県立高校におけるスクール・カウンセリングの実際と課題について 

菊島 勝也

 
  • はじめに
     私は熟練したスクール・カウンセラーでもなければ、心理臨床家としてもまだまだ駆け出しという状態にあり、スクール・カウンセラーについて大局的見地から論じることは到底力不足です。しかし、高校に生徒としてではなく(また教員としてでもなく)入り、そこで活動していることは自分自身にとって確かに大きな体験となっています。そこで本稿では、まず我々の行ったカウンセリング・ルームの体制づくりを紹介し、その上で自分のスクール・カウンセラー体験から実感した様々なことを述べていきたい
    と思います。
     
     

  • カウンセリング・ルームについて
     県立大師高校カウンセリング・ルームは1997年4月に開設され、私が非常勤カウンセラーとして就任しました。カウンセリング・ルームはカウンセラーの他に、教員4名、養護教諭1名からなる生徒相談対策会議によって運営されています。
    開室時間:現在は週3日16時間カウンセリング・ルームを開室しています。時間帯は、生徒の授業時間に応じてフレキシブルに設定されています。
    相談の形態:主要な相談の形態は、生徒の直接来談です。継続的な面接を行うケースについては、面接時間の予約を行っています。この他に、カウンセリング・ルームが開室していない時間帯でも相談が受けられるように生徒からの手紙による相談や、生徒についての教員と保護者の相談を受け付けています。
     
     

  • カウンセラーの活動の実際
     
    まず生徒に知ってもらうこと

     カウンセリング・ルームを開設後なによりも必要なことは、全校生徒に対して、生徒にサポートを提供するものとしてカウンセラーとカウンセリング・ルームを認識してもらうことです。このためには、まず一般的に馴染みの薄いカウンセリングがどういうものかということを生徒に理解してもらうこと、同時にカウンセラー本人がどういう人物であるかも知ってもらうこと、その上で、生徒たちと気軽に話しができるような信頼関係を築いてい< ことを心がけました。
     まず、2・3年生に対して4月の始業式と、1年生に対してはガイダンスにおいて、カウンセリング・ルームの紹介とカウンセラーの自己紹介を行いました。次に、生徒向けにカウンセリング・ルームの紹介をしたパンフレットと相談の申し込み票を組み合わせたものと、保護者向けにカウンセリング・ルームの紹介をしたプリントを全校生徒に配布しました。
     また、カウンセリング・ルームのポスターを校内に掲示したり、本校のインターネットのホームページにもカウンセリング・ルームの紹介のスぺースをつくってもらいました。また、前述したようにカウンセリング・ルームの入り口にパンフレットを置きましたが、1学期では1週間で5枚程度持ち出されていました。
     開室後1ケ月も経つと、廊下等校内で生徒から声をかけられることが増えてきました。これは、次第にカウンセラーの顔を知られるようになったことや、生徒間でカウンセラーに関する噂(かなり事実とかけ離れたものもあったようですが)が広まったことなどが影響していると考えられます。そのような場合、「何か話したいことがあったら気軽にカウンセリング・ルームに来てね」と声をかけるようにしています。
     また、保健室登校している生徒や、保健室で休息をとっている生徒にもカウンセリング・ルームについて知ってもらうために、カウンセリング・ルームのパンフレットを保健室内に置かせてもらったり、カウンセラーの空いた時間に保健室を訪問し、保健室にいる生徒と雑談し、顔を知ってもらうように努めました。さらに養護教諭にお願いをして、何か話したいことがある時はカウンセリング・ルームに行くことを薦めてもらい、これらの生徒が来談したときに対応できるように、養護教諭から保健室登校している生徒について情報収集を行いました。そのうち、カウンセリング・ルームを「見学」にやってくる生徒も現れてきました。例を紹介します。

    2・3年生男子
     かなり派手な感じの男子生徒6人が、ドヤドヤとカウンセリング・ルームに入ってきました。皆もの珍しそうに見回しています。「ここどんなことするとこ?」「先生なにする人なの?」などと質問をしてきます。カウンセラーはカウンセリング・ルームの説明と自己紹介を行いました。その後で、何か話があるのかと聞くと、「別に何もない」と言いますが、それでもすぐに帰らずにいるので、しばらく楽しく雑談をしました。その後彼らはちょくちょくカウンセリング・ルームに顔を出すようになり、学校生活の不満や、対人関係や進路について悩んでいることなど、次第に一人でやってきて相談をするようになっていきました。

     
    生徒に知つてもらうことの意昧とは

     このように一口に広報活動といっても、行事などでの挨拶やパンフレット、ポスターの作成など、生徒全員に対するいわば公的な存在としてのカウンセリング・ルームを知らせる側面と、廊下などでの立ち話や、カウンセリング・ルームでの雑談など、いわば個人対個人の関係の中で生徒にカウンセラーの存在を知ってもらうという側面があることがわかります。すなわち、学校というフォーマルな組織の中に位置づけられるカウンセリング・ルームと、生徒というインフォーマルな集団との関係におけるカウンセラーという、2つの側面を同時に知らせていくプロセスがあるということです。
     面接室の中で定期的に訪れるクライエントと会うという専門機関のカウンセラーと異なり、スクール・カウンセラーは生徒と学校生活をともに生きる存在であり、特に、普段からカウンセリング・ルーム内だけに限らない、何気ない雑談などによって生徒と個人対個人の関係を持つということは、生徒にカウンセラー自身の人柄や雰囲気を知ってもらい、悩みを話せるような信頼できる存在であると認めてもらうことであるといえます。そのために、カウンセラーはいわゆる相談以外の場面でも、常に注意深<、丁寧に話を聞いていかねばならないといえます。自分の悩みを相談する側にとってみれば、自分自身の心の内を語ることは非常に勇気のいることであり、突然「この人がカウンセラーです」と言われてみても、その人を信頼できると思えなければ相談する気も起きないのは当然のことだと思います。

     
    実際にカウンセリングを行ってみて

     こうして、次第に相談にやってくる生徒が月を追うごとに増え、予約を入れて継続的に面接を行う生徒も何人かでてきました。ここで私がこれまでに相談を行った生徒全体について、いわゆる「今時の若者」というかたちで何かーつの傾向といったものを見い出すことはとても不可能であると思います。たしかに、彼らは長髪や茶髪、ルーズソックス、流行のコトバづかいなど現代的な意匠を凝らしています。しかし、一旦彼らが自らの心をながめ、その心の内を真摯に語る時、その語る内容の豊かさをみれば、それだけ一人一人ユニ−クな存在であると感じられるのです。
     ここで、ある女子生徒の気持ちを例に挙げたいと思います。ただ表面的な行動だけをみるならば、その生徒は学校をサボリがちで、学校に来ても友達と授業を抜け出したりしている、つまり怠学気味の生徒だと言えるでしよう。カウンセリング・ルームに来た当初も遊び半分で雑談に来ていたかも知れませんが、来るごとに少しづつ心の内を話すようになってきました。
     彼女は、「(学校は)ちゃんとやりたい、でもついさぼってしまう」「本気になってやれば出来ると思う、でも自分は結局何も出来ない人間だとも思う」「友人達といると楽しい、でも友人たちに流されてしまう自分がいる」「打ち込めるものが欲しい、でもみつからない」「なんとかしないとやばいと思う、でもなんか実感がないし、どうしてよいのかわからない」と語ってくれました。
     この生徒の中に、自ら何かをやろうとする気持ちと、つい楽な方に流れてしまう気持ち、自分は本当はやれるんだという自信と、自分は駄目だという自己イメージの低さとが同時に存在し、「なんとかしないとやばい」と感じながらも動けなくなってしまっていることがわかります。このような気持ちーつーつは誰にでもある気持ちなのではないでしょうか。そしてこの誰にでもあるありふれた気持ちの在り様によって現れた行動を外からみると単なる「怠け」となってしまうのでしょう。
     それでは、カウンセラーはこのような生徒に対して何ができるのでしょうか。私は、まずはひたすら生徒の話に耳を傾け、一人一人の生徒の心の在り様を理解していこうと思います。生徒も「自分の心の内を他人に話す」という慣れない作業によって、自分自身の気持ちについて再確認することができるでしょう。その上で、本人の「なんとかしないとやばいと思う」気持ちをもとに、「自分はどうしたいのか」を自分自身で意識できるように話し合い、「そのためには何をしていけば良いのか」を一緒に考えていきたいと思っています。

     

  • 今後の課題について
     これまで生徒との関わりについて述へてきましたが、今後の課題として挙げなければならないのは、やはり教員との連携の在り方だと感じています。スクール・カウンセラーは生徒をサポートする唯一絶対の存在ではありません。校内で生徒本人を取りまく教員や友人などのサポートのネットワークのーつとしてスクール・カウンセラーは存在し、これらのサポート資源が有効に機能するように促進していく役割があると考えられています。
     私自身これまで、ケースごとにカウンセラー側からの必要性から主に担任の先生との連携は行ってきており、ある程度うまくやってこれたと思っています。しかし、先生全体にカウンセラーの役割の理解 (理論的にではなく実際に何をしているのかというレベルでの) を広め、いわば先生側が連携の必要性を感じたときにカウンセラーの利用の仕方を知っていただく必要があると感じています。
     しかし、先生一人一人に教育に関する独自のスタイルがあること、カウンセラーも人によって様々なスタイルがあることを考えると,ここでも生徒とカウンセラーという場合と同様に、教師とカウンセラーという理念的な役割だけでなく、人間対人間のつきあいという部分が重要になってくると思います。
     以上思いつくままに書かせていただきました。果たして残る1年間でどこまでできるのかわかりませんが、さらに実践を通じて考えていきたいと思っています。

(きくしま かつや 県立大師高校スクール・カウンセラー,臨床心理士) 

 
 

教師とカウンセラ−

村山 映子

 カウンセリングを学んでいると、新しく何かを身につけているというより、身に覚えのある何かを掘り起こしているような気持ちになる。
 教育現場では、少なからぬ人々が、それとは意識せずにカウンセリングを実践してきたのではないか。それまでのやり方が通用しない時、悩み苦しみつつ生徒と関わり続ける過程で、断片的に偶発的にカウンセリングの関係が生じてきたのではないか。自らの実体験と、学校カウンセリングの歴史的探究の双方から、これらの思いを募らせている。
 新採用教員として勤務した高校で、日常時々刻々、生活指導上「何とかしなければならない」状況に身をおきながら、「どうしようもできない」私は、人一倍の見習い期間を過ごさせてもらった。そこで、多くの同僚が、厳しい状況で生徒とつながる回路を独自につくり出す様を目の当たりにしてきた。傍らにいる自分が救われるように思う一方、同僚の苦しみが伝わるように感じられた。普段教師として踏むべき軌道との葛藤の痛みを察したからかもしれない。
 そうした「噛み合わなさ」を抱えながら、教師もカウンセラーも、一人一人それぞれのトンネルを掘り進めているのではないだろうか。それらが、個々の生徒に焦点を結ぶものである限り、どこか通じ合う一点はあるはずだ。
 しかし、ただ前へと突き進むよりも、周りと意思を通わせながら徐行する方が、より多くのエネルギーを要するものと思う。「私はこう堀り、こう行き詰まっている。」というような実情を交わしつつ、学校という土壌を耕していくのは、時間がかかる営みだ。
 しかし、今ここにも、それをなしている人々が実在すること、歴史的にも神奈川県には、戦後全国に先駆けて学校カウンセリングの基礎づくりをした教師たちが存在したことに、私は心励まされている。時論的に教育改革が急務とされ、その一環として学校カウンセリングも展開しつつある。願うことは、それが革命ではなく、漸進的な開拓であることだ。

(むらやま えいこ 県立田奈高校 東洋英和女学院大学大学院在学中)
 

 

スクールカウンセラー活用調査研究にかかわって

小野 由美子

 前任校でスクールカウンセラーの導入かかわった一人として高校におけるスクールカウンセラー制度について述べてみたい。
 前任校の生徒実態は、高校入学前に不登校を経験していたり、家庭環境が複雑であったりで、多様な問題を抱えた生徒が保健室を駆け込み寺のように利用していたといっても過言ではなかった。体の健康の不調は授業意欲を消失させていた。保健室の利用状況は養護教諭を多忙にさせ、いじめも発覚するし、保健室登校する生徒もおり、保健部では「心のケアを担うにはどうすればよいか」ということが課題であった。スクールカウンセラーの活用は生徒実態から保健部が組織をあげて派遣を待った経過がある。
 スクールカウンセラーの存在は、専門のカウンセリングを必要とした生徒には貴重な指標を得たと思うが、学校の中では教育相談の定義も明確でない中でスクールカウンセリングを提供するのだから、これを軌道に乗せるためのコーディネート役に要する時間は膨大なものであった。生徒たちが心の問題を抱えたとき、教育相談室に直接行くことはなく、体の不調を訴えて保健室にくる。生徒たちが心の悩みまで話していく保健室の運営を心がけながら教育相談を充実させようとすれば、話を聞いてやれる姿勢やゆとりが欲しい。不登校の生徒を登校させることが目標ではない。大人になってから自立できることを支援することだと思うと、「今」してあげられることを模索しながら無我夢中であった。
 授業を担当していない立場であることで、カウンセラーからスーパーバイズをより多く受けられ、生徒の支援方法を担任に伝えていったりその生徒を支援する「マンパワー」を広げることが出来た。一方、学校保健全般を執務しながらスクールカウンセリングを担当するにはゆとりが全くなく、解決するには複数の養護教諭とカウンセラーの存在が必要であろうし、教諭が担当するなら持ち時間の減などの配慮等は絶対に必要であることを痛感した。
 さらに心の問題を抱えた生徒への支援は教師が主体になれるようにして行くべきで、週に8時間しかこない専門家故に、当面は教師のためのスーパーバイザーとしてコンサルティングを担ってもらう方がベターであったと思うようになっている。

(おの ゆみこ 県立汲沢高校 養護教諭)