■シンポジスト
「改革を担当して」 山本 正人 (前教育長)
「現場から」 南 重行 (鶴見総合高校)
「研究所のまとめに当たって」 永田 裕之 (教育研究所特別研究員)
■コーディネーター 藤原 晃 (教育研究所)
■日時 2010年11月20日 (土) 14 時〜17時
■会場 藤沢産業センター (藤沢駅徒歩3分)
8F情報ラウンジ 電話 0466 (21) 3811
○問い合わせ○
高校教育会館 教育研究所 TEL 045 (231) 2546
主催 (財) 高校教育会館 教育研究所
共催 神奈川県教育文化研究所
2010年7月、 教育庁庁内プロジェクトチーム 「今後の高校教育のあり方検討プロジェクト会議」
は、 「県立高校改革推進計画 10年間の成果と課題」 をまとめた。 副題は 「これからの県立高等学校のあり方を考えるために」
とされ、 「はじめに」 では、 「今後、 この検証を踏まえ、 これからの県立高校のありかたや、
その姿を実現していく上で必要となる対応を検討し、 不断の高校改革に取り組むこととしたい。」
と述べている。
過去の10年をどう総括するかは、 今後の10年、 いやそれ以上のスパンに渡って影響を与えるであろう。 特に新たな学科や単位制をどう活用していくかは、 大きな鍵になると思われる。
前教育長の山本さんのお話や現場からの報告、 教育研究所からの問題提起を付き合わせ、 私たちなりの検証を行っていきたい。
「百校計画」 の意義と問題点
「百校計画」 は1973年に始まり、 1988年に完了した県立高校新設計画である。 この計画には次のような意義と問題点があった。 ・増加する中学卒業生の殆どを公立高校で引き受けた。
- 90%を超える高校進学率を支えた。
- 百校の新設高校のうち99校は普通科であった。
- 1学年12クラスの大規模校を中心としていた。
この計画には 「理念なき増設計画」 という批判がたびたび行われたが、 先ず第一に急増する中学卒業生の進学先を不充分ながら保障し、
第二に、1960年代初期に定時制を中心に問題となっていた中退者を減少させたことは評価すべきであろう。
しかし、 一方で大きな問題を生み出した。 課題集中校の問題である。 公立高校の収容率の増加は、 これまで公立高校、 特に普通科が経験することのなかった 「学力」 の低い生徒たちを引き受けることとなった。 その結果、 1970年代後半から、 全日制を中心に中退者は増加を始めた。 課題集中校では、 授業が成り立たない、 進路が決まらない、 生徒指導案件が多い、 等の問題が噴出し、 中退者が増加したためである。
1990年代は、 こうした百校計画の成果と問題点をかかえて出発した。
改革の必要はあったのか 1990年代を振り返る
1990年代、 社会構造は大きく変化した。 1990年に単独世帯が急増し、 その後も増え続けた。 離婚率は1990年から上昇を続けた。 携帯電話やコンピュータの端末は急速に普及した。 1991年にバブルがはじけると、 のちに 「失われた10年」 と呼ばれる長い不況期が続いた。
このような中、 1999年に決定された改革推進計画 (以下 「推進計画」 と表記) は冒頭で 「社会の変化への対応」 を掲げ、 次のように述べている。
国際化や情報化の進展、 少子・高齢化の進行、 産業・就業構造の変化、 ライフスタイル・価値観の多様化など、 社会の変化は急速に進んでいます。
県立高校においても、 こうした変化に応じて、 新たな教育内容や弾力的なシステムを取り入れるなど、 創意工夫を生かした特色ある教育の展開が求められています。
このうち 「産業・就業構造の変化」 は、 世界規模の経済変動の中で政策的に進められたものだが、 少子高齢化の進展や価値観の多様化などは戦後社会の中で徐々につくられてきたものでもある。 いずれにせよ、 こうした変化は学校を直撃する。 こうした社会の変化を、 高校教員は生徒とともに、 もろにかぶる立場にいる。
社会構造の変化をどうとらえ、 どう対応していくのかは、 1990年代冒頭の課題であった。 百校計画が達成しようとした公教育の拡充と、 教育実践の工夫だけでこの課題をクリアできたのだろうか。
私たちは、 神奈川県の高等学校という現場から社会の変化を見て、 改革の必要があったのかを考えたい。
討論の手掛かりになるテーマとして 「多様化」 と 「キャリア教育」 について検討したい。
多様な選択肢の提供
「推進計画」 は、 社会構造の変化から多様な選択肢を提供する必要があるとして、 次のように述べている。
県立高校で学ぶ生徒の学習希望や進路希望の多様化は、 一層進んでいます。 大学等への進学希望が年々上昇する一方で、 高校生活に意義を見いだすことができず、 中途退学する生徒が増えている状況もあります。
こうした生徒の多様な現状に対応するとともに、 生徒や保護者の幅広いニーズに応えるため、 県立高校の多様化や特色づくり、 さらには柔軟な体制づくりを進める必要があります。
「百校計画」 で生まれた普通科高校では、 選択肢といっても限りがあった。 それに対して 「推進計画」 はより幅のある選択肢を提供する必要があるとしている。 また、 高教組は、 「子どもたちの意欲、 志向の多様性に対応できる授業を」 として 「多様な選択科目の設置」 を提唱している (高教組 「高校改革プログラム」 1999年、 以下 「改革プログラム」 と表記)。 生徒の 「意欲、 志向の多様性」 はどうとらえられたのか、 また、 普通科という枠を超えた (つまり専門科目、 学校設定教科・科目を含めた) 多様な科目は必要なかったのだろうか。 大幅な選択制を実施すれば、 教育課程の運用は単位制に近づく。 単位制はどう考えるべきなのだろうか。 さらに 「改革プログラム」 は、 「学校や集団が苦手でも学べる学校を」 を指針として、 「個人の尊重と選択肢の充実」 を謳っている。 「個の重視」 をどう考えるべきなのだろうか。
また、 「多様な選択肢」 は、 縦の多様化、 すなわち高校間格差にならないのだろうか。 この問題について教育委員会は、 高校に進学する生徒が点数で輪切りされている状態をあらため、 いわゆる学力ではなく、 子どもたちの多様な力をはかるために多くの選択肢を用意しようとした、 と説明している (「多様な選択機会と質の高い教育サービスを提供するしくみづくり研究会」 第5回会議録2008年)。 「推進計画」 のなかで、 この考え方は実現したのだろうか。
「キャリア教育」 と 「進路指導」
1990年代を通じて、 「学校から社会」 への移行は様変わりした。 就職で言えば、 学校は公共職業安定所との協力の下、 堅実な企業を紹介して推薦し、 企業は推薦された生徒を優先的に採用する、 というシステムはほぼ崩壊した。 このシステムは高度経済成長期に見合ったシステムとして学校、 企業から重宝がられてきたが、 「産業・就業構造の変化」 とともに崩壊したのである。 この崩壊によって従来の 「進路指導」 は見直しを迫られる。 1980年代まで続いた 「学校から社会」 への移行システムは日本に特殊な形態であり、 学校教育が本来持っているはずの 「職業的意義」 を損なう 「奇妙」 なやり方であるという批判がある (本田由紀など)。 いずれにせよ、 1990年代、 従来の 「進路指導」 は見直しを迫られた。
キャリア教育の目的を 「子どもたちを自らの進路の主人公に育てること」 (児美川孝一郎) と定義するならば、 従来、 ともすれば卒業後の進路先の開拓になりがちだった進路指導の改革になりうる。 「キャリア教育」 を進路指導の改革の一つとしてとらえ、 学校の実情にあわせて作り替えていくべきなのか、 検討する必要があろう。
改革の中で次から次へと提起された各分野、 観点別評価、 総合的な学習、 課題解決学習などには、 いずれも同じような問題がある。 各分野は時代の変化を強く感じる現場が、 生徒の実態に応じたさまざまな試みを行うフィールドと考えることはできないだろうか。
担当 永田 裕之
資料作成 大島 真夫
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