カウンセリングを学んでいると、新しく何かを身につけているというより、身に覚えのある何かを掘り起こしているような気持ちになる。
教育現場では、少なからぬ人々が、それとは意識せずにカウンセリングを実践してきたのではないか。それまでのやり方が通用しない時、悩み苦しみつつ生徒と関わり続ける過程で、断片的に偶発的にカウンセリングの関係が生じてきたのではないか。自らの実体験と、学校カウンセリングの歴史的探究の双方から、これらの思いを募らせている。
新採用教員として勤務した高校で、日常時々刻々、生活指導上「何とかしなければならない」状況に身をおきながら、「どうしようもできない」私は、人一倍の見習い期間を過ごさせてもらった。そこで、多くの同僚が、厳しい状況で生徒とつながる回路を独自につくり出す様を目の当たりにしてきた。傍らにいる自分が救われるように思う一方、同僚の苦しみが伝わるように感じられた。普段教師として踏むべき軌道との葛藤の痛みを察したからかもしれない。
そうした「噛み合わなさ」を抱えながら、教師もカウンセラーも、一人一人それぞれのトンネルを掘り進めているのではないだろうか。それらが、個々の生徒に焦点を結ぶものである限り、どこか通じ合う一点はあるはずだ。
しかし、ただ前へと突き進むよりも、周りと意思を通わせながら徐行する方が、より多くのエネルギーを要するものと思う。「私はこう堀り、こう行き詰まっている。」というような実情を交わしつつ、学校という土壌を耕していくのは、時間がかかる営みだ。
しかし、今ここにも、それをなしている人々が実在すること、歴史的にも神奈川県には、戦後全国に先駆けて学校カウンセリングの基礎づくりをした教師たちが存在したことに、私は心励まされている。時論的に教育改革が急務とされ、その一環として学校カウンセリングも展開しつつある。願うことは、それが革命ではなく、漸進的な開拓であることだ。
(むらやま えいこ 県立田奈高校 東洋英和女学院大学大学院在学中)
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