初年次教育に携わって


沖塩 有希子(千葉商科大学 商経学部専任講師)
 


 2011年4月より商科大学に勤め始めた。商学・経済学・経営学のいずれかを研究分野とされる多くの先生方と、圧倒的数を占める男子学生(男女比5:1)という境遇で、教育学を関心領域としている筆者の手探りの新採1年目がそろそろ終わろうとしている。思い起こせば、教育面、とりわけ初年次教育に右往左往した感が強い。そこで、本稿においては、初年次教育の事例として勤務校のそれを取り上げ検討するとともに、自身の実践を振り返る機会とさせていただきたい。
 まず初年次教育の定義と概容を確認しておく。同教育は、「高校(と他大学)からの円滑な移行を図り、学習および人格的な成長に向けて大学での学問的・社会的な諸経験を“成功”させるべく、主に大学新入生を対象に総合的に作られた教育プログラム」とされる。ここでの“成功”とは、「大学進学によって学生が目指している教育上の目標(大学卒業、あるいはそれに続く大学院進学)、また個人的な目標(就職など)の実現に向けて順調に進んでいる」状況を意味するという(濱名篤・川嶋太津夫編著、『初年次教育』、丸善株式会社、2006年)。
 なお、初年次教育は、「導入教育」や「1年次教育」等と同義と認識され用いられる傾向があるが、「『移行』という観点からすれば、高校卒業後直ちに大学に入学してくる学生だけでなく、3年次への編入生にとっても編入先大学の『最初の年』は多くの困難と不安を伴うものであり、新たな大学生活をはじめる『最初の年』という意味で『初年次』の方が適切な表現」との指摘もされる(前掲書)。
 日本における初年次教育プログラムの導入は、1990年代後半から急増した経緯があるゆえに、いまだ歴史は浅いが、現在では96.9%に及ぶ大学が何らかの形態で同教育をカリキュラムに組み込んでいるという。
 初年次教育の内容領域としては、
(1) スタディ・スキル系:レポートの書き方、図書館の利用法、プレゼンテーション等
(2) スチューデント・スキル系:学生生活における時間管理や学習習慣、健康、社会生活等
(3) オリエンテーションやガイダンス: フレッシュマンセミナー、履修案内、大学での学び等
(4) 専門教育への導入:例として、初歩の科学、法学入門、物理学通論、専門の基礎演習等
(5) 教養ゼミや総合演習等、学びへの導入を目的とするもの
(6) 情報リテラシー:コンピューターリテラシー、情報処理等
(7) 自校教育:自大学の歴史や沿革、社会的役割、著名な卒業生の事績等
(8)キャリアデザイン:将来の職業生活や進路選択への動機づけ、自己分析等
があり、(1)・(3)・(6)については9割以上の学部で実施されているという(国立教育政策研究所、「大学における初年次教育に関する調査」、2009年)。
 ところで、ここで1つうかがってみたい。この拙文を読まれているどれほどの方が「初年次教育」を受けた経験をお持ちであろうか?こうたずねる当人には実体験がない。筆者が大学1回生であった当時から20余年の歳月がすでに流れたが、構内の至る所で目にする立て看板やビラ、雑多な連絡事項で埋め尽くされた掲示板、数百人規模の学生を収容可能な大講義室、分厚いシラバスを前に、驚きと心細さを覚えたことが思い出される。見聞きするものの大半が未知との遭遇といった状態で、同級生や先輩の口コミを頼りに、履修科目を選択し、時間割を組み、サークルを決め、レジュメ(らしきもの)をかろうじて形にし臨んだゼミ発表等、いずれもが今もって記憶に留まる。所属していた西洋史基礎演習ゼミの最初の指定図書は、福田歓一、『近代民主主義とその展望』(岩波新書)であったが、私たち世代は入学前に新書の読書習慣すら備わっていないと不安視されての選定であったとは恩師の後日談である。
 おそらく新参の学生たちというのは、古今東西、多かれ少なかれ、大学生活への移行に伴うカルチャーショックをくぐり抜けてきたであろうし、“イマドキの新入生は…”との枕詞で彼らの諸事が嘆かれてきたことだろう。
 ただし昨今にあっては、わが国の大学進学率がトロウ(Martin Trow,アメリカの高等教育研究者)が唱えるところのユニバーサル段階(50%以上)に達するに至り、AO入試に代表される学力試験を課さない入試利用者や不本意入学者の増加等に起因し、新入生の多様化、わけても負の側面である学力低下、学力格差、大学進学に際しての動機・目的意識の欠如、大学での学びに対する興味関心の希薄さ、等々が相当に危ぶまれている。
 そうした情況に呼応し、筆者の勤める大学でも、1997年度入学生以降、「研究基礎」なる初年次教育が実施されている。
 この「研究基礎」の趣旨とは、大学には高校までのようなホームルームが無く、大学生活全般が個人の判断や意思決定に基づいて行われることに戸惑いを感じる学生も少なくないため、春学期開講の「研究基礎A」と秋学期開講の「研究基礎B」が一対で高校と大学の橋渡しを成し、大学入学後の4年間の基礎となることにある(「研究基礎A」シラバス)。
 実施形態は、セメスター制で(2007年度入学生以後採用)、全1年次生をカバーし、30名規模のクラス単位とする。職員(職員サポーター)と学生(SA [Student Assistant] )も各1名支援に加わる。
 「研究基礎A」・「研究基礎B」(以下では「研究基礎A・B」と記述)のシラバスは両科目共通で、授業計画は次の通りであるが、先で引いた初年次教育のうち(4)を除く領域を含んだ構成となっている。


―― 「研究基礎A」 授業計画 ――
第1回 「仲間・教員と出会う」 クラス毎にリクリエーション等を行いながら、友達・教員と交流する。
第2回 「『研究基礎』を知る」 「研究基礎A」の位置づけや年間計画を理解する。
第3回 「大学の授業」 授業の受け方、ノートの取り方を理解する。
第4回 「図書館&キャリア教育センターツアー」 図書館とキャリア支援センターの役割と活用の仕方を理解する。
第5回 「キャリアデザイン1」 OB・OGの話を参考に、大学生活、就職等を考える。
第6回 「ディスカッション1」 グループディスカッションのための準備をする。
第7回 「ディスカッション2」 グループディスカッションを実施する。
第8回 「文章表現の基礎1」 文章の読み方とまとめ方を学ぶ。
第9回 「文章表現の基礎2」 文章の構成、レポートの書き方を学ぶ。
第10回「ディスカッションと文章表現のまとめ1」 テーマを決め、図書館で関連資料を探す。
第11回「ディスカッションと文章表現のまとめ2」 テーマに基づいてレポートを書く。
第12回「ディスカッションと文章表現のまとめ3」 レポートをグループ内で発表する。
第13回 「キャリアデザイン2」 大学生活、就職などを考える。
第14回 「キャリアデザイン3」 コース制と複数専門制など、商経学部の学びのシステム、キャリア教育を理解する。
第15回 「『研究基礎A』のまとめ」 「研究基礎A」を振り返る。

―― 「研究基礎B」 授業計画 ――
第1回 「『研究基礎B』を知る」 「研究基礎B」の位置づけや授業計画を理解する。
第2回 「グループ研究1」 グループ研究の意義、研究の仕方を学ぶ。
第3回 「グループ研究2」 グループを作り、テーマを決め、テーマに関連する資料、データを収集する。
第4回 「グループ研究3」 レポートの書き方、Power Point の利用の仕方等を復習する。
第5回 「グループ研究4」 中間プレゼンテーションの準備。
第6回 「グループ研究5」 中間プレゼンテーション、質疑応答。
第7回 「キャリアデザイン1」 VPI職業興味検査(160の具体的職業に対する興味関心の有無を回答させ、6種類の職業興味領域に対する個人の心理的傾向を5領域について把握しようとする)の実施。
第8回 「キャリアデザイン2」 職業興味検査を受けて興味を持った、産業・業界・業種について調べる。
第9回 「キャリアデザイン3」 業界研究発表。
第10回 「グループ研究6」 中間プレゼンテーションを活かし研究を進める。
第11回 「グループ研究7」 最終プレゼンテーションの準備。
第12回 「グループ研究8」 最終プレゼンテーション、質疑応答。
第13回 「グループ研究9」 前回と同様。
第14回 「キャリアデザイン4」 将来を見据え、コース選択等、CUC(Chiba  University of Commerceの略称)の学びについて考える。
第15回「『研究基礎B』」のまとめ 「研究基礎」全体を振り返り、今後の大学での学びを考える。


 実際の授業展開にあたっては、学内作成のテキストに依拠することになっており、プログラムの標準化への配慮もされている。ただし、担当教員による裁量も認められており、教育内容を画一的に固定化しようとする意図はない。そこで、筆者も、例えば、「研究基礎A」で取り上げる文章の読解指導にアレンジを加え、新聞(記事)の読み方とそれを踏まえて新聞を活用した個人発表等を試みた。
 以上で言及した「研究基礎A・B」のカリキュラムを集約するなら、「高校と大学の橋渡し」として、「大学入学後の4年間の基礎」的な位置づけにあって、スタディ・スキルとキャリアデザインを主軸とした構成内容と整理できよう。
 次に「研究基礎A・B」の有効性と課題であるが、有効性としては、1年生全てを対象としてクラスに所属させ、正課の扱いで1年の期間をかけ、教員−学生−学生同士が面識を得た中で授業を進めることにより、ネットワークの効率的な構築がまずは期待できる。また、スタディ・スキルとキャリアデザインをコアとした初年次教育を徹底することによって、大学での学習やキャリア形成における素地を確立した上で、2年次へとつなげることも可能となる。加えて、教務オフィスの職員による履修手続きの教示であるとか、SAの体験に基づいたアドバイス等のサポートが得られることで、教員とは別の視点から学生へ一層の目配りと働きかけも促せる。その他に、研究基礎に絡むFD(Faculty Development, 教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的取組の総称)会議が開催され、実践報告を傾聴することで、情報の交換、共有化、合意形成がなされるだけでなく、各教員が自己の指導のあり方を省察し、今後の指導の手がかりや指針を見出す契機ももたらされる。
 課題としては、一斉指導の際に必然的に付随する問題ではあるが、性質、学力、学校歴(商業科、普通科、総合学科等)を異にする学生に、一定水準の共通の知識、能力、資質を確保すべくいかに対処していくのか、要するに学生の多様性に拍車がかかる状況下で質保証を図っていかねばならない難問がある。さらには、大学がユニバーサル化している近年、確たる目的意識も持たずに入学してくる層に向け、大学やそこでの種々の活動への関心意欲を喚起していくための措置も看過できない。仮に大学側が手厚い教学条件を整えたところで、これを活かすか否かは結局本人次第といえる。心構えといった学生の内面に踏み込むことへの妥当性やそのコミットの度合いをめぐる検討の余地はあるにしろ、学生の意識の変容をねらったスチューデント・スキルの育成というのは鍵になりそうである。
 (既述のように、)筆者が学び舎とした大学とは、自分で働きかけなければ何物も得られないところであり、法に抵触するような次元でない限りは何をするのも(しないのも)学生個々に委ねられる、まさしく自己責任が貫かれた場所であった。それを自由が横溢する場と表現することもできるかもしれない。自らがその自由を享受できていたかは措くとしても、これが筆者の経験則に根ざした大学に抱くイメージである。
 もっとも、かつてと比べ大学を取り巻く情勢が様変わりしていること、その只中で自分の環境を持て余している学生を眼前にして、上記のイメージを転換しなければならないことは理解しているつもりである。また、学生の当初のモチベーションがいかなるものであろうと、大学に入学してきたからには、彼らが大学に意義を認め、これを最大限に活用し様々な事柄を学び取って欲しいと願うし、そのためにはこちらから手を差し伸べる姿勢に努めるべきとも思う。
 しかし一方で、自由闊達さの担保に留意していく必要性もやはりあるだろう。学生各人が思い思いに大学生活を謳歌できるよう、彼らが求めぬ限りは極力介入が控えられるよう、彼らの精神的・知的自立を最たる目標に据え、これを実現すべく、初期の段階で集中的に彼らに関与する、との視座から鑑みても、初年次教育が果たし得る可能性と役割は少なくないものと、同教育に携わって実感している。



執筆者プロフィール
 千葉商科大学 商経学部 専任講師 神奈川県高等学校教育会館 教育研究所 所員
教育学、特に日本の教師教育(教員養成)およびイギリス近代女子教育史分野に関心を持つ。
主著は、『教育人間科学の探求』(共著、学文社、2011年)、「〈大学における教員養成〉の在り方に関する一考察 」(『季刊教育法』第163号、2009年)、「イギリス19世紀後半から20世紀初頭における女性の高等教育の状況」、(『日英教育研究フォーラム』第9号、2005年)等。