いじめ問題のとらえ方−「厳罰化」 の限界−


桜井 智恵子 (大阪大谷大学)
 

1. 学校と教育制度への勧告
 先日、 府立高校の教職員研修に招かれ、 懐かしい出会いに遭遇した。 私の高校水泳部時代の後輩が教員として参加していたのだ。 他にも後輩たちに高校教員が居ると分かり、 数十年ぶりに再会のチャンスが与えられた。 食事をしながら、 教育の昨今の動きに関心は集まった。 後輩Aはベテラン高校教員で精力的に仕事をしている。

A 「生徒は競争心全く無し。 怠けることばかり考えています。 石原慎太郎の言うような発想は、 僕は賛成です。」
私 「競争社会の中に晒され、 子どもはどう生きていいか訳が分からなくなっていて、 怠けているように見えるのではないかな。」
A 「いじめ関連での厳罰化は必要ですよ。 いじめがあろうがなかろうが、 よけいな仕事はしたくないという教員もいます。」
私 「教員はいろいろやることがあり、 生徒の話をゆっくり聞ける状況でもないんじゃないのかな。 厳罰化ばかりの方向性は学校現場の緊張をさらに高め、 意欲を奪われている生徒や、 そして教職員をさらに追い込むことになるように思えるなぁ。」

 昔のままの人懐っこい笑顔そのままのA。 彼の口からこぼれる意見はたぶん多数派市民のそれだ。 学校の中に居る人もこの意見かと私はショックを受け、 同時に再会に感謝した。
 2012年11月文部科学省がいじめに関する緊急調査結果を公表した。 大津市の中学生自死事件を受け実施したものだ。 結果を受けた通知で、 いじめ問題への取組の更なる徹底として次の点がまとめられた。 @学校と教育委員会・専門機関との連携Aアンケートによる定期的点検B出席停止規則の整備C学校と警察の連携Dいじめを許さない学校づくり、 など。 通知は 「厳罰化」 に大きく傾いた。 その後、 2013年通常国会でいじめ防止対策基本法を議員立法で成立させたいと新文部大臣は述べている。
 さて、 2010年国連子どもの権利委員会へ提出した政府第三回定期報告書に対し、 日本は勧告を受けている。 (拙著 『子どもの声を社会へ―子どもオンブズの挑戦』 岩波新書、 2012)。


○ 「高度に競争的な学校環境が、 就学年齢にある児童の間で、 いじめ、 精神障害、 不登校、 中途退学、 自殺を助長している可能性があることを懸念する」

○ 「委員会は、 (略) 極端に競争的な環境による悪影響を回避することを目的とし、 学校及び教育制度を見直すことを勧告する。」

 学力向上施策など構造的な課題として 「高度に競争的な学校環境」 を緩めることが求められている。 「高度に競争的な学校環境」 がなぜ生まれるのか。 高度に競争的な社会がそれを要求するからである。 競争的な社会は厳罰化とセットで進展する。 米のゼロトレランス (厳罰化) 政策の失敗に学ばず、 なぜ日本は 「出席停止」 を行うのかと国連ユニセフ上級研究員のヴォーゲ氏はいぶかる。 加害者もSOSを出しているという理解は子どもの人権問題をとらえる世界基準だ。 いじめを受けた子どもの話を聞かせてもらってきた私の6年間の公的子どもの人権オンブズパーソンの経験から 「厳罰化」 に向かう傾向に対して課題整理をしたい。 まず、 子どもの人権オンブズパーソンとは何かについて紹介しよう。
 
2. 川西市子どもの人権オンブズパーソンとは
 日本は国連子どもの権利条約を1994年に批准した。 そこに制定されている 「意見表明権」 (第12条) を確保し 「子どもの最善の利益」 (第3条) を中心に活動する公的第三者が 「子どもの人権オンブズパーソン」 だ。 その年は全国でいじめ自殺が相次いだ。 そこで川西市では全国初の 「子どもの人権オンブズパーソン条例」を制定した。 「子どもの声」 を起点に制度改善もできる全国初のシステムの誕生だった。
 オンブズパーソンの職務は 「個別救済」 と 「制度改善」。 体制はオンブズパーソン3人 (教育、 心理、 法律) と相談員4名、 事務局1名で、 知恵袋として専門員が6名。 「研究協議」 というケース会議は毎週1回午後半日をかけ、 受け付けた相談や申立て、 調査などをオンブズパーソンと相談員全員で話し合い 「課題整理」 をする。 相談の内訳は、 子どもからが5割前後、 保護者4割、 教職員等からが1割だ。 個別救済から見えた市全体の課題について市の機関に対し提言を行うこともある。
 問題解決のため子どもを取り巻く人間関係の変容が必要であり、 オンブズパーソンが子どもに関わりのある大人などに子どもの気持ちを代弁し、 子どもの最善の利益の実現のために、 関係が作り直されていくよう働きかける。
 制度経過10年以上の経験から、 いじめや不登校などで助けを求める子どもは、 「話を聞いてもらいたい」 と強く願っていることが分かった。 話をじっくり聞かせてもらい、 関係に働きかけることで多くの子どもの力が回復し、 生きる望みにつながる。 オンブズパーソンの基本姿勢である子ども本人から話を聞かせてもらうことが非常に機能すると明らかになった。
 オンブズパーソン以上に担任は大きな役割を担う。 小中学校だけでなく高校の担任も相談において活躍している。 しかし表1にあるように、 恐ろしいことに延長線上に自死があるいじめについて、 高校生が誰にも相談しない割合が最も高く2割を超える。
 いじめの社会的理由とは何か。 「休み時間を毎日数え憂鬱になる」 と子ども達は言う。 教室での選択肢は二つ。 ノリに遅れないよう絶えず言葉や態度に全神経を集中し休み時間を 「共に」 過ごすか、 「ひとりで」 集団から外されながら過ごす。 彼らは同調圧力に支配され、 携帯で帰宅後も緊張状態に晒される。 この事態は 「個の能力」 を重視した余裕のない教育制度が招いたともいえる。

3. 学力を叩き込まねばならないのか−「人権としての教育」 の誤算
 2008年横浜でのある教職員研究集会でのことだった。 青年部向け分科会での交流後、 私は参加者のある高校教員から声をかけられた。
  「生徒が卒業し仕事を続けるために、 学校で無理に学力を叩き込むしかないのです。」
人権侵害と揶揄されかねないこの言葉に私は戸惑った。 いわゆる困難校の自分のクラスの生徒がなんとか就職した。 ペットボトルの自動販売機補充の仕事である。 基礎的な学力が備わっていなかったから記録や管理ができず、 仕事が続けられなかったという。 そこで、 卒業までにもっと基礎学力を叩き込んでおいたら良かったのではないかと自らを責めておられた。 その教職員の悩みは、 個人の悩みに帰してはならない。 (拙著 「教育と労働のいけない関係〜学力を叩き込むしかないのか」 『教育と文化』 国民教育文化総合研究所、 第56号、 2009年)
 高度成長期前後より、 保護者の多くが子どもの人間関係より学力を、 と考えるようになった。 評価の発想はその後の教職員を含む市民や社会を分断してきた。 それゆえ教育機会の拡大はむしろ 「競争と序列」 の構造の強化につながった。 戦後教育学に欠けていたのは、 子どもが抱える抑圧、 その社会構造への現実的議論だった。 しかし、 この関心は希薄でその問題意識から組み立てられた議論は多くはなかった。
 国家だけでなく運動の原理からも人権問題の核心は抜け落ちた。 それは 「教育」 こそが人権を実現すると考えられたからだ。 「人権としての教育」 というのは教育業界ではとても好まれたキーワードだった。 その教育は 「学力」 と矮小化され理解されるようになった。
 学校や家庭は、 まずは学力保障を推し進めた結果、 教育は過剰になった。 市民運動は、 労働者や女性などを個別に 「守る」 運動へと囲い込まれ、 多様な差別の問題へと拡散した。 教育権を守る運動よりむしろ 「能力主義そのものを問う」 という深め方が必要だったのに。
 
4. 脱成長の成熟型社会へ
 基本的にどんな子どもでも群れることを欲する。 関係がうまく行かなくなり力を失っても、 どこかの関係にしっかり守られると力を取り戻す。 「エンパワメント」 の意味を聞かれたら私は 「緩めること」 と答える。 パウロ・フレイレが用いた 「エンパワメント」 は人間が本来もつ力の発揮が戻るよう、 それを阻害する要因を軽減し、 公平な社会の実現に価値を置いた考え方だ。
 エンパワメントとは、 励ますというより奪われたパワー回復、 またそのような関係が与えられること。 自己責任論に基づいた 「厳罰化」 とは逆の考え方だ。
  「文明病」 の原因の一つとみなされ慎重に取り扱われていた 「自己責任原則」 が小泉政権の基本方針に取り上げられ、 新自由主義を背景に拡大してきた。 その延長線上に、 いじめをめぐる 「厳罰化」 はある。 人々の意識は置かれた状況と働き方に大きく規定される。 厳罰化や個の能力重視が子どもの人権、 ひいては市民の安心な暮らしにつながることは難しい。 むしろ子どもを取り巻く社会を成熟型へと、 働き方も含めた制度改善が求められる。
 教育はその時代の政治的意味のエッセンスだ。 「成長発達システム」 は原発を許す未熟な社会体制であった。 高度成長より 「低位」 でよいから安定できる成熟型社会への方向転換が求められる。 州政府 (自治体) の効果に影響があるのは社会資本の蓄積とパットナムにより実証されているが、 この社会資本とは地域や社会の信頼関係のこと。 「日本経済を立て直す」 の再定義が必要だ。 成熟型社会をめざすなら、 仕事を分け合うワーキングシェアなども視野に入る。 組合提案のワーキングシェアの制度化で、 雇用が安定し教育や子育てへの不安が小さいオランダなどに学びたい (国民教育文化総合研究所 『2012年度オランダ・ドイツ調査報告書』)。
  「学力を叩き込む」 ことからできるだけ学校を自由にし、 個に還元しない能力論とその子のありようを認める 「存在保障」 という視点から、 指導一辺倒ではない学校や地域をデザインしたい。 教職員は子どもの声をゆったり聞き、 また聞けるよう多忙化を緩める政策や現場の条件整備にチャレンジする大人であってほしい。
 制度をつくる側は社会の成熟とはいったいどういうことかを学び、 教育も働き方も一人ひとりの存在を肯定できうる制度に結ぶ。 制度は誰のための、 何のためのものかという原理を見失わないことが、 子どもだけでなく日本社会を持続可能に導く要であると強調しておきたい。


執筆者プロフィール
 大阪大谷大学教育学部教授。 教育学。 滋賀県いじめ対策研究チーム委員。 前・川西市子どもの人権オンブズパーソン代表。 静岡県社会教育委員。 『子どもの声を社会へ―子どもオンブズの挑戦』 (岩波新書、 2012年)、 国民教育文化総合研究所編 『ふり返り教育理論講座〜論争からみえる日本の教育』 (共著、 アドバンテージサーバー、 2013年) など。