は、「進路決定を先送りしている」生徒のために総合学科を提起したのではなかったか。その際、すべての高校を総合学科にしようとしなかったのは、「特色ある高校」の選択でいち早く生徒を「選別」していこうという意図があったのではと思われてくる。「学力」ではなく「個性」によって。ともかく、個性の自覚と進路の選択をいつの時期に設定するか、中学か高校か、これが十分に議論される必要がある。

 (2) 競争は必要か−選抜か希望者全入か−
 第二次答申はいう。「過度の受験勉強によって神経をすり減らされ、様々な生活体験、社会体験、自然体験の機会を十分に持つことができず、豊かな人間性をはぐくむことが困難になっている」と。しかし、「選抜を通じて一人一人の多様な能力・適性や意欲、さらには様々な努力や体験を的確に評価し、社会の流動性を確保するという意味で、一定の競争が存在し、それが必要なことは否定できない」として、「知識量の多寡」という「単一の尺度」による「過度の受験競争の緩和が必要であることを改めて確認した」と述べている。これが大学・高校を通じての入試の多様化・多元化の理由のポイントである。
 だが、成績による選抜でなくなることによって、部活動歴、生徒会活動歴さらにはボランティア活動歴といった中学時代までの全生活が選抜の対象になる。さらに、適性・意欲・関心、時には「明るい」「はきはきした」といった性格などが加わり、まさしく人格を構成する内容が選抜の対象となる。推薦制度をめぐる生徒間・保護者間・担任間の相互不信、調査書の記載内容に対する生徒・保護者の不安、従来からもこうした問題点が指摘されている。選抜がある限り、多元的な評価尺度といっても、そこにまた新たな「競争」
が生まれる。

 例え自分の「個性」に合った「特色ある高校」だからといっても、「競争」の原理が働いている限り、誰もが「選択の自由」を享受できる訳ではない。いきおい、受験に対する不安から、安心して入れる学校はどこかということが関心事となり、塾・予備校の偏差値を頼ることになってしまう。ましてや、特定の普通科の進学校が温存されている状態では、表向き「特色ある高校」であっても、専門学科高校を含めた高校の序列はなくならない。
「過度の受験競争」の緩和を多元化・多様化によって実現することが可能か、はなはだ疑わしい。
 なぜ、中教審は希望者全入に向けた方策を検討しなかったか、大学入試に関して資格試験を否定したのか、この点について考えてみる必要がある。中学と高校の「ハードル」をできるだけ低くする必要性は、答申は認めている。しかし、「『全員一斉かつ平等に』という発想を『それぞれの個性や能力に応じた内容、方法、仕組みを』という考え方に転換し、取組を進めていく必要がある」と述べ、「努力という行為なしに、志望する大学へ進学できるというような解決策を見出そうとすることは適切とは言えない」といいきる。ここに、高校においても「競争」の原理を放棄しようとしないホンネがあるように思う。
 

 おわりに−神奈川の教育改革の行方−

神奈川の「特色ある高校」づくりが県教委主導ではじめられて3年目を迎えている。全国的に見れば神奈川は文部省の多様化路線が浸透しているとはいえない。とはいえ、たくさんの普通科高校の間の学校間格差は激しい。そのために、多様化政策の問題点を克服した教育改革が必要ではないだろうか。中学時代で自分の個性を見極めるのではなく、高校で、それも誰でもが希望すれば入学が許可される地域にある高校でそれができれば、それに越したことはない。その改革のキーワードは「誰でも近くの高校へ行けば『自分さがしの旅』ができる」ということではないだろうか。
 しかし、高校生の「学校離れ」の実態は、神奈川では課題集中校を中心に凄まじいものがある。高校中退、部活動ではなくアルバイトへの熱中、遅刻・早退さらには長期欠席、授業に対する意欲喪失など上げればきりがない。そうした高校では、学校の中では最早「自分さがしの旅」の機能は失われている。自分が入学した高校によって人生の先が見えてしまったかのような「分限意識」で自分を見限ってしまっている高校生の姿が浮かぶ。この現実を見据える必要がある。
 学校間格差を少しでも是正し、高校に入って「自分さがしの旅」ができるという環境をどう整備するかが問題である。だがどうすれば格差を是正できるのか、専門学科、専門コース、普通科のそれぞれの高校をどう組み直したらよいのか、入試制度をどうつくり変えるのか、解決しなければならない課題は多い。しかし、たくさんの「特色ある高校」の中から自分の行きたい学校を選ぶというというのではなく、どの高校に入っても自分のやってみたいことにチャレンジすることができる。こうした教育のシステムが今本当は、求められているのではないだろうか。

参考資料
表1 表2 表3

(みつはし まさとし 教育研究所員 県立中沢高校教諭)

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