敗戦と連合国による占領教育政策を体験したわが国とドイツであるが、旧西ドイツでは、わが国のように単線型の教育制度に移行することなく、従来の複線型の教育制度がそのまま残った。一方旧東ドイツでは、マルクス・レーニン主義にもとづく統一学校制度が構築された。東西ドイツの統一は、東ドイツの西ドイツヘの「編入」という形で行われため、教育の面でも旧西ドイツの制度に大きな変化はなく、旧東ドイツが、西のそれをモデルとして教育制度の再編が行われた。本稿では、ドイツと日本の大学入学制度を比較してみることにしたい。
大学入試ではなく資格試験の制度
ドイツの大学入学制度のもっとも大きな特色のひとつとして、ドイツではわが国のように個々の大学ごとに行われる入学試験制度は基本的にはないという点をあげることができる。アビトゥーア試験と呼ばれるギムナジウムの卒業試験に合格することにより、原則としてどの大学、どの学部にも入学することができるシステムが採用されている。ただしこの原則が例外なく適用されたのは古き良き時代の話で、ドイツでも大学教育の大衆化が進んだ1970年代に入り従来のこうした原則は修正されなければならなくなった。たとえば1950年代初頭は同年齢層の5%に満たなかった大学入学資格取得者の割合が、1997年には35%を越えるにいたっている。その結果、医学部などいくつかの専攻分野では、志願者すべてを収容できない、いわゆる「入学制限」という事態が生じており、1973年から「中央学籍配分機関」(ZVS)という名称の公的機関がノルトライン・ヴェストファーレン州のドルトムント市に設置され、ドイツ全体を一括して、入学者を決定する仕組みがとられている。学期によって変わるが、入学制限が行われている専攻としては、医学、生物学、歯学、心理学、獣医学、建築学、薬学、経営学などがあげられる。
このように定員に余裕がある限り、アビトゥーア試験に合格してさえいれば、希望する大学・学部に例外なく入学を許可される。しかし志願者が定員を上回る場合は、アビトゥーア試験の成績と待機期間(アビトゥーア試験合格後経過した期間で、これが長いほど入学可能性が高くなる)などを基準として入学者が決定されるというのが、ごく大まかに捉えたドイツの大学入学制度である。
試験はギムナジウムが実施
ドイツの大学入学制度に見られる特色を、箇条書にしてみると次のようになろう。
- アビトゥーア試験の総点は840点(280点以上が合格点)であるが、そのうち600点は在学時の成績である。240点分について、ギムナジウムの卒業時に4科目で試験が行われる。このように単に1回きりの試験のみによるのでなく、在学時の成績が十分加味された評価方法がとられている。
- 出題は、いわゆるマルチプルチョイス方式によらず、いずれも長時間にわたって相当高度の思考力を必要とする論文試験の形式がとられており、いかに筋道の通った論理構成ができるかが検査される。
試験の採点にあたっても、結論はひとつとは限らない。たとえそれが一般常識からはずれた極端な内容であっても、そこで展開されている論理が採点者をして納得させるものであれば、しかるべき点数を与えられるとされている。
- 卒業時行われる試験科目4科目のうち3科目は筆記試験であるが、残りの1科目は口述による試験となっており、試験官の前で自分の意見を説得力をもって発表する能力が試される。
- アビトゥーア試験は、わが国の大学入試センター試験のように全ドイツいっせいに実施される共通試験ではない。各州ごとに行われる試験である。しかも多くの州では、州文部省の監督のもとで、各ギムナジウム単位で実施される(したがって問題もそれぞれのギムナジウムによって異なる)。
- 出題者も原則としてギムナジウムの教員である。大学教員は原則としてアビトゥーア試験問題作成に関与しない。
- このように、州によって、さらにはそれぞれのギムナジウムごとにアビトゥーア試験に出題される問題は異なる。しかも問題はいずれも論文形式のものである。
しかし、試験合格者に付与される大学入学資格は全ドイツに共通である。
- アビトゥーア試験で試されるのは、まわりと比較して点数が高いか、低いかではない。すなわち相対評価でなく、受験生が大学で学習する能力を有しているか否かを検査する絶対評価である。合格定員があらかじめ決められているわけではないので、「落とす」ために行う試験ではない。
- 入学者の選抜が行われる場合でも、たとえば待機期間という枠を設け、アビトゥーア試験に合格した者であれば一定期間「待機」することによって、最終的には希望する大学・学部に入学できる。またその間における社会奉仕活動等にも一定の評価が与えられるなど、いろいろな「枠」を作っている。そこには、いかにして「入れる」かという配慮が感じられる。
- いったん取得された大学入学資格は終身有効である。したがってアビトゥーア試験に合格したからといって、必ずしもただちに大学に進学する必要はない。むしろすぐに入学しない者の割合の方が高くなっている。「入学制限」分野でないかぎり、「登録する」だけで、いつでも大学に受け入れられるシステムになっているので、男子の場合、兵役義務を終えてからとか、女子の場合では、子育てが一段落してからとか、あるいはいったん企業に就職してから、といった具合にさまざまな経験を積んで入学するケースが珍しくない。
「資格」を取得することが大学「卒業」
以上、ドイツの大学入学制度の特色を列挙してみたが、わが国と比較して気づく点をまとめてみよう。
まず根本的に異なっているのは、ドイツでは資格試験の制度が採用されているという点である。わが国の場合、大学入試に合格した年に大学に入学しないと、入学する権利は消滅してしまうが、ドイツでは、基本的にはいつでも好きなときに大学に入学できる。
次にドイツでは、ほとんどすべての職種に国家試験があり、これに合格し、ある資格なりディプロームなどを取得し、大学を「退学」することが「卒業」を意味している。したがって大学に入学しても、そのあと行われる国家試験に合格しないと、何の評価にもつながらない。単にハイデルベルク大学で学んだとか、ミュンヘン大学に在籍したというだけでは、極端に言えば、何の意味もそこにはまだ存在しない。そこでどう学び、どのような「付加価値」を身に付けたかが重要な問題となる。
わが国のように、受験生が同じ時間に、いっせいに同じ問題で試験を受けて、1点を争うというシステムでは、入学者の選抜にあたり、1点の違いに、試験を受ける者もまた採点をする側も神経をピリピリさせる。この点ドイツでは、わが国と比較するとずっとファジーというか、フレキシビリティーをもっているように思われる。わが国では、大学の入り口、つまり大学入試にほとんど全エネルギーがついやされ、大学での学習のほうは、とかく疎かにされがちである。就職にあたっても、大学で実質的に何を学んだかという達成度よりも、大学の名前(ブランド)のほうに重きが置かれる。企業の側は、学生の専門性をあまり重視しようとしない。専門は企業に就職してから教育すればよい。それよりも協調性や企業に対する従順性などに重きを置くといった傾向が見られる。
わが国と比較して、出口の目標がはっきりしているという点もドイツの特色である。
どんな学位をめざすのか、どんな資格を取得するのか、目的志向がはっきりしている。
教員も学生も、それに向かって全神経を集中しないと落ちこぼれてしまう。そういうシステムが確立しているように思われる。
小学校からある「落第」の制度
またドイツでは義務教育の段階から留年の制度が採用されている。基礎学校(小学校)を終わった時点で、生徒は、@大学進学をめざすコース、Aマイスターをめざすコース、B両者の中間のコース、というように大きく3つのコースに振り分けられる。
ドイツの基礎学校は4年間であるので、いわば10歳の段階で大きく進路が分けられてしまう。その決定にあたっては、学校の成績だけでなく、本人や親の希望が重視される。学校の成績は悪くても、どうしてもギムナジウムに進学したいという者は、わが国の高校入試のような入学試験が行われるわけではないので、いわば仮入学のような形でギムナジウムに進学することも可能である。しかし学年末の評定で一定のレベルに達していないと判定されると「落第」しなければならない。したがってたとえギムナジウムに入学しても、ついて行けない場合は必然的に留年となる。しかも通常2回続けて留年できない規則になっているので、そうした生徒は別の学校種類へと転学して行かなければならない。あわせてドイツでは、アビトゥーア試験を受けるまで、ずっと留年なしで来ても13年間を要する。この間毎年進級試験をくぐりぬけてきており、アビトゥーア試験の受験者は、平均してすでに相当高い学力水準に達しているということができる。その上で、さらにアビトゥーア試験という関門を突破している。
ドイツでも大学の大衆化が問題にされている。たしかに学生数は、ドイツでも急増したが、ドイツの場合アビトゥーア試験合格者は、言ってみれば国家によって大学生となるに値する者であるという、いわば「お墨付き」をもらっている学生たちである。その意味では、大衆化といっても、ある一定の最低限の学力レベルは維持されていると考えることができるのであろう。
いちがいに断定はできないが、大学入学制度をいかに機能的で実質的なものとするかについての当事者たちの問題意識は、わが国のそれよりも強いということができるのではあるまいか。
木戸 裕氏プロフィール
|
木戸裕氏は国立国会図書館に勤務されていて、ドイツ教育の専門家である。青山学院大学大学院非常勤講師(比較教育学)などを歴任。1989年には在外研究員としてドイツ国際教育研究所(フランクフルト)に滞在された。
著書(共著)に『ドイツ統一と教育の再編』(成文堂,1993年)、『ドイツの教育』(東信堂,1998年)。訳書(共訳)にクリヌトフ・フユール著『ドイツの学校と大学』(玉川大学出版部,1996年)などがある。 |
|
|