朝日新聞(2003.1.1)より
転機の教育 1 
大学の力 知の戦場
   人材集め国境なき競争

 物理学が25人。
 経済学が22人。
 化学14人、医学生理学11人、文学も2人。合わせて14人。
 創立110年の米国・シカゴ大学の教員や卒業生らから生まれたノーベル賞学者の数だ。現役教授には6人の受賞者。世界有数の実績を誇る。大学院生が学部生の倍いる研究中心の私立大だ。
 M・フリードマン、G・ベッカー……。「シカゴ学派」と呼ばれる経済学者の拠点としても有名だ。影響力は大きい。
 ノーベル賞74人の秘密は、世界中に目を向けたスカウト戦略だ。
 「重要なのは、人材の獲得と実力主義。平凡な学者はいらない」。社会科学のジョン・ハンセン学部長は断言した。
 報酬や研究環境などの好条件を示し、有望な学者をスカウトする。その顔ぶれの実績を売り物に若手を公募。「目利き」の審査委員が論文を読んで絞り込む。
名古屋大で国際的な化学賞を受けた山本尚教授.もスカウトされた。交渉時、高級ホテルのスイートルームが用意された。潤沢な研究費と、広い研究室。名大の院生5人を助手として雇うことができ、連れていった。
 「どんな教員がいるかが大学の評価に直結する。東大、京大という『箱』の名前ばかりを大事にする日本とは違う」シカゴ大は、アジアではシンガポール、欧州ではバルセロナに専門大学院のキャンパスを持つ。
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 人材獲得の激しさは、シカゴ大に限らない。
スタンフォード大のジョン・ヘネシー学長は言う。「米国の研究大学の強さは、世界中から教授をリクルートしてくる熱意だ」。同大では毎年教員の一00人以上、全体の約7%が入れ替わる。
 英国の名門ケンブリッジ大は、今年10月から新学長に米国・工ール大の女性学長を招く。「大学の外部、まして米国から学長を招くのは800年の歴史で初めて」。アン・ロンズデール副学長は感慨深げだ。
 エール大の経営を再興した手腕を買って、20億円に及ぶ赤字財政の立て直しを託す。米国の「企業家精神」が伝統校に流れ込む。
 アジアの「新進気鋭」とされる韓国の浦項工科大。好条件で、バイオテクノロジーの学者40人を世界から集めた。中庭に、胸像を建てるための台座がある。将来、ノーベル賞学者が誕生したときのために用意しているという。
 日本のノーベル賞受賞者は12人。「世界レベルの研究」を掲げて、各地の大学ではいま、シンポジウムなどが盛んだ。
 昨年秋、東京であった、大学改革をテーマにした東京大のシンポジウム。小間馬副学長は約350人を前に声を上げた。
 「個々の教官の論文では東大は世界トップだ。今後は研究戦略室などを立ち上げ、大学全体でトップに躍り出たい」。だが、現実の悩みももらした。「アジアで最も優秀な学生は欧米へ行き、日本に来てくれない」
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 象徴的な話がある。
 米国のテキサス大教授兼ハワード・ヒューズ医学研究所研究員の柳沢正史さんは97年、東大から突然、「教授候補に選はれた」と電話連絡を受けた。履歴を送ると、数カ月後に「教授に決まった。早く就任を」と連絡があったという。
 「大学と教員が対等な立場と感じられない」と思った。しかも東大の施設は老朽化していた。就任は断った。
 広島大の山野井敦徳教授は、大学教授の「市場」を研究している。
 日本の場合、教員が生涯で大学を移動する回数はO・78回だ。オランダ3・58回、米国1・62回に比べ、低さが目立つ。「日本はなお、学閥主義が根強い。これでは研究水準は上がらない」
 シカゴ大で、00年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘツクマン教授は語る。
 「ノーベル賞学者だろうが、大学院生だろうが、過去は関係ない。斬新なアイデアは、容赦のない議論から生まれるんだ。大学を知的な戦場にしなければならない」
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 日本の大学は明治以来、最大の転機を迎えた。国際競争の加速、少子化、国立大の法人化……。その力量が問われる時代、日本の高等教育のあり方を探る。
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