第12回教文研教育シンポジウム
第7回教育研究所シンポジウム
入試が変わった!高校はどう変わる?

 

 21世紀を目前にして、社会のさまざまなところで変革へのうねりが高まっています。神奈川の高校教育をめぐる動きも大きく変わろうとしています。こうした流れの中で、教育文化研究所と教育研究所が協同してシンポジウムを開催することになりました。
2年前に導入された新しい高校入試制度を切り口にして、中学校と高校の現場からの発言を受けて、教育行政の立場として総務室と高校教育課から発言してもらう予定です。会場からの発言も大歓迎します。「県立高校将来構想検討協議会」の本報告をめぐる議論にも視点を置きながら、神奈川の教育の将来像について議論が深まればと期待しています。
 

期日 1998年11月7日(土) 14:00〜17:00
会場 Lプラザ(神奈川労働プラザ) рO45−633−6110
横浜市中区寿町1−4
JR根岸線 石川町下車3分 関内下車7分
テーマ 神奈川の入試制度と特色ある高校づくり
司会 黒沢惟昭さん(東京学芸大教授・教育総研代表)
シンポジスト 石田和夫さん (平塚工業高校)
奥山久さん(教育庁総務室室長代理)
川村佳行さん(平塚市立大住中学校教諭)
鈴木彰さん (教育庁高校教育課主幹)
 
 

 シンポジウム

 「入試が変わった!高校はどう変わる?」

  国の政策の背景と本県入試制度の課題


黒沢 惟昭

 
はじめに

 県の教育行政の責任者と教育現場の直接の責任者が公開の場で、意見を述べ合い討議を行うことは大変有意義なことである。シンポジウムの進行役を仰せつかったことはまことに光栄であり、感謝しているが、責任の大きさも痛感している。折角の機会を活かし、スムーズな進行と議論の深まりを期待して「論点整理」の立場から高校問題の背景を述べ、本県入試の課題、論点を指摘したい。
 周知のように、いじめ、校内暴力、中退、不登校、そして相次ぐ殺傷事件など、教育の問題・課題は山積している。その病状はまるで「複合汚染」の如く互いに関連しあっているが、今回は「高校入試と特色ある高校づくり」を「切り口」にして本県の問題を探りたい。その前に、論点の理解のために国の政策の動向の概略を記しておきたい。

高校改革の背景
(1) 戦後教育と臨教審

 戦後の教育を総覧するためには、66年の中教審答申、71年のいわゆる「46答申」さらに77−79の都道府県教育長のプロジェクトチームによる「報告」の検討が不可欠であるが、紙幅の制約もあるので、臨教審、14期中教審、15・16期中教審などに限定したい。
 戦後しばらくの間は、経済的貧しさのためもあって、「個人」「自由」はある程度抑えられ、「平等」による「連帯」「友愛」が優勢であった。たとえば、その実現の方法として、小学区制、総合(合同)選抜制なども多くの地域で実施され、その維持にはコンセンサスが成立していた。だが、高度経済成長とともに国民の豊かさが増すにつれて、「自由」「個人」「自立」「多様化」(その実現のための「規制緩和」)が強調され、「平等」も形式的「画一」ではなく「実質」的なものであるべきだという主張が次第に広まった。この主旨のもとに、戦後教育の流れを大きく転換する契機となったのは80年代半ばの臨教審であった。
 臨教審の答申の背景には二つの側面があったと思う。第一は、70年代初頭から半ばにかけて急速に進行した日本社会の構造的変化である。第三次産業の就業労働者が50%を越え、日本にはこの頃には高度情報社会、高度消費社会に入った。目標に向かって集団的・画一的に進む近代産業型の学校と、新しい社会状況によって産みだされた子ども、青年(「新人類」)との間に一定の「きしみ」が生じたのもこの頃からである。
 第二は、いうまでもなく、行財政「改革」を「市場主義」の導入によって教育においても実現しようとする志向であった。私見によれば、第一の社会状況を巧みに掴みとりながら、第二の国家プランを断行しようとしたのが臨教審の役割であった。特にこの点を記したいのは、ともすれば、従来第二の面だけが強調されてきたきらいがあるが、第一の側面もあわせて現状の分析と今後の改革を考えないと一面性に陥ると懸念するからである。

(2) 格差是正と「多様化」の推進

 ところで、「格差」が教育の「病理」であると診断した14期中教審は、臨教審の「規制緩和」に一定程度の歯止めをかけることが期待された。しかし、その「処方箋」には、戦後教育(運動)において格差是正の効力を発揮した「学区」の制限(小学区制)や「総合(合同)選抜」の導入は全く省みられず、「多様化」の一層の促進、推進策が盛り込まれた。つまり、「多様化」した子ども、生徒をこれまでのように「偏差値」という一元的な基準でとらえ、評価、序列化するのではなく、他面・多角的に対応するならば、一元的基準による「格差」は是正、解消されるだろうというのが主旨であった。具体的には現在、全国各地で進められている「高校入試選抜」(入口)の多様化と内容の多様化(特色づくり)である。
 その後、15期中教審は、21世紀はより厳しい時代になることを予測し、子どもたちに「生きる力」を育む必要性、そのための「ゆとり」(完全学校5日制など)の創出を提言した。その関連で、続く16期中教審は高校及び中学校との「接続」についてさまざな提言をおこなったが(公立校への「中高一貫校の導入」、「飛び入学」の提唱などを除けば)、概ねは14期中教審の主旨を踏まえ、その一層の拡大推進を意図したものであると断定しても間違いはないだろう。
 進行役の分際を越えて国の政策などをやや詳しく言及したが、本県も、遅ればせながら基本的には如上の国の教育政策の「軟着陸」を図り、その下に進められているのが「新神奈川方式」による入試であり、並行して推進されつつある「特色づくり」である。すでに2年が経過した現時点で論点をしぼれば次の二つに要約できるだろう。

本県の高校入試制度をめぐる問題点
(1) 「総合的選考」のあり方と特色づくり

 これは、各校の「特色」に応じて各学校が事前に公表している「総合的選考の基準」に従って、定員の44%を選考するものである。基準設定の根拠は、各学校の「特色」になっており、そのために「魅力と特色プラン」が各校で2年間考案され、昨年度から実施段階に入っている。学校現場では、この方策をどのように受けとめているのであろうか。すでに述べた14期中教審の主旨(理念)から捉えれば、「学力」だけによる一元的評価を改善することが目的であった筈である。そうであれば、「学力」では入れない志願者のために優先的に配慮されてしかるべきではないか。この方向で考えない限り、14期中教審(その方針を基本的に継承しようとする本県も)の意図した「格差是正」は前進しないと考える。「44%の可能性」を行政、現場のそれぞれの側でどのように受けとめ格差是正に活用しているのか。たしかに、そのための努力を重ねている現場があると伺っているが、その予算的措置はどのような実態であるのか。さらに、これに関連して、選抜が数値によらない側面が拡大された反面、中学側(保護者・受検生も含めて)からは、選抜が主観による面が強いのではないかという強い疑念が提起されている。また、「内申書」の比重が大きくなり、教師の日常的チェックによるプレッシャーが強まっていることも報告されている。

(2) 「複数志願制」について

 この制度も、選抜方法の一層の多様化の一環として、また受検生にとっては二度のチャンスの結果として負担の軽減に至ると期待されていたものであった。しかし、なんと初年度は76%、二年目は86%が第1・2希望とも同一であった事実は「行きたい高校」は一校だという受検生の意識の反映ではないかと推測される。ここでもまた、「行ける高校から行きたい高校へ」という14期中教審のスローガンは実現されていないのではないか。逆に、第1希望枠が結果的に8割に狭められていることにもなっているという批判も多くある。こうした問題点を明らかにし、制度の理念をを実現するにはどうしたらよいのか。これが第二の論点である。

おわりに

 以上、今回のシンポジウムの主旨や時間の制約なども考えて一応論点を大きく二つにしぼったが次第である。9月には「県立高校将来構想検討協議会」の「本報告」が提出され、21世紀へ向けて神奈川の高校教育改革も大きな転換点を迎えるものと思われる。将来の高校教育のあり方にも視点を向けながら、教育行政と教育現場のそれぞれの担当者が、意見を出し合い討議を深めながら、教育の病理の改善にこのシンポジウムが資することを願わずにはいられない。関係者各位の絶大な協力を期待して結びとする。

(くろさわ のぶあき 東京学芸大学教授)

  
 

 夏の休暇・「『未来食』を食べてみました」の記


武田 麻佐子

 3日間、山形県の「いのちのアトリエ」という木の香りのするここちよい空間で、湧き水での生活・循環型のパイオガストイレ(ガスは調理に、残りは液肥に)・テレビも新聞もないくらしと雑穀の食事をしました。
 「五穀豊饒」という言葉がありますが、稗・粟・黍などふだんはあまりお目にかかりません。貧しかった頃の食べ物というイメージの方が大きいのではないでしょうか。この家の食生活は10時と18時の食事と14時ごろのおやつで、卵・魚・肉・牛乳・砂糖は食べません。と書くと、なんだか『忍』の一字の生活に聞こえてしまいます。ところがエッ!と思うようなおいしいごちそうが出てくるのです。稗と野菜のシチュー(翌日はマッシュポテト風に変身)、粟のおかげでおいしいチーズ味のグラタン、あまい高黍のぜんざいや人参パイ。自家製漬物や、なぜか中華ハムの味のする高野豆腐などにも味見のたびに驚きの声が上がります。雑穀と野菜中心の食生活をこの家の人は「未来食」と名づけています。 体にいいからと我慢して食べたり、エコロジーだからと無理するのではなく、おいしいから食べ、おもしろいからやってみる、そんな生活を、その家の人は「一家6人、お金はそんなにいらない。心配しなくてもお金はぐるっと回っているのよ。いろいろな遊びもグルメも経験したけれど、今が一番たのしい。」と言っています。ゆっくり流れる夜の時間に「自分のしている生活を他人に押し付けてもだめ。うふふ、私いいこと知っているの…、とだけ言っておけば聞きたくなるでしょ」「あなたはここができてないじゃないと批判しないで、ここまでできてよかったねって認めあえばいいのよ」とも言われました。
 「まだ○○できていないからもっと頑張れ」と自分や生徒を励ます毎日を思いおこし、苦笑しましたが、そんな自分に気づいただけでも「気づいてまあよかったじゃない」と思うことにして、次の一歩を考えてみようと思っています。

(たけだ まさこ 県立豊田高校教諭)

 
 

 南京・ハルピンを訪れて


宅見 啓

 この夏、(財)ひの社会教育センター主催の「日中現代史を学ぶ旅」に参加した。旅行前から中国の大水害について聞いていたが、現地のニュースでは一日中水害について報道しており、解放軍の活躍がクローズアップされていた。幸いなことに今回の旅では松花江の遊覧が中止になった程度ですんだ。
 南京大虐殺紀念館は1985年に開館されたが、去年展示内容の一新を図り、日本語の解説もあって分かりやすくなった。また、紀念館の敷地内で新たに人骨が発見され、それも見ることができた。南京市内の主な虐殺現場の13ケ所に紀念碑があり、そのうちの4カ所にも立ち寄った。紀念碑は、川岸や崖の下だったり、小高い丘の上にあり、多くの人が人知れず殺されていったことがうかがえた。
 かって731部隊があったハルピン郊外の平房には、民家や工場、学校の一角に731部隊の死体焼却場やボイラーの煙突が残っている。現地に行って部隊の規模の大きさを改めて認識した。引き込み線のレールを通って実験材料の「マルタ」が運ばれたと思ったとき、一同は言葉を失ってしまった。
 平頂山では事件の生き残りの一人、楊宝山さんの証言を聞くことができた。平頂山事件については本多勝一氏の「中国の旅」に詳しいが、当時証言された3人がすでに亡くなったことを楊さんから聞いた。このツアーに以前参加したある人は、撫順の女学校に通っていたが、彼女はツアーに参加して初めて学校の近くで起こったこの事件を知り、衝撃を受けたそうだ。当時近くにいた人でさえ戦争の状況を知らされていなかったのだ。私たちは被害者から発せられる言葉に耳を傾けてはじめて、私たち日本人の真の姿を見ることができるのではないだろうか。    

(たくみ あきら 県立伊勢原高校教諭)