制度の壁、心の壁、ことば(文化)の壁

北村真佐子(インターピープル・ふちのべ、NGOかながわ国際協力会議委員)

 

 「一つ越えたと思ったらもっと大きな壁が私の目の前にあるの。疲れちゃう」。
 高校3年、カンボジアのDさんの言葉がずっしりと重い。8月、高校生最後の夏休みを就職活動に駆け回り、2学期を迎えようとしたDさんの姿は、「外国籍子供学習教室」の一こまである。Dさんは、小学校3年でタイのキャンプから親子で来日。大和定住センター、藤沢、相模原と親と共にまさに移動する子どもたちの一人である。
 現在、淵野辺学習教室には約50名の子供が、週3回、自転車であるいはバス、親に送ってもらうなど市内の様々なところから一時間くらいかけてきている。その中には不登校であったり、外国籍の子供の友人として、あるいは溜まり場として、日本人中学生・高校生が11人、共に学んだり、集っている。
 教室設置のきっかけは、92年ごろ労働者として来日していた親が、日本での公教育を受けさせたい、共に暮らしたいという希望があったこと、また大人の日本語教室で学ぶ児童・生徒がいたことなどからであった。外国籍の子供たちの、居場所や日本語・教科学習を目的として、大学生を中心としたボランティアによって運営されている教室である。現職教員2名の参加もあり、情報交換と協力が穏やかな形で行われている。しかし担える地域と範囲は狭く、更にボランティア不足で子どもたちのニーズに十分応えられていないという現実もあり、教科学習を始め、進路相談、子どもたちの心のケア―など最も重要な事への対応ができないことなど課題山積の状態にある。
 本来学校教育の手で解決されるべき課題ではあるが、現実激には必要とされる存在であり、親にも言えない問題が有れば友達同士で、あるいは大学生や私たちが聞き手となり、彼らが課題を語り、道筋をつけるその手助けを少しデモできたらと考えている。そのような教室活動から見える外国籍の子供たちの実態と彼等にとっての高校教育とは何かを考えてみたい。
 

外国籍の親達の願いは

 2000年に県が実施した在住外国籍住民実態調査により教育に関する分野についての次のような結果が得られた。(『外国籍県民生活実態調査(アンケート調査)調査結果の概要』かながわ自治体の国際政策研究会調査報告書より)

  1. 子供の教育に望むこと(選択3つまで)
     人権教育・国際理解教育の推進 48.5%
     学校のいじめの解消 38.0%
     母国語の学習 26.1%
     外国人学校との交流 19.0%
  2. 教育についての心配事(選択しいくつでも)
     学費 22.0%
     帰国後の教育 18.3%
     いじめ 17.8%
     就職差別 17.4%
     言葉や文化面での親子の溝 16.5%
     進学 14.6%
  3. 公立高校進学での必要事項
     志望校情報 27.9%
     学習教室・塾情報 14.6%
     外国籍生徒の受験特別枠 14.4%
     外国語による入試情報 14.0%

 子どもの教育に望むこと、心配事の項目については「第一期外国籍県民かながわ会議」でも、教育分野について同様の意見が出されている。特に母語保障についての支援を県に対して要請しており、この調査の心配事の項目で「言葉や文化面での親子の溝」・「帰国後の教育」について危惧感を抱いている結果と重なっている。
 言葉や文化はアイデンティティに関わる重要な課題であり、日本分化に埋没し生活する子ども達と親とのギャップは、これまで在日韓国・朝鮮国籍のオールドカマーの歩んできた道が、急速な足取りで進行している実態を示している。外国籍の子供の教育内容についての整備が必要であることは、当事者は勿論、関係者を含め諸調査により既に明らかにされている。しかし、日本語教育のみに注目され、彼らの全人格的な成長へのサポート体制は不備であり、この課題への真剣な取り組みが必要である。
 95年に相模原市在住の日系ペルーの親たちが中心となり母文化・母語教室の運営を試みたが、時間的・金銭的制約から継続できなかった事、それ以前にもカンボジア語教室の試みもあったが、帯日時間の長いカンボジアの子ども達にとって母語が全くの異文化となり、親たちが継続をあきらめた経緯もある。いずれ外国籍の子ども達にとっても親の老後へのサポートは多きな課題となるであろうが、その際にも文化・言葉の面での親子の溝は大きな問題となりはしないか。
 神奈川顕在無い自治体では、オーバーステイの子ども達の受入れが可能となってきているところが多い。しかし窓口対応では外国人登録カードの提示を求めたり、新入学児童・生徒に対して日本人と同様の就学通知制度が適用されないなど、手続き上の差別があり、改正が必要である。行政は外国籍父母に対して義務教育の範囲外であっても、外国籍児童・生徒について積極的就学を周知する必要があろう。また異文化になじめなかったり、日本語能力の不足から学力的についていけずに、不登校になってドロップアウトしてしまう外国籍の子どもに対応するために多言語による相談体制なども必要である。外国籍の親達の希望でもある「人権教育」は日本人のみでなく、外国籍の子ども達への自立を促すという双方向の視点で展開する必要を強く感じている。
 

日本語教育と母語教育

 高校在学中の子どもに対して「国語が赤点だから留年です」「日本語べらべら喋るのに何でこれが判らないの」等の教師側にとっての疑問は、子どもにとって難問。日常会話と異なり、学習言語獲得の困難さに気づかない教師の言葉に、子供達は傷ついて立ち上がれず、学校放棄に走ってしまう。高校で取出しを行い、また生徒の日本語力ハンディに対する教師側の理解が進み、留年はしたが、今春卒業する生徒がいる。信頼できる教師との出会いと本人の努力の結果であるが、このようにやっとの思いで到達した高校生活、自立への道筋に沿った教育が展開されることを期待したい。
 2000年度5月の県教育委員介在籍調査統計によると、高校課程外国生徒数は99年度比で6.6%増の674名である。この調査の不備については触れるまでもないが、国籍の問題ついて調査する事はプライバシーの問題に抵触するという考え方もあり、国際結婚も含めた本格的な調査が必要である。在籍調査が単なるデータでなく、先生方が子どもたち一人一人の実態を把握し、信頼関係を築くための良いチャンスとも考えられる。
 文部省海外子女教育課による「99年度日本語指導が必要な外国籍児童生徒の受入れ情況に関する調査」によると、日本語指導の必要案児童・生徒数が全国的に増加傾向であり、特に高校では前回比95.4%増と報告されている。この傾向は学習教室の実態からも同様であり、今後とも高校への進学率が増加することに伴い高校に関する情報提供とともに、受入れ側である高校サイドでの改善は急を要している。
 学力保障のための日本語力と同時に一方的には母語保障がある。特に高校の段階で自我に目覚める年齢とも相俟って、学校で個人の意志に基づき、知的母語学習ができることは、アイデンティティの確立と事故回復・識字という観点からぜひ実現して欲しい事である。総合的な学習の時間の導入が近いが、ぜひ多文化の視点から英語のみでなく多言語を取り入れ、日本人を含め21世紀を担う人的資源に対して、プラスのエンパワメントできる内容を行って欲しい。
 

子どもたちの未来〜高校に行ってもいいですか

 12月の声を聞くと中学3年の子どもたちが元気になったり、落ち込んだり忙しい。三者面談が終わり、針路決定の時期でもあるから。教室では日本人を含め15名の受験生がおり、毎週月、火、水曜日の6時30分から三々五々集まり学習している。遠方では自転車で1時間かかる。どっぷりと日が落ちた夜、寒風をついてやってくる。
 カンボジア、ラオス、中国、ペルー、ベトナムなど多様な国の子どもたちが楽しそうに語り合う光景はなんとも楽しいものである。中学校から直行してくる子もいる。「ただいま」という声をかけて教室に入ってくる。夜間中学か定時制のようである。
 神奈川県高校受験における外国籍受入れ枠は入国3年以内20名(総合・ひばりヶ丘)のみである。教室にきている子どもたちの日本語力では選択肢が非常に狭く、ほとんど課題集中校を受験せざるをえないのが実態である。中学の進路指導には限界があり、外国籍の進路決定に関して地域での中高一貫校的な高校・中学の連携があれば道は開けると考えているが、どうだろうか。学習教室の中学3年次の進路情況をまとめてみた。
 

年度別進路状況(括弧内は中途退学者数)

年度

3年総数 進学希望者数 定時制 全日制 就職
94    
95    
96 1(1) 7(2)  
97 1(1)
98 11 10 4(2) 6(1)
99 12 10
00《予定》 16 15    

 
 中途退学者の主な理由は学業不振が主たる理由であるが、その背景には多様な問題が存在している。高校3年2学期で退学したケースは、夏休み後、学習意欲をなくし単位取得が困難になった。家庭的にも外面上は問題ないよう見えたが、インドシナ3カ国に見られる傾向として、本国からの家族呼寄せによる家庭内の課題も影響している。そして学校で相談体制がなかったことなどによる対応のまずさも大きな原因で、彼女自身が高校に在籍する理由をどこにも見出せず、担任に相談もなく退学してしまった。
 「僕はこの学校に必要ですか」という問いに、明確な返答が得られず、入学6ヶ月で退学してしまったM君。日本では未来を託せないと両親は彼をスペインに留学させた。
「ごめんなさい。黙って止めてしまって」電話口で消えるような越えて応えるRさん。外国籍母子家庭であることを担任も十分知りながら私立高校に送り込まれてしまった。2ヶ月後に金銭的理由から転校を余儀なくされ、2学期から県立高校に転校、しかし新しい環境になじめず2学期末退学。先生や友達・親との深い心の壁。
 就職差別の実態の子どもたちの成長と共に、そのケースが増加してきている。将来の子どもの事を考えて帰化する親が多くなっている事実もある。一方、子どもたちも差別情況の実体を実感する中、通名を使用するニューカマーの高校生の出現は、関わる私たちにとって大きな痛みでもある。高校進学と同時に通名通名届けを行い、新しい仲間に自分が日本人であることを認知させる手段として、またアルバイト先で外国籍とわからないように、との思いからであった。「生活手段と学校文化の中で自己を埋没させて生きていくための方法として選んだ」と本人も言っている。
 ベトナムの女生徒が高校で国際経済を学び就職したが、入社に際して説明された内容と異なり、専門性を生かした職場に配置されない上に、日本人と賃金格差もあるという相談を受けた。このケースについては労働基準監督所を通して本人が改善要求を行った。在学中に本人が希望していたのは看護婦か保母であったが、高校での進路指導の際、適切な情報提供がなかった事、また弟の進学とも重なリ、就職ということとなった。しかし昨今の就職困難な状況から、本人の希望ではない職場だったが強力に決定するように教師より指導があったと聞いている。結果、親と同様の職場に送り込まれた。「親に私のこの手は見せられない」と油で汚れた手を見つめて言った彼女に返す言葉もない。
 一般的に外国籍の高校生には狭い選択肢しか用意されない現状がある、高校進学はしたが、将来へのモデルが少なく、自己の未来像を描ききれない彼ら・彼女らのために進路に関する事例集やプログラムが必要だと強く感じている。
 高校は出たけれど…という結果になりかねない状況改善のためには学力保障、具体的な進路指導(情報提供)、就職差別への取り組み、人権教育が重要であり、「私たちには生きる権利がある」「差別は人権侵害である」ということを十分に理解し、拒否すること、声を上げるための当事者への教育が必要である。
 県立高校の再編が進行しているが、大きく期待していることはシステムではなくその内容であることは言うまでもない。本当にどこへ行くのかは、先生方の手にある。言葉として横文字多用で新しく見せたが、いざ蓋を開けたら旧態依然ということはないことを期待している。不信、不平、不満だけが蔓延する職員室は子どもたちに魅力的な先生を生み出さない、生み出せない。全てを期待することは無理であろうが、子供たちの未来は学校に託されている。その事実の重さを感じて欲しい。日本社会を反映し、均質的な窒息状態にある学校から、多様な価値観を保障し、多様な生徒がそれぞれの可能性を最大限に発揮できる、そのような学校のあり方に大いに期待している。
 昨年3月にオーストラリアを訪問した。「多文化主義」を最も重要な政策課題として位置づけ、文化的背景の違いにもかかわらず、全ての住民に等しく社会参加機会保障のための様々な教育政策・人権教育を展開している。例えば公立学校での第二言語としての英語教育(English as a second language)やハイスクール学齢者(日本の中学・高校に相当)に対しては「集中英語センター」で集中的な英語教育を受けることができ、一方では行政職員や教員に対する多文化対応研修、児童保育施設での「違いがあるのは当然」という感覚を養い、偏見を育てないことを目的とする「反偏見カリキュラム」や家庭言語支援政策(英語を習得する上で、課程言語能力を十分に備えているほうが英語能力も円滑に発達するという認識に基づく)があり、バイリンガル職員の採用がなされている。図書館での多文化サービスも重要な政策の一つである。
 昨今「教育基本法の改正」が論議されているが、第一期NGOかながわ国際協力会議は教育全般に関わる改善・方針転換を外国籍県民会議との協働で県知事に対し提案を行った。これまでの「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)にかかわる教育の基本方針」を外国籍県民の多様化に伴い、「子どもの権利条約」や「人権」「多文化教育」という観点で改定を提言している。その中で多文化教育について次のように定義している。
  「多文化教育……一人一人の違いを認め、多様な人々がお互いにその固有の文化、言語、生活習慣、歴史などに対する理解を深めることにより、その相違に起因する差別や偏見をなくし、それぞれのアイデンティティを尊重する態度を養うとともに、全ての人々に対し教育の機会均等を実現させることを目指す教育」
 この提言は全ての人々の学習権の保障、すべての社会的弱者(マイノリティ)に対する歴史的経緯と文化の尊重、全ての人々の人権意識や差別・偏見への批判的精神を養うことを目的とし、これまでの方針について成果・実態等の観点から評価して21世紀の神奈川に相応しい教育の教育の方針が早急に策定されることを強く望んでいる。
 「多文化社会」は既に神奈川県で進行しつつある。あなたの目の前の外国籍を含めた子どもたちに寄り添った、それぞれの可能性を最大限に生かされる教育を期待している。「この学校には私は必要な存在ですか」という問に「是非必要だ」と力強く応えてやって欲しい。
 
 

後記
「多文化教育」は、これからの教育の在り方を示している。個人が持つ「文化の多様性」を尊重することのない「高校改革」などあり得ない。この方向でのみ、現在の社会状況を変革する底流ができるともいえよう。