神奈川県高等学校教育会館


東日本大震災がもたらしたすべての事をどう学校教育の現状に活かせるか


「地震・津波」をめぐる新教科・科目創設を探る会


  
 東日本大震災は、地震から始まり、被災は倒潰、火災そして、津波の被害である。続いて原発事故。放射能の被害、避難の混乱、風評被害、政治的混乱へと一年を経た今も副次的な被害と混乱が生まれている状況である。この世界の有史に記録を見ない大災害は多くの教訓を残した。この中で我々は「教育」という観点で問いかけられた課題について考えてきた。我々の仕事は、この震災の多くの悲しみと無念を新しい教育の形に出来ないかという問い掛けでもある。
 現地の声を集め、震災に関わった方々の感想や発言、内外の報道、専門家の知見や判断などこの大震災について多くの人の思いから論を進めている。被災された方々の言葉の中に、こうであったら、という言葉は多く、重く耳にしてきた。津波の被害地における教育現場の混乱(大川小学校の生徒の引率の問題など)には同じ教員として心を痛める。また、原発事故による避難指定された地区の中学の教員からは、「情報」についての判断力、事前の知識、さらに発信する側の常識の形など、今新たに安全教育の形を問うている。津波の被害については報道の仕方と受け取る側の判断力が問題になっている。大震災の教訓は全て働く人間達われわれの成長の学びに繋がっている。
 世界的にも評価の高い日本の学校教育の主要な内容に大震災の教訓を形にすることはこの経験を風化させないことも含め価値あることであることがわかった。大震災から見えてきた課題は教育の見直しも求めている。将来の日本を支えていく人材の豊かな人の命を守る人間力をどう育てていくのかをここで示そうとしているのである。
 少子高齢化、経済的低迷、国際社会との緊密な関係などは、日本の現在の教育に問い直しの警鐘を鳴らしている。今こそ現場の教育者が日本の力の原動力になる働きをする時なのではと確信するほどである。教育は即効性はないが、多くの理解が進む中で形ができれば日本は、世界は変わると確信している。
 多くのメッセージから我々は、現場の教員の児童、生徒への指導という形から一つのキーワードにたどり着いた。それは「生命(いのち)」である。「自分の命を守る。人の命をまもる。お互い命を気遣う。命を救うための行動。命に向き合う行動。命を育む営み。」である。当然と言えば当然の教育の一つの方向であるが、こんなにもはっきりした形で、「生命(いのち)」について多くのことが繋がっているとは思わなかったのである。
 小学校中学校高校という言わば日本の教育の重要な12年間でこの「生命(いのち)」を大切にする教育を、実効ある量を伴った力強いベクトルのある教育の必要性に気付いたのである。「生命(いのち)」の教育は、予想される大震災にも対応し、さらに多くの可能性を示している。命に関わる場面は、教育指導要領には、現れていなかった。スカラー量としての知育には、見えてこない現場の教育の形を示すことが出来るのである。
 教科「生命(いのち)」に中には様々な科目がこれから設定されていくのである。



大震災の教訓から見えてくる新しい教育について
 教科『生命(いのち)』の提言
   

教科「生命(いのち)」研究会

  1. はじめに
  2. 災害国としての歴史
  3. 東日本大震災の現状とそこから見えてくる教育的課題
  4. 新しい教科「生命(いのち)」の提言
  5. 顕在化した問題と現在の教育に足りないもの
  6. 主な科目について
  7. まとめ
  1. はじめに
     多くの取材をした。現地に行き、津波の被害の状況を見た。被爆の地に行き線量計で、測定しながら中学校の教員にも話を聞いた。新聞や雑誌、ウェブ等に載った多くの言葉も確かめた。この作業から現場の教員が見た、考えたことをまとめた。
    「この大震災は今後の教育に何を残したか」との現地の方々向けのアンケートも考えた。しかし、もっとも辛い状況の中でのお願いは出来なかった。ここで始めた取り組みは、続けて更に深めていきたい。
     作業を進めているうちに、目指す方向は「新科目」ではなく「新教科を探る」という大きな設定に変わっていった。それは、大震災に始まったこの議論の一つの方向が現代社会のあらゆる方面につながっていることに気付いたのである。むしろ、教育の形の新しい方向を正面から問うものとなっているのではないかと確信している。
     キーワードは「生命(いのち)」である。現場の教員のイメージから来る言葉である。懸念は、学術的教育学的哲学的な議論に耐える根拠、証明を示しえたかということである。小さな波紋かもしれないが、一つの声を届けたい。こどもたちのことを何とかしようと学校という場で、彼らと正面から向き合って、仲間たちと一緒に取り組み、保護者と地域と連携しながら働いている教師の声の一つのまとめである。

  2. 今回の日本における震災などの災害国としての歴史
     日本の災害の歴史は枚挙にいとまがない。津波という言葉が国際語になるのが良く分かる。津波の被害の状況は死者数で世界一である。火山国でもある。噴火・火砕流の記録など歴史的書物にその記述は多い。台風がある。西洋史の中の自然災害とは比較できないほどである。
     更に人災という側面では、一番に戦争がある。大陸での侵略による戦争など加害被害含めて、無差別の爆撃など多くを体験している。原子力爆弾の世界で唯一の被爆国である。チェルノブイリの原発事故に次ぐ被害をすでに出している福島第一原子力発電所の事故がある。この事故については、乳幼児に対する影響、事故そのものがまだ収束していないのである。
     身近な人の生命の強制的な死に悲しんできた歴史である。方丈記にも災害のかなしい記録がある。関東大震災もその後の教訓は多かった。戦争の悲しみに誰一人否定はしない。
     こうした災害にしっかり向き合える国造りは、その都度求められた。しかし、教育という観点からは十分だったとはいえない。これは、日本国憲法に戦争放棄が謳われた以上には教育に活かされていないように思われる。明治以来西洋の文化から学んだ教育の形を、我が国のような災害国にふさわしいものにすべく見直し、新しい模索を早急にするべきであると、この震災を体験した今強く感じるのである。
     これまでの災害と同様に、この東日本大震災においても絶対にこの経験を風化させてはならないという言葉が異口同音に語られている。災害国の我々こそがあらゆる分野に渡ってこの国の生命を守る国の形、その国をつくる人間の生き方、その生き方を探る教育の形を創って行かなければならないだろう。

    災害国だけにあることの例
    (1)津波てんでんこ
     「津波が来たら一人一人が自分のことだけを考えて山に逃げるべきだ」津波被害の多い東北地方の言い伝えられた言葉である。津波の恐ろしさを伝える、伝承の言葉である。この大震災で、大川小学校では、多くの児童が亡くなった。この言葉を語る人もいるが、現場を視察したものとして、教員の方々の判断に誤りは無かったと言いたい。津波のない国では始まらない議論がここにあると思う。

    (2)津波の多い地域の高台への移転
     津波の被災地に近い地域では、祖父の代に村落単位で移転していた地域があった。
    地震の揺れの被害だけである。一年後は殆ど修復も進み生活の外見は、被災をこの目にしたいというわれわれの目には、普通の生活であった。被災の多い地域の世界に類を見ない展開である。

  3. 東日本大震災の現状とそこから見えてくる教育的課題
     生き残った被災者からは、ああすればよかった、こうすればよかったという声がある。被害を最小限にするにはどうすればいいのだろうか。どのような準備が必要だったのだろうか。災害のインフラ整備という発想はあるだろう。情報の整備があるだろう。地震や火山、気象そして原発についての科学や技術の発展があるだろう。
    残る重要な視点は教育である。様々な取材で集まった多くの声について教育が出来ることを探り一つに繋げてみる。

     震災の直後には知識、技術的ことが多い。津波については、その時にいた場所の問題、住居の問題と情報の問題が多い。正確な情報が、全員に正確に、即座に伝わっていれば、逃げることが出来た。NHKは、その特集の中で、辛うじて助かった人の時情報に影響された行動の形を検証している。また、福島の第一原発の事故による避難では教育現場に教員がどの情報をどのように信じていいのか。正確な情報を知らされないままの避難の不安について語っている。情報のあり方の常識やるルールの指摘がある。
     避難所の設置、避難の方達の受け入れ、状況の確認、肉親の安否も分からない中の避難生活の状況。病人や乳児、幼児をどうケアするのか。医師看護師の不足の中で助かった者たちがどう協力するのか。被災地域の全く不十分な物資の状況でどう行動したのか。すべきだったのか。避難所に駆け付けた救急の医療看護の報告も多くを語っている。被災直後、3日後、一週間後など尊い生命との闘いである。
     そして、原発については、放射能の知識が必須である。物理現象や単位のことその人体についての影響などである。避難の必要性の理解、内部被ばく、など、、命を体についての問題。その知識の重要性は言うまでもない。

     中教審が教科「安全」の立ち上げを検討しているという。日本の教育を受けたすべての人々が暮らす日本である。こうした検討は、今後様々な形で進めるべきで意味あるものになると思う。中教審は2012年3月21日に東日本大震災で670人を超える児童や生徒が死亡行方不明になったことを踏まえて、教育現場での死亡事故ゼロを目指す「学校安全推進計画」を答申した。国が学校安全に関する教育の計画の策定をするのは初めてだそうである。内容は放射線から子どもたちを守るにはなど数値的な具体的な策定になるそうである。設備の面など含め早急に具体化して欲しい内容が多い。

  4. 新しい教科「生命(いのち)」の提言
     震災の教訓を風化させないために何が出来るかという言う問い掛けを教育という観点で考えてきた時、教科「生命(いのち)」の設定を考えた。命を救う行動を支えているのは命を救おうという強い本能であり意志である。その行動の有効性を支えているのが、其れに関わる科学であり哲学である。命を救うという方向に向いた学びを丁寧に幼稚園から大学まで展開したい。この大震災で得た教訓のすべては、このような悲しい生命との別れをしたくないということであった。豊かな命の生まれる場を早く取り戻したい、それが復興の目的でもある。生命(いのち)を究極のところまで大切にする人間を育てる教育を作りたい、造りたいのである、創りたいのである。
     生命を大切にする教育が育む人の資質は、ほかならぬ、地球にやさしい正義の味方であり、良き市民である。教育の内容の全ては、ヒトの生命、その心と体を健全に発展させていくことに向いていることに気付くのである。このことは当然ではあるが、教育の内容の中に強くイメージされてこなかった。
     教育の内容全体を、この「生命(いのち)」を大切にするための学びとして見直すことをしたいのである。
     教科「生命(いのち)」の設定と全ての教科の見直しによって学校教育、幼児教育、生涯学習が生まれ変わることが第一である。そして、この日本という国が人間の生命(いのち)を守る国になり、世界の人々の命も守る国に発展するのである。

  5. 顕在化した問題と現在の教育に足りないもの
     あらゆる知識は、何らかの目的を持って生まれてきた。純粋な真理を追究して発展した知はどれくらいあるだろう、哲学史を紐解くと様々な議論が見えてくる。戦争で勝つために発展した産業から技術が大いに発達したという歴史は遠くない。原子爆弾がすぐに思い起こされる。しかし、今、教育研究の世界は、人類の為に、獲得した知を全体として、大きな方向性を持たない「知」として扱っている。高校の教師である我々は、各教科でその「知」を教えているのである。
     今回の震災で、その「知」が活かされなかったのである。福島第一原発の事故の原因は想定外の大津波である。しかし、数年前の科学者の予想は可能性を指摘していたのである。科学では無い政治的行政的経済的経営的高度な判断が、2011年3月11日まで問題にはなっていないのである。
     安全教育は、十分だったか。大川小学校の教師はどう判断したのか。受けた大学での教職の授業は有効だったのか。幸いにも助かった高校3年生は、緊急に設定された避難所でどのように行動すべきなのか。両親を亡くし、ケガをした小学生や乳幼児の多くいる避難所で何をすべきなのか。

     一年後の今、教育の内容は、その内容の方向性を含めて、問い直されている。安全教育のレベルは中教審も検討を始めている。建築学は命を確実に守る建築をより高い内容でかえようとしている。自己の利益だけを追求する経済学経営学では、正しい企業判断が出来ないのである。東京電力は、企業の理念の一番に国民と謳いながら、アメリカ合衆国政府から批判されるほどの自己保身的状況報告しかできなかった。政治学がどれくらい日本の政治に関わる人たちに影響を及ぼすか分からないが、生命(いのち)を守る政治をどれほどじっせんしているのだろうか。
     命を守る適切な報道については、NHKが自ら特別番組を制作して検討している。被災し自分の運転する車の中で的確では無い報道に翻弄されながらも助かった方を取材している。
    この震災では多くの人が真剣に生き苦しんだ。殆ど全ての人が日本の学校教育を受けてきたのである。生命(いのち)を一番に考えるという方向を向いた一貫した教育があれば、多くの命を救えたと確信する。特にそれを強調したいのが「絆」という言葉に託された日本人の心性である。他国の人々が驚嘆する、互いを労わる精神である。この精神の源はどこにあるのかを検討しなければならない。
     現代の教育とこの大震災を良く見ていきたい。

  6. 主な科目について
     生命(いのち)を豊かに守るために、人と自分の生命(いのち)を豊かに守るためにどうしたらいいのか。学ぶ知識が全てそのためにあると言ってもいい。道徳教育もその為にある。発達段階のそれぞれに適応した科目が考えられる。自殺やいじめの防止もて様々な科目にリンクさせたい。この項目については、将にこれからの課題である。本研究の次のテーマとしたいし。

    (1) 幼児教育 幼児期
    「いのちを守ろう」
    良く生きるためにどうしたらいいのだろう。仲良く、いじめをしない。良く食べる。など。
    (2) 小学校教育 児童期
    「安全」「健康」「食育」
    逃げることというのが今回問題になった。
    (3) 中学校教育 思春期前期
    「健康(性教育)」「食育」「演劇(ドラマ)」「コミュニケーション(セックス)」
    (4) 高校教育 思春期後期
    「健康(性教育)」「食育」「演劇(ドラマ)」「コミュニケーション(セックス)」
    生命(いのち)を守る教育は
    (5) 大学教育 青年期前期
    教職教養に必修化「生命(いのち)」
    学科学部 生命(いのち)の教育について
    (6) 生涯学習
    「アンチエージング」「食育」

  7. まとめ
     教育は為政者の為のものだったのは過去の話である。最新の科学の成果である人類の祖先は一人のアフリカの女性であるという科遺伝子学の成果である科学論文の意味するものは途方もない内容だと直感する。生命(いのち)を大切にする教育には、国境がないのである。どの国の人も大切にする。生き物を大切にという点でも地球規模である。
     人種差別、部落差別、いじめ、虐待、セクハラ、パワハラ、すべてのマイナスの営みを強いベクトルで教育できるのである。
     今後深めていきたいテーマが見えてくるのである。オリンピックに出場しよう、金メダルをとろうという、ベクトルのあるつい目的のある教育には、常にそれをしっかりと支えている教師が存在しているのである。生命(いのち)を大切にする教科「生命(いのち)」と教員の働きについて考えていきたい。
     今回の助成研究では、現場の教師の献身的な動きに注目できた。そこをまとめていくと、「絆」に関わる日本人の素晴らしい特性は戦前戦後とその後の学校教育の成果ではないかと言えるのである。良く生きることを教えてきた現場の教師の教育的情熱にあるベクトルがこの日本を支えているようにおもわれるのである。

     「よく生きる」教育というベクトルを強く持った教育の展開の考え方は、過去にもあったが、今この大震災で大きく問われている、これをさらに深めたい。
     最新の科学は未だ現代教育の内容に届いていない。そこも含めてさらに進めたい。教育の研究は始まったばかりである。生命(いのち)という方向に向いた教育の展開を考えると、難しい道徳教育も取り組みやすくなる。含め、教育の形が見えてくると思われる。

     生命(いのち)を大切にする。というベクトルをもった生き方は、世界で認められた全ての宗教において否定していない。アリストテレスの哲学からカント、ヘーゲルにいたる西洋哲学においても前提となるところである。生命(いのち)を奪う状況、災害、犯罪、戦争について人間の議論は、身近な人の生命を大切にしている。地球規模で議論が進む今にあっては人類を単位に考えている。

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