第9回 教育研究所 シンポジウム2000
 17歳〜高校生の生活実態と学校

 
「少年法改正」や「道徳教育強化」を叫ぶ声が聞こえます。それに対して、若者の人間性を尊重する社会の必要性も主張されます。この「17歳」年齢にまつわることを、性格かつ冷静に考えたいものです。シンポジウムでは、高校2年生への「生活実態調査」を踏まえ、高校生の生活や思い、それに見合う新たな高校像を考えたいと思います。どなたでも参加できます。
 
日時 2000年11月4日(土)13:00受付 14:00開会
会場 神奈川労働プラザ(Lプラザ) 3F 多目的ホール
シンポジスト 小畠由紀子(県立高校スクールカウンセラー)
刈谷剛彦(東京大学教授、教育社会学)
県立柿生西高校教諭)
コーディネーター 本間正吾(県立田奈高校教諭 教育研究所所員)
共催 神奈川県文化研究所
後援 神奈川県教育委員会
(財)横浜市教育文化研究所
神奈川の教育を推進する県民会議
 

シンポジストからの発信


高校生自身が抱える「大変さ」

  •  神奈川県で、公立高校の教員として、三つの高校を経験してきた。その間に、高校生を取り巻く社会の状況は変化し、高校生の姿も大きく変わってきた。携帯をところかまわずかけ、駅でたばこを吸い、夜遅くまで街を徘徊する。街で出会う高校生の多くは、能天気で好き放題にしているように見える。そのような高校生の姿を肯定するつもりはない。しかし、私が学校現場でしばしば感じるのは、高校生自身が抱えている生活の大変さ、辛さなのである。ここでは、友人関係と授業における様子の二点について触れてみたい。
     二年程前に、学級内の人間関係について、ある高校の一年生女子が、このような話をしてくれた。学級の中の人間関係には、「仲いい人」、「ちょっと仲いい人」、「全然わからない人」の三段階がある。「ちょっと仲いい人」というのは、「ちょっと鉛筆貸して」と言える人のことで、「全然わからない人」は、道であっても「この人誰だっけ」と思うくらい全く分からない人だという。私の勤務する課題集中校の生徒を見ていると、「ちょっと仲いい人」が少なくて、「全然わからない人」が多いという印象を受ける。授業中や定期考査の時に、「先生、鉛筆貸して」と生徒に言われることがしばしばあるのだが、まさに、「ちょっと鉛筆貸して」と言えるような友人関係が少ないのである。
     「ちょっと仲いい人」が少ないということは、「仲いい人」との間にトラプルがあった時に、他に入れるグループが無いということにつながる。入れるグループが無いことは、多くの場合、教室に入れない、あるいは学校に来られないということにもつながっていくのである。しばらく顔を見ない生徒のことを担任に尋ねた時に、親しい友人とのトラブルから、教室に居場所がなくなったという話を聞くことは多い。とりあえず、クラスの中に仲間を見つけ、ハブ(仲間はずれ)にされないように気を遣いながらやっていく。それは現代の高校生が、学校の中で生きていく上で、必要な技術なのかもしれない。
     昨年、二年生の数学を担当した時に、特に学力が低いと思われたA子に補習を行なおうとしたことがあった。九九も怪しいと思われるようなふしがあり、授業中の個別指導では対応できないと考えたのである。A子もぜひ補習をして欲しいと望んだので、空いている曜日の放謀後に補習をするという約束をしたのだが、A子は一向に現れなかった。担任に相談したところ、「浜崎さん、補習はいつ行なうという約束をしたのですか?」「火曜日と木曜日の放課後ならいつでもいいと言ったんですけど」「それは無理ですよ。放課後は友達と一緒に帰らなくてはならないんですから」ということであった。「今日は補習があるから先に帰って」と友達に言うことは、彼等にとって難しいことなのである。
     高校生が友人関係にとても気を遣っている様子は、携帯電話の使い方からも伺うことができる。昨年、川崎市の養護教諭部会が実施した携帯電話についての調査によると、寝る時も携帯電話の電源を切らない生徒は8割を超えている。いつでも誰かとつながっていたいという気持ちと共に、「電話やメールが来た時に取らないとハブにされる」「一度でも電話を取らないと、もうかかってこない気がする」という声が寄せられている。また、電話で話す方が、直接話すより話しやすいと思っている生徒が約3割、メールの方が思ったことが言えると感じる生徒が約4割であった。普段の友人との付き合いでは、なかなか本音も言えず、相手を傷つけないように、自分も傷つかないようにと気を遣う高校生の姿が浮かび上がってくるのである。
     そのように苦労して居場所を確保した教室は、彼等の生き生きとした学びの場所になっているのだろうか。昨年、初めて課題集中校で教えるようになった時に、とりあえず、分かりやすく授業をすることを心がけようと考えた。生徒にとって、数学は最も苦手で、嫌いな教科である。小中学校を通じて、数学ができないことを馬鹿にされてきた生徒も多く、劣等感は強い。それをほぐして、数学だって解るんだということを生徒に伝えたいと思ったのである。
    一年間の悪戦苦闘の末、最後の授業で、感想を聞いてみた。少数ではあったが、何人かの生徒は、初めて数学が解るようになった喜びを語ってくれた。教師がわかりやすく説明することによって、興味を持ち、解ったことを喜んでくれる生徒は少なくない。多くの教師はそういう生徒の存在を心の拠り所にしているのかもしれない。しかし、そういう生徒が存在する一方で、学ぶ意味を見出せず、学ぶことを拒否しているように感じられる生徒も多い。「こんなことやって、何になるの」「赤点じゃなきゃ、何でもいいんだよ」という生徒の声は、「何を教えたいのか」という重大な問を私に突きつけているように思える。声に出して言われるのは、まだいい方かもしれない。文句も言わず、教師の指示にもとりあえずは従うが、学ぶ意欲が感じられない、学ぶことに無関心な生徒も多いように思われるのである。
     では、課題集中校以外の高校では、生徒は学ぶ意味を見出しているのだろうか。ある進学校の図書司書の友人から、ここ二年程、マンガの貸し出し冊数が非常に多いという話を聞いた。授業中に読んでいるとしか考えられないと言うのである。だとしたら、生徒が授業に魅力を感じられず、学ぶ意味を喪失しているのは、課題集中校だけの問題ではないのかもしれない。
     他に行く場所はないし、皆が行くからとりあえず高校には行ってみた。友達に会えるのは楽しいが、上手くやろうと気を遣うのは疲れる。授業には興味がわかず、なぜこんなことを学ぶのか分からない…。これでは、高校が彼等にとって、魅力的な場所であるはずはないであろう。今年の六月に、三年生の男子が退学してしまった。「せっかくここまで来て、あと半年で卒業できるのに、どうして」「高卒の資格を取っておいた方がいいよ」「もったいないよ」先生方も友達も、彼をどのくらい引き止めただろう。でも、彼はこのように言ったのである。高校を卒業しても、自分がしたい仕事には、高卒の肩書きは必要ない。あと半年なのは、分かるけど、もうつまらなくて、これ以上我慢できないのだと。
     

高校生の傍らにいて思うこと

小畠 由起子

  • 私は、1998年度から2年間、県内の職業高校と小学校、そしてこの4月からは普通高校2校と小学校1校のスクールカウンセラーをしている。県内の、それもたったの3校しか経験のないこの私に、今の高校生について語るのは、たいへん難しく、また無謀なことであるが、これまで関わってきた子どもたちの顔を思い浮かべながら、感じてきたことを述べてみようかと思う。
     スクールカウンセラーとして初めて「学校」の中に入ったとき、戸惑ったこと、驚いたこと、それはたくさんあったが、何より驚いたのはカウンセリングルームの中で生徒たちから語られる話の内容であった。不登校になった生徒、クラスに馴染めないでいる生徒など、何らかの問題を抱えている生徒たちからだけではなく、元気に楽しく高校生活を送っているかのように見える生徒たちからも、ある時は打ちあけ話として次から次へと思いもかけぬ話を聞くことになった。それは、人からいじめられた体験である。これは程度の差こそあれ、私の経験した3校に共通することであり、おそらく先生方はこれ程までとは思っていないに違いない。進路の相談で来室したAさんは、話の中で、ポロッと中学1年生の時のいじめられた体験を話してくれた。「ちょっと勉強が出来て、リーダーシップをとっていた私を、まわりの子たちは目立ちたがりやの嫌な子だと思ったんだと思う」とAさん。仲の良かった友だちが、離れていったのだ。それ以来、まわりの人たちが自分をどう思っているかが気になり、いつもまわりの反応をうかがい、人から嫌われないように合わせてきたという。明るく屈託のないAさんだが、今でも仲間はずれが何より怖い。
     このAさんに限らず、いじめや人から傷つけられた経験により、人との関係にとても敏感で傷つきやすくなっている子どもの何と多いことか。そしてこのことをまわりに悟られないように、他人に取り繕い、また虚勢をはることで自分を保ち、そのことに多くのエネルギーを使っている。もうこの年ですでに人間関係に疲れ切っているのである。これを強く実感したのは、「カウンセラーのクラス訪問」の時間である。私の勤める2つの高校でこの4月から授業の一コマを頂き、全部のクラスを廻っている。カウンセリングルームのPRとともに、1年生には、仲間づくりのエンカウンターグループを、2,3年生には「自分を見つめよう」というテーマで簡単な心理テストなどを手がかりとして、「自己理解の時間」を作っている。そして生徒たちには、この時間を振り返っての感想や質問、カウンセラーへのメッセージなどを書いてもらっている。今、私の手元には、たくさんの子どもたちの書いた「自分」があるが、そこには自分を肯定的に捉えられない、自信のない、弱々しい子どもたちの姿がある。また今の自分に向きあうのが辛いと感じている子どもも多い。確かに彼らは成長過程の中で自我に目覚め、他者を強く意識する時期ではあるが、それにしても、である。「いまどきの女子高生」をしているBさんは友人ばかりでなく、小学校、中学校の先生からの言葉にも傷ついてきた。「自分はだめな人間、自分のことが大嫌い。」とある。これまで「自分が嫌い」という言葉を、何人の生徒から聞いたことだろう。
     小学校のスクールカウンセラーをしていて、感じてきたこと、それは子どもたちが家庭や学校であまり大切にされていない、ということである。親の過干渉や放任、学校ではいじめや教師の無理解など、子どもが「人から大切にされていない」と感じることがあまりに多すぎるのである。恐らく小さい子どもたちは、それを自覚してはいないだろう。しかし身体でサインを出している子ども、まわりの大人たちに反発し抵抗している子どもなど、ありのままの自分ではいられなくなってしまった何人もの子どもたちに出会った。こうして子どもたちは自分に自信を失い、自分以外の人たちへの不信感を強めていく。そんな子どもたちがどうして自分や他人を大切と思えるだろうか。
     高校のカウンセリングルームには、まわりの人たちへの強い不信感を持ちながらも、一方でカウンセラーに無防備に幼く甘えてくる子どもたちがいる。ありのままの自分を認めてほしい、そしてまわりの人たちにやはり期待し求めている子どもたちである。こんな子どもたちのいる限り、カウンセリングルームは今日も大繁盛なのである。
     

自己有能感の高揚とその罠:
高校生は自己の能力をどのように見ているか?

苅谷剛彦

  1. はじめに

     高校生は自分自身をどのように見なしているか。とりわけ、自分の能力についての自己認識(Self-concept)や自己評価(Self-esteem)は、教育の世界で、重要な変数と見なされてきた。自己評価(セルフ・エスティーム)を高めることや、自己有能感を高めることは、生徒の自信を高め、その結果、生徒の学校適応を高めたり、学習への動機づけを向上させる、と考えられてきたのである。
     「個性尊重」や「自己責任・自己選択」を標榜する教育改革においても、「個性」の基盤であり、責任の主体となる「自己(=セルフ)」のあり方に関心が向けられている。例えば、いわゆる「心の教育」をうたった中教審答申(1998年6月30日)には、次のような指摘がある。
    「今日の子どもたちの積極性の乏しさ、自尊感情や自己有用感などの欠如といった状況を踏まえると、子どもたちのよさを評価し、その能力・適性、興味・関心に即して個性を伸ばす教育を展開し、子どもたちが成就感や達成感を感じられるようにすることが重要である。」(中央教育審議会「幼児期からの心の教育の在り方について」答申より)
     だが、理想として掲げられる「自己」のあり方が強調される一方で、生徒たち自身の自己のとらえ方については、実証的な把握が十分行われているとはいいがたい。そこでこの小論では、高校生自身の「自己=セルフ」のとらえ方の変化に注目するために、生徒たちの自己評価や自己認識といった問題領域を設定したいと思う。とくにここでは、1979年と1998、99年に2つの県で実施した高校2年生対象の質問紙調査(対象校のうち11校については79年にも調査を行っており、およそ20年間を隔てた高校生の意識の変化をたどることができる)をもとに、生徒たちの自己有能感に焦点を当てた分析を試みてみたい。以下、「自分には人よりすぐれたところがある」かどうかという質問への回答によって、高校生たちの自己有能感をとらえるものとする。

     
  2. 自己有能感の変化:階層差の消滅

     はじめに、表1は、母親の学歴別・年度別に自己有能感の分布を見たものである。この表から、1979年の時点では、母親の学歴が高いほど、「自分には人よりすぐれたところがある」に肯定的な回答をする生徒の割合が高まることがわかる。ところが、1997年の結果を見ると、母親の学歴による差が縮小し、しかも統計的に有意にならなくなっている。表は省略するが同じ傾向は父親の学歴ごとに見た場合にも確認できる。つまり、かつては存在した親の学歴による差が、20年を経て消滅したのである。だが、このことは、教育における平等化を意味するのだろうか。

     
  3. 階層ごとに見た自己有能感の形成メカニズム

     この問題を考える上で、ひとつの補助線を用意したい。それは、業績主義的な価値観からの離脱を示す態度や意識への着目である。具体的には、「将来のことを考えるよりも今の生活を楽しみたい」という質問への回答??これは、いわば「現在の享楽志向」(以下、簡単に現在志向と呼ぶ)の意識といえる。そしてもうひとつは「あくせく勉強してよい学校や会社に入っても、将来の生活に大した変わりはない」という質問への回答??これは、いわば「学校を通じた成功物語」の否定(成功物語の否定意識と略す)意識である。
     以下の分析ではまず、父親の職業、父親の学歴、母親の学歴といった3つの要因をもとに出身階層を表す一元的な尺度を統計的に作成し、それをもとに生徒たちを、出身階層によって三等分した(社会階層・上位、中位、下位グループと呼ぶことにする)。その3つのグループごとに自己有能感と現在志向や成功物語の否定意識との関係を見ていく。
     表3は、社会階層グループごとに、現在志向と自己有能感との関係を示したものである。この結果によれば、社会階層の下位グループの場合にのみ、5%水準で、現在志向の意識が強いほど、自己有能感が高まる。同様に、表4より、社会階層の下位グループの場合にのみ、成功物語の否定意識を持つ生徒ほど、自己有能感が高まることが明らかである。これらふたつの表から、出身階層の低い生徒たちにとってのみ、「将来のことを考えるより今を楽しみたい」と思うほど、さらには、「あくせく勉強してよい学校やよい会社に入っても将来の生活に大した違いはない」と思うほど、「自分には人よりすぐれたところがある」という自己有能感が強まるのである(なお、こうした関係は、高校ランクや高校の成績、性別といった要因を統計的にコントロールした重回帰分析の結果によっても確認できた)。
     以上から、「あくせく勉強してもしかたがない」という意識に代表される価値観が広く浸透した結果、比較的低い社会階層の生徒たちにとって、そのような意識を持つことが自己の優越感に結びつく関連が生じていることがわかった。最初にクロス表でみた、階層差の消滅は、このような自己有能感の形成メカニズムの質的な変化によって、表面上見えなくなっていたのである。
     それだけではない。紙幅のため表は省略するが、社会階層グループごとに、自己有能感と学校外での学習時間との関係を調べると、社会階層の下位グループの場合にのみ、自己有能感が高い生徒ほど、学習時間が短くなることも確認された。つまり、社会階層の相対的に低い生徒たちにとって、自分はすぐれているという自己意識を持つほど、学校外で勉強しなくなるのである。現在志向や成功物語否定の意識によって高められた低い階層出身者の自己有能感は、生徒たちを勉強から遠ざける働きを持つようになったのである。

     
  4. おわりに

     成績による序列化を嫌い、だれにでも、自己の有能感を持たせることを、教育改革はめざしてきた。それが、いかなる変化を高校生の意識にもたらしたのか。直接的な因果関係を示したわけではないが、以上の分析から、教育改革が準備した教育のコンテキストの変化のなかで、社会階層の影響を媒介しつつ、若者たちの自己意識の形成が、おそらくは改革立案者たちが思ってもいなかった方向に変化しつつあることは、確かなようである。
    (本稿は日本教育社会学会第52回大会における発表を一部修正したものである)
     
     
表1 「自分には人よりすぐれたところがある」母親の学歴/年度別母親の学歴
 
調査年=79年 中 卒 高 卒 短 大
専門卒
大 卒 合 計
非常に感じる 7.5% 9.4% 11.5% 18.8% 9.4%
やや感じる 30.8% 33.7% 27.9% 27.1% 32.0%
あまり感じない 50.2% 45.7% 42.6% 44.7% 47.0%
全く感じない 11.3% 11.2% 16.4% 7.1% 11.2%
(ケース数) 452 716 61 85 1314
調査年=97年          
非常に感じる 6.2% 10.3% 10.3% 10.6% 10.1%
やや感じる 25.9% 29.5% 29.8% 27.2% 29.0%
あまり感じない 54.3% 46.4% 45.4% 49.4% 47.1%
全く感じない 13.6% 13.5% 14.2% 12.2% 13.5%
(ケース数) 81 735 282 180 1278

"カイ2乗検定による有意確率79年=.004, 97年=.979"


 
表2 「自分には人よりすぐれたところがある」と現在志向(社会階層別)%
 
社会階層・下位グループ 現在志向 将来志向 合  計
非常に感じる 12.5% 8.7% 11.0%
やや感じる 27.7% 25.8% 27.0%
あまり感じない 46.5% 47.2% 46.7%
全く感じない 13.3% 18.3%

15.3%

合計

100.0%

100.0%

100.0%

ケース数

721

492

1213

カイ2乗検定による有意確率=.031
 

社会階層・中位グループ 現在志向 将来志向 合  計
非常に感じる 13.4% 9.9% 12.0%
やや感じる 28.9% 25.0% 27.3%
あまり感じない 45.9% 49.8%

47.5%

全く感じない

11.7%

15.3%

13.2%

合計

100.00%

100.00%

100.00%

ケース数

717

496

1213

カイ2乗検定による有意確率=.057
 

社会階層・上位グループ 現在志向 将来志向 合計
非常に感じる 14.3% 12.0% 13.2%
やや感じる 28.8% 32.4% 30.6%
あまり感じない 43.9% 41.6% 42.8%
全く感じない 12.8% 13.5% 13.2%
合計 100.0% 100.0% 100.0%
ケース数 631 599

1230

カイ2乗検定による有意確率=.400



現在志向は「将来のためを考えるより今の生活を楽しみたい」 
に「非常に感じる」「やや感じる」と答えたもの


 
表3 「自分には人よりすぐれたところがある」と学校成功物語(「あくせく勉強して 
よい学校やよい会社に入っても将来の生活に変わりはない」)(社会階層グループ別) 
 
社会階層・下位グループ 学校成功物語・否定 肯定 合計
非常に感じる 11.8% 9.9% 10.9%
やや感じる 29.3% 23.9% 26.9%
あまり感じない 44.3% 49.4% 46.6%
全く感じない 14.0% 16.7% 15.2%

ケース数

672 544 1216

カイ2乗検定による有意確率=.031
 

社会階層・中位グループ 学校成功物語・否定 肯定 合計
非常に感じる 12.8% 10.5% 11.8%
やや感じる 27.2% 27.3% 27.2%
あまり感じない 47.4% 47.2% 47.3%

全く感じない

11.8% 14.8% 13.1%

ケース数

685 532 1217

カイ2乗検定による有意確率=.264
 

社会階層・上位グループ 学校成功物語・否定  肯定 合計
非常に感じる 12.8% 13.4% 13.1%
やや感じる 32.4% 28.6% 30.5%
あまり感じない 41.7% 43.9% 42.8%
全く感じない 12.5% 13.6% 13.0%
ケース数 624 611 1235

カイ2乗検定による有意確率=.692