学校のあり方と教育行政改革
―中教審への諮問「今後の地方教育行政の在り方」について―

 

教育改革の提起

 21世紀に向けての「教育改革」が、いわゆる政府の「6大改革」(行政、財政・経済構造、金融システムほか)の一つに加えられ、今、その改革提案がなされつつあることは周知のとおりです。一方では、文部省が教育改革の具体的な課題とスケジュールを「教育改革プログラム」(97年1月および8月)として取りまとめ、首相に報告しましたが、他方では、中教審(中央教育審議会)をはじめ文部省の審議会が相次いで「答申」ないし「中間まとめ」を出しています。これらは、そのいずれも今後の教育や教師のあり方を方向づけるものとして提起されており、その内容や行方に十分に注目していく必要がありましょう。
 その中で、第16期中教審に新たに諮問された「今後の地方教育行政の在り方について」(97年9月末日)は、地方分権推進委員会の勧告を背景に出されたものですが、その名のとおり、今後の自治体教育行政はもとより、学校のあり方にも深く関係する諮問です。また、この諮問は久しく改革提起がみられなかった分野でもあり、その内容は大いに注目されます。もちろん、これは諮問であって「答申」ではないので、改革の全貌が明らかにされたわけではありません。しかし、中教審への「諮問文」や「文部大臣諮問理由説明」書をはじめ、この諮問以前に出された前記の「教育改革プログラム」やこの諮問にかかわりのある文部省の「21世紀に向けてた地方教育行政の在り方に関する調査研究協力者会議」による「論点整理」(97年9月19日、「論点整理」と略す。)などをみれば、改革の内容や方向性はかなり知ることができます。
 そこで、小稿では、この諮問に学校と自治体教育行政のあり方がどのように捉えられているかに注目し、これを中心に改革の内容や方向、問題点や課題などについて少し探ってみることにします。

 

諮問の内容

 諮問は、大きく次の三点について検討することを求めています。@は学校と地域住民・教育委員会 Aは地域住民と自治体教育行政、そしてBは教育行政における国、都道府県、市町村の各々のあり方と関係です。
 まず@については、今後、「地域や子どもの実態に応じて工夫を凝らした特色ある学校づくり」、「保護者をはじめとした地域住民に開かれた学校づくり」が重要であるとされる。そこで次の点の検討が求められています。「学校の自主性・自律性の確立」の視点から「教育委員会の学校への関与の在り方を見直す」とともに「学校運営において校長がリーダーシップを一層発揮できるように」するというものです。なお、この学校運営に「保護者や地域住民の意見を反映……する仕組」の検討も併せて求めています。他方、「地域の特性を踏まえた活力ある教育」の展開、「生涯学習や文化・スポーツの振興」、さらには「地域の教育力」の「向上」のために、「学校や教育行政機関と地域住民とが一層連携協力を図っていくことが重要」であり、この視点から「学校の教育活動や……団体等の活動への支援などに地域住民の協力を得るための仕組みについて」も検討を求めています。
 次にAの住民と自治体教育行政では、「地域の特性を生かした教育を一層推進し、地域住民の多様な要請に応え、地域の振興に寄与していくためには、都道府県や市町村がより主体的に施策を展開していくことが不可欠」である。このため「地方教育行政に地域住民の意向を反映する様々な仕組みについて検討」する。これに対しBでは、「主体的かつ積極的な地方教育行政の展開」、教育改革と地方分権の見地から「教育行政における国、都道府県、市町村の役割分担と関与の在り方を全面的に見直すこと」とされる。これに関連して「地方分権推進委員会の勧告を踏まえ、教育長の任命承認制度の廃止と教育長に適材を確保するための方策」を求めています。

 

諮問における注目点

 以上が設問の概要ですが、ここにはいくつかの注目すべき点があります。とくに、この種の文部大臣諮問は永らくみられなかったし、また、これが21世紀への教育改革についての文部行政の姿勢なり方向性を示す公的文書であることを思うとき、一層その感を深くします。ここでは、以下の二点に注目したい。
 その第一は、「学校の自主性・自律性」の確立の観点が打出され、その点から教育委員会とのかかわりを見直すと言っていることです。その上、「特色ある学校づくり」という限定づきのようではあるが、「開かれた学校」づくりが重要であるとの視点から学校運営への父母や住民の意見が反映する仕組みづくり、学校の教育活動に地域住民の協力を得るための仕組みを考えるように要請しています。このような見地は一般的に言えば、学校の自主・自律性の確立と父母・住民参加を提起していることとも言えるものです。
 注目される第二点は、自治体教育行政に住民の意向が反映する様々な仕組みについて検討することが諮問されていることです。これは、主体的な地方教育行政の展開(地方がより主体的に施策を展開する立場)や、地方分権推進とも関係していますが、中央・地方のあり方を見直すこととあわせ、教育行政における分権と自治、住民参加が提起されているとも言えます。

 

諮問の位置づけと問題

(1) 諮問の位置

 このように見ると、今後の地方教育行政にかわる改革課題として、学校の自主性・主体性の回復と父母・住民参加の学校運営や地方教育行政が目ざされ、求められているようにみえます。考えてみれば、このような学校と地方教育行政は、第二次大戦後の「教育委員会法」(1948〜56年)下のいわゆる“公選制教育委員会”行政のもとで、すでに基本的には求められていたものでした。ところが、現行の“地方教育行政法”(1956年〜 )下のいわゆる“任命制教育委員会”行政のもとでは、こうした学校や行政のあり方が失われているにも拘らず、文部行政側からは久しく公式に聞くことができなかった提起です。それだけに、この諮問内容は注目されるのですが、現行の教育行政下ですでに40年も経過している今日の現場では ―学校であれ、教育行政であれ― 、“そう言われても”と、むしろ戸惑いや問題を感じておられるのではないでしょうか。こうした点について、いずれ現場からの声を聞かせて頂きたいのですが、ここでは、上記の二つの注目される諮問内容について気になること、問題点などにふれてみたいと思います。もっとも、この諮問の背景にある考え方は、これまでの文部行政側の教育行政観を大きく転換させているとは思えませんが、この点は、この際変更されることを期待したい。

(2) 諮問の問題点

 第一に、学校のあり方と教育委員会(地方教育行政)とのかかわりの問題です。まず、「学校」の自主・自律性といわれますが、これは主に「学校運営」のそれをいうようです。そして、この「学校運営」に「校長のリーダーシップ」があらためて求められています。学校運営や経営において自主・自律はもちろん、校長のリーダーシップが大切であることは言うまでもありません。しかし、校長のリーダーシップといっても、どのようなリーダーシップか(法的、制度的にも全く)わかりません。他方、この「学校運営」には、その主たる担い手であるはずの教職員は視野に入っていないようで、このような「学校運営」は結局、学校長中心で、学校長だけが権限あるものとするような学校の自主性・自律性が期待されていることになりましょう。この点に関し、前記の「論点整理」が「校長の権限の拡大に対応した学校の運営体制の見直し」などを提起しています。
 もとより、「答申」がどのような提案をするか予断は許されませんが、少なくとも以上に明らかなことは「学校の自主・自律性の確立」といっても、学校を教職員を含む何らかの自治権を有する自治体として捉える観点は全くないということです。これに対し、教育委員会の学校への「関与」のあり方は見直されるわけですが、教育委員会の学校管理権の検討は諮問されていない。これまで、行政側解釈は、教育委員会の学校管理権を「包括的支配権」とみてきましたが、これと合わせてみれば、結局、そうした学校管理権のもとで、校長権限だけが目立つ「学校運営」の姿が浮かび上がっていると言えましょう。また、学校にたいして父母や住民の「意見」反映のしくみの検討が求められているのは注目されるのですが、協力の対象として位置づけられるところからすると、「学校運営」の内容に何らかの決定権を有する「参加」が考えられているとも思えません。
 第二は、教育行政の分権、自治と住民参加の地方教育行政の問題です。この面の諮問は、地方分権推進委員会の第一次勧告(平8・12・20)を受けてなされています。すなわち、同勧告は地方教育行政上の前述の教育長の任命承認制廃止のほか、文部大臣の教育委員会に対する指揮監督(同法55条)の廃止、その他「教育委員会の自主性をできるだけ高める観点に立って」「文部大臣の都道府県または市町村に対する指導・助言・援助(同法48条)を検討する」としていました。同勧告はこのような教育行政の分権・自治を提起する一方、「教育行政に地域住民の意向を反映するための方策等」を求めていました。
 そこで前記のような諮問がなされたが、「論点整理」では次のような提起をしています。指導助言の見直しのほか、国や都道府県により専門的な立場に立つ指導性を付与しようとしており、他方、「住民意向の反映」では「教育委員の数の弾力化や選任における工夫」などがありうるとしています。しかし、この諮問では教育委員の選任にはふれておらず、これを通じた住民参加などは求められていないようです。また、「地方教育行政」面で住民意向を反映する「様々な仕組み」の検討を期待していますが、住民を地方教育行政権に参加させるという積極的な提起は望んでいないようです。この際、折角の東京・中野区の取り組み(教育委員準公選、現在は区民推薦制と教育行政への区民参加条例あり)などが参考にされることを期待したいのですが。
(かんだ おさむ 山梨学院大学大学院教授 教育研究所研究協力員)

 

97教育研究所シンポジウム報告

 去る11月15日(土)の午後、石川町の神奈川労働プラザ(Lプラザ)で開催された教育研究所シンポジウム「高校生は今!」の内容については、「ねざす」21号(1998年4月発行予定)で、特集を予定していますが、今回は、当日提出していただいたアンケートの一部をご紹介したいと思います。新聞等でシンポジウムの紹介記事が掲載されたことも手伝ってか、研究所への一般の方からの問い合わせが例年になく多く、230名近い参加者のうち、高校教員以外の参加者が100名近くもありました。ここでは、特に、高校生や大学生、主婦の方など、教育に直接携わっていない方々のアンケ−トを中心に紹介します。尚、肩書き、文章はアンケートの原文に従いました。

  • 私は途中から参加したので、シンポジストの方の話を全部聴けなかったのが残念でした。「時間が短い」というのが一番大きいです。もっと意見を言って、答えてもらいたかった。先生方と、学校について、特に授業について話せる機会はそうそうない(できても一部の先生なので)ので 今思っていることが一つ伝えられて良かった。ただ、先生がどういう姿勢で授業にのぞんでいる のか、高校生をみているのか、なぜ先生になったのか、ききたかった。 (高校生)

  • こういうシンポジウムは、どうして主役がいないんですか。この話合い(?)は「高校生」が主 語だってのに大人だけで話している。全てについて言えるけど(「いじめ対策委員会」なども然 り)。主役を呼べ。そこですでに「一人の人間として話を…」とか言ってることが矛盾している。 (高校生)

  • 宮台さんを呼んだのは正解だったと思う。教員たちの傷のなめあいみたいな場にはならないからだ。いろいろツライけど頑張っていこうね、では、何もならないと思う。 (大学生)

  • 現代の若者を論じる今回のようなシンポジウムは全国で何度も開かれていると思います。しかしどうして今さら現代の若者を論ずる必要があるのか、というのが疑問に思います。その時代、時 代で「現代」の若者は違うものではなく、結局、同じものだと思うからです。直接に若者を論じ る時間を設けるならば、もっと別の視点から、現代教育に関して論じていただきたいと思います。 (大学生)

  • 面白い内容で良かったです。高校生のみならず大人も自分の存在価値を見出せない社会だと思い ます。マイターン、自分探しという言葉も流行している中、幅広い選択、行動が評価されるよう になって欲しいです。 (大学生)

  • 私には子どもが3人います。そのうち2人は高校生です。家で、グ〜タグ〜タ、ゴ〜ロゴ〜ロし ている子どもたちをみると、つい、いわゆる望ましい子ども像(スポーツで汗を流し、学び…)と比べたくなってしまう時もあります。子ども自身が育つことを待とうと、子どものことは子 どもに任せたいと思っています。学校、地域、家庭、それぞれがそれぞれのすべきことは何か、 大人のすべきことは何かを考える日々です。子どもには、今のままでも「安心して大人になっ ていけるよ」といいたい。先生方、どうぞ子どもたちが「聞いてよかった」と思える授業をお 願いします。学ぶことの楽しさの種をまいて下さいますようお願いします。 (パート勤務)

  • 中1と小6の娘をもつ母親です。宮台先生のお名前を見つけて参加させていただきました。娘が 小3,小4で不登校を経験、現在は楽しそうに登校しておりますが、不登校時、「学校はどうし ていかなければならないのか?」との問いに今だに私自身考えさせられています。「高校はいっ た方が良いのか。行って楽しいところですか?」私自身の育った時代とのあまりの変わり様に子 育てのむずかしさ感じ、何かしらヒントを求めて参りました。 (主婦)